人と交わり、社会と接することが重荷の為、社会から離れ、友達から離れ、家族からさえ孤立して、自室にこもってしまうひきこもりの若者の事例も増えています。

ひきこもりの若者は中学や高校での登校拒否からそのまま継続している場合もあるし、大学入学後に始まることもあります。

ひきこもりの若者は就職してから出社拒否というかたちで始まる例もみられます。

ひきこもりの若者のK君は小さい頃から優秀で、両親の自慢の子どもでした。

父親は三十人ほどの人を使う小さな工場を経営しており、豪放磊落な性格です。

息子が工学部に入って会社を継いでくれることを夢みていました。

しかしひきこもりの若者のK君は、これからはコンピューターの時代であり、そのためには大学よりもコンピューターの専門学校のほうがいいということで、専門学校に入学しました。

ところがひきこもりの若者のK君は、親の反対を押しきって自分で選んだ道であるにもかかわらず、数ヵ月で退学してしまいました。

しかしひきこもりの若者のK君はいつのまにか学校に行かなくなって、母親が気がついたときには、もう退学届けが受理されたあとでした。

なぜ辞めたのか聞くと、ひきこもりの若者のK君は「教師のレベルが低くて勉強にならない」とか「学生も馬鹿ばかり」などと答えます。

しかし、これまでの様子から、母親と姉は次のように考えており、それが真実のように思われました。

すなわち、ひきこもりの若者のK君はどこかの大学の工学部に入れる偏差値なのに、志望水準を落として専門学校に入ったのは、本人の見栄によるというのです。

しかしひきこもりの若者のK君は大学を受けて万一失敗するのは嫌だし、自分が学校の中でみとめられることで満足を得たいがために志望のレベルを落としたというのです。

だから、ひきこもりの若者の本人はゆうゆうトップクラスだろうと思って専門学校に行きました。

ところが、ひきこもりの若者のK君は他の学生がけっこう優秀なので、自信を失ってしまったのだろうというのです。

ひきこもりの若者のK君は今は昼間は寝ていて、夜起きる生活です。

ひきこもりの若者のK君は自室にこもりっきりで、CDを聞いたり、ビデオを見たり、パソコンに向かったりしています。

ひきこもりの若者のK君は外出することはほとんどありません。

ひきこもりの若者のK君は友達から電話があっても、いっさい出なくなりました。

ひきこもりの若者のK君は家族と会うことさえ避け、会話もかわしません。

ひきこもりの若者のK君は深夜だけ家のなかを歩き回ります。

ひきこもりの若者のK君は家族との会話を避けて、手紙でやりとりします。

ひきこもりの若者のK君は食事は自室のドアの前に運ばせて、終わると出しておきます。

ひきこもりの若者のK君は食べ終わったお盆に、母親あての手紙がそえられていることがあります。

ひきこもりの若者のK君は「自分をこんなにしたのはおまえだ」と、母親を責める言葉で貫かれています。

ひきこもりの若者のK君は3歳のころ、こんなことがあった、5歳のころこんなことを言われた等々。

父親にはとても見せられません。

ひきこもりの若者のK君を一所懸命育ててきたのに、こんな言われ方をしなければならないのか、と母親は悲しみと落胆と、驚きで、疲労困憊です。

ときどきひきこもりの若者のK君は自分の部屋の壁をドシン、ドシンとたたいたり、蹴ったりする音がします。

たまたまドアが開いていた時中をのぞいたら、壁がボコボコに穴だらけで、その無惨な壁の様子に背筋がぞっとしました。

同時に、こんなにひきこもりの若者の息子が苦しんでいるのだと改めて実感し、母親は優しくていねいに返事を書くようにしていると言います。

かつて、学生の無気力状態にスチューデント・アパシーという名称がつけられました。

ひきこもりの若者の彼らも、昼間はカーテンを閉めて寝ているなど、家に閉じこもりがちでした。

しかし、ひきこもりの若者の彼らは大学以外の場ではけっこう活躍していることがまれではありませんでした。

ひきこもりの若者の彼らは塾の教師のアルバイトをやっていたり、ボーイスカウトの指導者をやっていたという例もあります。

ひきこもりの若者の彼らはさらには、夜にボクシングジムに通い、その筋の良さに将来をおおいに期待されるボクサーとして育ちつつあった、などという例もありました。

ところが近年の「ひきこもり」には、こうした「元気な」部分が欠けていることが少なくありません。

そして、ひきこもりの若者の彼らは内面の鬱屈を母親に向けるなど、家庭内暴力と結びついていることもあります。

ひきこもりの若者に、もともとルーズな人はいません。

ひきこもりの若者は人と接する恐さをおさえて、几帳面にがんばってきた人達です。

こうしたひきこもりの若者は集団から脱落すると、おいてけぼりへの不安をいっそう強く感じます。

だから、ひきこもりの若者は外へ出て、がんばって皆と同じようにしなければ、と人一倍思うのです。

しかし、ひきこもりの若者はそれができない。

ひきこもりの若者はこの絶望的な焦燥感から、過去へと思考が向いていきます。

そして、ひきこもりの若者はこのような自分にした親を責めることになるのです。

ひきこもりの若者はこれが家庭内暴力として表現されるのです。

ですから、通常、ひきこもりの若者のその矛先は、自分の周りにいつもまとわりついていた母親へと向けられるのです。

ひきこもりの若者は年齢からいえば、すでに親から自立していくべき年齢ですから、これは本人の甘えにすぎません。

しかし、こうしたひきこもりの若者はよく、家でも「弱音を吐けない」とか「受容されていない」と言います。

事実かどうかは分かりません。

とはいえ、ひきこもりの若者は受け入れられず、弱音を吐けない、本当に甘えられない、そう感じてがんばってきたがんばりの糸が切れてしまった状態なので、この段階での甘えは、再生するために必要な甘えだといえるのかもしれません。

ひきこもりの若者は閉じこもっても、なにか趣味があれば、それを媒介にして再び外界へ歩きだせるものです。

ところがひきこもりの若者は、しばしば勉強一筋であったり、せいぜいお稽古事をやってきたぐらいで、自分が興味を持つものがないことが多いのです。

ひきこもりの若者の彼らには、思春期や青年期になれば通常獲得される、自分の力への一定の自信が育っていない点で共通しています。

このために、ひきこもりの若者は外界と交渉していくのがこわいのです。

とりわけ、ひきこもりの若者は同年代の人と接触するのが苦痛です。

ひきこもりの若者は同年代の人だと、競争になったり、対等の力が求められたりして、自分の能力のなさが明確になってしまうからです。