つながりを感じるひとりとは

自分の身体を感じると、孤独が消える

「世界」との「つながり」はすでに存在していて、つながるための視点として「他人・自分・今」という3つがあり、その中でも「今」とのつながりは、自分という概念を消せる、「ひとり」への特効薬だと、前述しました。

その「今」を感じるためにとても役立つのが、身体です。

例えば、身体を動かすのはよい方法です。

特に、ランニングやヨガなど、「今」に集中せざるを得ないタイプの身体の使い方をすると、余計な思考から解放され、「今、感じている」ことがよくわかるはずです。

走っているときの呼吸の変化、筋肉の状態、大地を踏む感触など、「感じる」ということがよくわかると思います。

このときに重要なことは、特に目的意識を持たずに身体の感覚に集中すること。

「タイムを上げなければ」「このランニングでどのくらいのカロリーが消費されているのだろうか」
「ヨガのポーズはこれで合っているだろうか」などと「自分」について考えてしまうと、せっかくの感じる機会を損ねてしまいます。

あくまでもポイントは「考える」ではなく「感じる」ことなのです。

ちなみに、「未来について不安を感じる」というのは、一見「感じる」のほうに見えますが、実際には未来についての不安な思考が頭を占拠している状態であって、そこから不安が次々と生み出されているもの。

「今」感じているのとは違います。

この区別は、「今に集中すると、自分という概念が消える」ということを考えればわかりやすいでしょう。

「未来について不安を感じる」のは、しょせんは「自分」についての不安の話。

「自分」について思い煩っているということは、決して「今」にいるわけではないのです。

身体を動かすことに困難がある人は、呼吸に集中するだけでもよいのです。

細かく長い呼吸に意識を向けると、やはり「今、感じている」ことがわかります。

それ以外にも、おいしいものを味わって食べる、アロマでよい香りをかぐなど、自分の好みに合わせて、「身体で感じる」ことをしてみてください。

「おいしい!」と心から感動しているときには、やはり「自分」が消えているものなのです。

ある意味では、瞑想的な時間になっているとも言えます。

孤独に押し潰されそうになったときには、あるいは、「自分」のことが不安でたまらなくなったときには、身体が、「今」とのつながりを感じるための味方になってくれます。

ポイント:身体は「今」とのつながりを感じる味方になる

重要なのはつながりの形や数ではなく質

つながりは最近、時代のキーワードのようになっていると思います。

東日本大震災後には、「つながろう!」という動きが強調されました。

それはプラスに働いた側面ももちろんあったのですが、孤独を強く感じていた人たちには、「つながれる人たちはいいな」「つながれない自分はダメなんだ」と、かえって疎外される感覚を植え付けたりもしました。

また、SNSの発達に伴い、「つながっている人の数」が目に見えるようになり、それがその人の魅力や対人関係能力を示すかのように思われるようになってきました。

これらの背景には、社会的な側面もあると思います。

終身雇用時代の、「決まった範囲の生活だけしていれば安全」という意識がなくなり、「自己責任」が強調される不安定な時代になると、どうしても「この社会で生き延びるために、自分は何を持っているか」に目が行きます。

「どれだけの人とつながっているか」はその重要な一つで、「人脈作り」がとても重視されるようになっています。

これは、「いざというときに相談できる人がどれだけいるか」という実質的な要素ももちろんあるのですが、それ以上に、「対人関係能力」という概念に縛られている部分が大きいように思います。

対人関係能力やコミュニケーションスキルが高い人は、より多くの人とつながれる、という考え方です。

そしてそれは「生きていく力」そのもののように感じられるのです。

ですから、自分の対人関係能力を磨くために、あるいはそれを示すために、「人脈作り」にいそしんでいる人は少なくありません。

その成果が、「つながっている人の数」ということになるのでしょう。

しかし、実際に人の心の健康を考える際に、とても重要なのは、「つながり」の形や数ではなく質です。

お互いのありのままを受け入れ合える関係は、たとえ一つだけしかなくても、とても貴重なものなのです。

自分にとって本当に安全な場がそこに作られるからです。

自分にとって安全な場でありのままを受け入れてもらうと、「つながっている」という感覚が得られ、ストレスへの耐性も増します。

それこそが、「つながり」の真の価値だと言えますし、本当の「生きていく力」になるのです。

つながりは「作るもの」ではなく「感じるもの」、ということは、言い換えると、「得る」姿勢から「与える」姿勢に転じるのと同じ性質の話です。

自分は「つながり」を得られるか、ということを考えると、「もっと、もっと」となります。

しかし、数は少なくても自分の身近にいる人に、自分が心を開き、「ありのままの自分」になり、与える姿勢で接すると、「つながっている」という感覚を得ることができますし、つながりの質が高まる、ということになるのです。

ポイント:与える姿勢で接すると、つながっているという感覚を得られる

つながりを感じてひとりは孤独じゃない

ひとりへの感じ方は人それぞれ

孤独という感じ方が「自分の感じ方」である以上、それは固定的なものではありません。

誰でも、そのときの状況によって感じ方は変わるものです。

自分の心が閉じているときには「ひとり」でいる状態に孤独を感じますが、何かに感動したりしたことをきっかけに、与える気持ちになって、心を開き、「つながっている感覚」を持つと、「ひとり」でいても、孤独という感じ方は吹き飛んでしまいます。

つまり、そのときの心の状態によって、孤独を感じるか感じないかが変わってくるのです。

私の知人に、家で「ひとり」で過ごすことが好きな人がいます。

彼女は、テレビを見たり家事をしたりしながら、常にひとりごとを言っているそうです。

テレビに突っ込みをいれたり、家事をしている自分を「わあ、おいしそうな料理ができた!」「すごい!きれいになったね」と励ましたり、大変なことがあると「わあ、大変。よし、頑張ろう」などと言ったりしているそうです。

これも、見ようによっては「かわいそうな、孤独な人」なのかもしれませんが、彼女の感じ方は全く違っており、本当にのびのびと過ごせている感覚があるそうです。

逆に、同室に他人がいたら、自由に発言できず気をつかってしまって疲れるだろう、と言っています。

彼女がやっていることは、自分にいろいろな励ましを与え、自分とつながって楽しんでいる、ということなのでしょう。

介護や育児、あるいは仕事に追われて寝る時間も確保できないような人にとって、「全く予定が入っていない」状態は、喉から手が出るほどほしいものでしょう。

同じ「全く予定が入っていない」という状態であっても、受け取り方によっては「友達がいない暇な人間」の証拠のように悲しく思われたり、「あり得ない幸運」のように思われたりする、ということは、いかに「物理的な形」と「感じ方」が別個のものか、ということを教えてくれます。

ポイント:ひとりへの感じ方はそのときの状況によって変わる

つながりが感じ方を変える

そもそも「ひとりが好き」というタイプの人(寂しさすら感じていない人)は、「ひとり」であっても、孤独を感じてはいません。

また、何らかの理由によって、現在、孤独を感じている人も、感じ方が変わるきっかけがあったり、それなりのプロセスを経たりすれば、物理的には「ひとり」であっても、本人が「ひとり」を感じなくなる可能性は高いでしょう。

ですから、外側から「ひとり=寂しい人だ」と決め付けることなどできないのです。

そうやって考えれば、「孤独な人だと思われたらどうしよう」とか、「ひとり」が怖いとか、そういう考え方そのものがおかしいということがわかると思います。

もちろん他人が、こちらに対して「ひとり=寂しい人だ」というレッテルを貼る可能性はあります。

でもそれは、その人が孤独についてよく知らないというだけのこと。

おそらくその人の「ひとり」への耐性は低いはずで、ひとりにならないよう不毛なエネルギーを使って生きているのでしょう。

そんなふうに見ることができれば、むしろ気の毒な人だとも言えます。

そんな未熟な人たちの価値観に振り回される必要はありません。

もし「ひとり」の状況に不安を覚えたら、「リアルな他人」や「自分」、「今」との「つながっている感覚」を得ていけばよいだけなのです。

すべてのものはすでにつながっています。

これから作りだすものではなく、すでにあるものを「感じる」のです。

それを感じられないことには、人それぞれの事情があります。

重症度は人によりますが、多くの人が何らかの形で心に傷をうけています。

例えばトラウマを持つ人などに治療を行うと、回復の過程で心を開けるようになり、心配してくれている人や支えてくれる人が身近なところに案外いるということに気づいてくるものです。

これまでは気づかなかった、すでに周りにある「つながり」を感じるようになれます。

ポイント:つながりに気づくとひとりへの感じ方は変わる

まとめ

身体を感じると今に生きることができます。

本当のつながりとは一緒にいてリラックスできる人のことです。

その時の心によって孤独に感じるか感じないかは変わります。

つながりを感じるとひとりでいるのも楽になります。