人間関係の疲れを軽減する三つのポイント
人間関係の疲れを軽減するために取り組めることは三つある。
一番大事なのは、「疲労のケア」。
本人が考えている原因とは関係ないかもしれないが、結果的、かつ総合的に、現代人の感情を穏やかにする近道。
二つ目は、「感情のケア」。
感情の仕組みに応じて上手にケアすることにより、過剰な反応を抑え、防衛(恨み)記憶の発生を予防することができる。
現実的にトラブルを感じる人間関係そのものより、まずは自分の感情をケアするほうが、主体的だし効率的なのだ。
感情を穏やかにしさえすれば、あとは、必要に応じて巷にあふれる「人間関係改善のヒント」を実行すればいい。
人間関係の疲れを軽減するための三つ目のポイントは、「人について知ること」である。
関連記事
- 辛い人間関係も自分の行動次第
- 人間関係の心地良い距離感
- 人間関係がめんどくさい人の心理と対処法
- 人間関係の戦場という職場を生き抜く
- 人間関係の苦しみを緩める方法
- いい加減な自分を認めると人間関係が楽になる
人間の本質について知ることが、どうして人間関係トラブルに効果があるのだろう。
人は、無意識のうちに、自分自身や他人に、「人とはこうあるべき」という「期待」を持ち、それと現実とを「比較」しながら、生活している。
こうあるべきという概念のほとんどは、「子どもの心」として、私たちの心と体に染み付いたもの。
その縛りが強いほど、「子どもの心が強い」と表現している。
子どもの心は、より良い社会を作り、より良い人間関係を続けるためになくてはならない基準であり、その価値観で、人は自分を律し、他人や社会を評価する。
ところが、多くの人はあまり意識していないかもしれないが、価値観には、「方向性」と「程度」という二つの要素がある。
「方向性」は、これまでの文明の発達過程で、文化や時代の差こそあれ、大体の合意はできている。
例えば、人を殺してはいけない、盗んではいけない、だましてはいけない、言動には責任を持たなければならない、人を助けなければならない・・・など。
多くの人は、自分が持っている価値観の方向性を疑わない。
そして、それに反する行為や行動を見た時に、さまざまな感情が刺激される。
関連記事
- 人間関係での感情を考えるという扱い方
- 感情を放置せず、ケアをすれば人間関係は楽になる
- 人間関係での自信のつけかた
- 人間関係の疲れをとる三つの苦しさへのアプローチ
- 人間関係の感情の取り扱い
- 人間関係の疲れをとる5つの方法
ただ、この方向性に関しても、よくよく考えるとかなりあいまいなものなのだが・・・。
一方、「程度」については、個人差が大きい。
というのも、程度は、さまざまな価値観のバランスの中で、状況によって変えていかなければならないものだからだ。
例えば、嘘をついてはいけないという方向性に多くの人は同意する。
しかし、離婚話が進んでいる時、どこか不安げな子どもに、「心配しないで」というのはいけないのか。
不治の病と診断された時、それを本人に隠しているのは、裏切りなのか・・・。
もっと気楽な例では、サプライズパーティーで、主賓を驚かすのは嘘つきなのか。
関連記事
「人を傷つけてはいけない(あるいは、楽しませるべき)」と「嘘をついてはいけない」という、相反する価値観の中で人は、右往左往しながら必死で考え、それぞれの価値観をどれほど主張し、どれほど譲歩するかの「程度」を、自分なりに模索していくものだ。
これが大人の心を身につける過程だ。
例えば、「一人前の社会人は体調管理をしっかりしなければならない。
風邪などをひくべきでない。
体調を崩すのは、社会人としての責任感がないから」とは、よく言われることだ。
これは「方向性」。
関連記事
- 原始人メカニズムのネットまでの人間関係
- 人間関係の心地よい距離感
- 大人の人間関係でいい人でなくても大丈夫
- インターネットの人間関係
- 自分の軸をしっかり持てば良好な人間関係を築ける
- 職場での心地よい人間関係を保つ
けれども、人間だから、当然風邪くらいはひくこともある。
職場のメンバーが風邪をひいてイベントの当日、急に休んだとしよう。
そんな時にあなたの価値観の「程度」が問題になる。
その人が担当者ならどうか。
その人が後輩だったらどうか。
自分が休んだ時にひどく非難した相手ならどうか。
世話になった人、ひそかに恋心を抱いている異性ならどうか。
繁忙期、あるいは余裕のある時期だったらどうか。
その人に対する「期待」、仕事量、給料などの「比較」で悩みながら、その状況に一番ふさわしい「急に休むべきでない」の「程度」を模索する。
関連記事
価値観の「程度」が、自分も苦しめる
「程度」の感覚は、このような過程で現実的なものとして磨かれていく。
しかし、程度を洗練していく過程が不十分だと、「こうあるべき」という方向性を突き詰めた姿、つまり理想形を「程度」の基準としたままで、大人になってしまう。
多くの場合、それは「正しいこと」なので、自分が誤っているとは気が付かないが、程度としてみると、極端になりすぎていることがある。
そしてそれによって、他人にも社会にも厳しい評価をしてしまい、人間関係に疲れてしまう。
それだけではない。
その粗削りな「程度」を、自分にも当てはめてしまう。
例えば、先の例。
彼女に対しては甘いのに、嫌いな人には厳しい自分がいたとしよう。
そのことを、「一貫していない、理性的でない」として、自分に腹が立ち、そんな自分を周囲が知ったらと不安になり、自信を失う。
ここでもまた、対人関係で疲れやすくなってしまう。
人間関係についての価値観というと、他者に対する価値観のことをイメージする人が多いと思うが、多くの人の場合、同じ価値観を相手にも自分にも当てはめている。
だから、自分に厳しい人は、他者にも厳しい。
まれに、自分に甘くて、相手には極端に厳しいという人も存在する。
いわゆる「サイコパス」の類だが、そういう人に対しては、自分の心の持ちようというレベルを超えた、現実的な対応が必要になる。
関連記事
- 争わない心理的距離で人間関係はうまくいく
- 「縦」ではなく「横」の人間関係を構築しよう
- 人間関係が怖いから気を楽にする心理
- 人間関係がしんどいから解放される心理
- 人間関係が辛い人が気が楽になる心理
- 人間関係がうまくいかない人がうまくなる心理
ただ、自分が弱って感受性が鋭敏になりすぎているせいで、他人の行為が実際よりも極端に見えて、サイコパスだと思い込んでしまうようなケースもある。
そこで、相手をサイコパスと決め付ける前に、いったんはここでのアドバイスを試してみてほしい。
同じ価値観で自分と他者に接する、いわゆる一般的な人を対象とし、「人」についての価値観を再考していただきたい。
本来は、生活しながらそれぞれの「程度」を確立していくのが一番です。
関連記事