べき思考が強いと、安全基地になれない

もう一つ、よく出会う、「安全基地となることを妨げる要因」として、「~するべきだ」といった「べき思考」が強いことが挙げられる。

安全基地となり、愛着が安定する為の鍵の一つは、応答性である。

本人が笑えば、それに笑い返す。

本人が泣いて助けを求めれば、抱き上げる。

応答とは、本人が求めていることに応えることである。

うまく応えるためには、何を求めているのかを汲み取って、求めているものを与える必要がある。

おむつが濡れて泣いているのに、ミルクを飲ませようとしても、余計に嫌がるだけである。

本人の気持ちや求めているものを汲み取ることが、上手な応答には大事なのである。

ところが、「~するべきだ」という思考は、この応答性を無視してしまう。

本人が何を求めているのか、それを与えると本人がうれしそうにするのか、嫌がるのかといった反応さえも無視して、こちらが与えたいことを一方的に与えようとすることになる。

何時になったら、ミルクをどれだけ飲ませねばならないという事から始まって、いくつになったら、こういう習い事をさせるのが良いとか、良い大学に行くには、こういう勉強をしないといけないといった考えに、あまりにもがんじがらめになると、本人が何を求めているか、どう反応しているかを汲み取ることよりも、やらないといけないと思い込んでいることをやらせることばかりにシャカリキとなってしまう。

それは、本人の気持ちや求めているものに応えるという原則とはまったく正反対のことであり、結局、無理強いになってしまう。
無理やり食べさせられたのでは、どんなご馳走も吐きそうになるだろう。

勉強も、怒鳴られて無理やりやらされたのでは、楽しく思えるはずもない。

安全基地とは正反対なかかわりは、結局、その子のためにといくら労力と時間を費やしたところで、害にしかならない。

教えるのが上手な人は、無理に教えようとしない。

本人の興味を引くことをやってみせたり、驚きや感動を伝えようとする。

へぇー面白いな。もっと知りたいな、と思わせる。

どうして?

どうすればいいの?と自分から関心を示してくるのを待ってから、ようやく教える。

そんなふうに教えられた子どもは、自分から興味や関心を持ち、そのことを追求しようとする。

勉強など無理にやらせなくても自分でやるようになる。

安全基地としてかかわることが、結局、子どもの能力を最大限に引き出すことにつながる。