優れた臨床家というのは、精神分析であれ、認知(行動)療法であれ、他の心理療法であれ、この関門を開け、それを維持する何かをもっている。

それは、こうした治療の方法自体とは別の何かである。

治療の本体とされる部分ではなく、もっと前段階で無意識的に行われる、原初的なプロセスである。

実はこの部分にこそ、治療がうまくいくかどうかの秘密が隠されている。

いくら精神分析や認知(行動)療法を型通りに学んだところで、この秘密が手に入るとは限らない。

専門家でなくても、人を癒やし回復させていく能力をもっている人は、その秘密を体得している。

それは、彼らが成長するなかで、あるいは、人を回復させる試みのなかで、いつのまにか身につけたものである。

それこそが愛着の傷を癒やすのである。

たとえば、その一例をあげよう。

「アイデンティティ」の概念で名高い、エリクソンが行った「奇跡」についてである。

エリクソンは、1933年に、ナチスの脅威から逃れるため、妻と二人の幼い子どもを連れて、ウィーンからアメリカにやってきた。

その間、彼はデンマークに落ち着く先を見つけようとしたのだが、デンマーク政府は永住許可を与えてくれなかった。

ボストンにやってきたとき、すでに三十代になっていたエリクソンは、幼い頃はデンマークで物心ついてからはドイツで育ったため、英語がまったくわからず、単語を百個くらい知っているだけだったという。

言葉もわからない土地で、一家を養うためにできることは、児童分析の経験と資格を活かして働くことだった。

ところがアメリカでは、精神分析は、訓練を受けた医師にのみ認めようという動きがあり、ギムナジウムを卒業しかね、大学さえ出ていないエリクソンにとっては、はなはだ先行きが不透明な情勢だった。

それでも彼は、小さな借家の一室を面接室にして治療を始める。

外国からやってきて、その国の言葉も満足にしゃべれない人間が、深刻な心の問題を抱えた人の治療を行おうというのだ。

その試みに、どれほどの成算があっただろう。

ところが奇跡が起きたのだ。

それまで、名高い精神分析医が長年治療を行っても、ちっともよくならなかった患者が、顕著な改善を見せたのだ。

それも一人ではない。

誰もが見捨てていたような患者が―恐らくそうしたケースしか彼の所には回ってこなかったのだろうが―すっかり改善してしまったのだ。

その一人は、マーサ・テイラーという女性で、深刻な自己不全感に苦しんでいた。

今日でいえば、境界性パーソナリティ障害や依存性パーソナリティ障害を抱えた状態だったと思われる。

この女性は、パリまで赴いて、オットー・ランクという著名な精神分析医の治療を受けたこともあったが、あまり改善しなかった。

ウィーンで訓練を受けたアンナ・フロイトの弟子がアメリカにいるというので、エリクソンのところにやってきたのである。

だが、マーサがまず驚いたのは、みすぼらしい診察室の構えもさることながら、エリクソン先生のまったく格式ばらない態度だった。

パリにあったオットー・ランクのゴージャスで瀟洒な診察室から比べれば、あばら家の一室のような場所で、しかも、隣の部屋からは、しょっちゅう子どもの泣き声がしていた。

おまけに、エリクソン先生は、分析をしばしば中断して、子どもの面倒を見に行くというありさまだった。

分析の方法も、正式な寝椅子をもちいた方法ではなく、ごくふつうの会話であった。

診察の後には、マーサを家族に紹介したり、いっしょに食事をしたりもした。

通常のやり方からすれば、すべてタブーとされることばかりであった。

しかも、エリクソンの語学力は、まだかなり初歩的な段階だったらしく、マーサが噛み砕いた言葉で話しても、エリクソンは、もっとわかりやすい説明を求めるということがしばしばだった。

アメリカにやってきて一年目であることを考えれば、エリクソンがマーサの言葉をどれだけ理解できていたのかは、はなはだ疑問である。

治療という名目で、エリクソンは、患者から英会話のレッスンを受けていたと言ってもいいくらいだろう。

ところが、驚くべきことに、マーサは、自己不全感が薄らぎ、前向きな自信が湧いてくるのを感じるようになった。

やがて、すっかり良くなってしまったのだ。

これは何を意味しているだろうか。

マーサが抱えていた困難の根底には、愛着障害に由来するアイデンティティの危機があったと考えられる。

エリクソンの関わり方は、まさにそうしたタイプの障害の改善に極めて有効だったということではないだろうか。

有効に働いたのは、言葉巧みな働きかけでないことは間違いない。

交わした会話の内容さえ、それほど重要ではないかもしれない。

むしろ、エリクソンが彼女に与えた、無防備とも言える親密さ、あけすけさが、マーサが抱えていた愛着不安をやわらげ、リラックスして自分の問題を語り、それを受け入れることを容易にしたのではないだろうか。

そのために、エリクソンという存在のアウトサイダー性や子どものような無邪気さが、彼女を解放するのに役立ったように思える。

ある意味、エリクソンという存在自体が、彼女には驚きであった。

学歴も、財産も、社会的地位も、祖国さえもたない人間が、異国の地で明るく頑張ろうとしているということが、彼女を縛っていた不安や固定観念から自由にし、自分の足で歩いていく勇気を授けたようにも思える。

だが、エリクソンがただのみじめな移民だったら、マーサに回復をもたらすことはなかっただろう。

エリクソンは、語学力に大きな困難があってさえも、マーサが直面している困難を、直感的に感じ取ることができたに違いない。

なぜ、それが可能だったかと言えば、彼も同じ問題で悩み続け、それを克服してきたからだ。

彼を苦しめたアイデンティティの問題の根底には、母親や名前も知らない父親、そして義父との不安定な愛着の問題があった。

エリクソンのこれまでの人生は、愛着障害を克服するための道のりであったとも言える。

奇跡が起きたのは、マーサだけではなかった。

どの治療者やケースワーカーからもさじを投げられていた男の子の、今日流に言えば発達障害の状態が、実は、養育環境の問題によることを見抜いて、改善につなげたのである。

その問題とは、母親が次々と家に男を連れ込んで、子どもの見えるところで関係しているということだった。

マーサが有力な医師の妹であったということもあり、エリクソンの評判はたちまちボストン中に広まった。

彼は医師でなかったにもかかわらず、精神分析を続けることができるようになり、その後の成功にもつながったのである。