人は自分の怒りに恐れを抱くことも多いものです。
癒されない痛みを抱えた人は同時に、未解決の怒りをたくさん抱えています。
自分の怒りに十分気付いている人もいるし、怒りから目をそらし、理屈でごまかしているひともいます。
多くの人の、怒りを表わしたら何が起こるだろうという怖れは、現実とはかけ離れています。
人は怒り出したとき、声が高くなり、顔が紅潮し、身体は緊張します。
怒りと共に、怖れや悲しみを感じる場合もあります。
怒っているのに表現しないでいると、やがて予期しない時に怒りが爆発したり、間接的でねじれた形になって出てきたりします。
たとえば過食、不眠、皮肉、体調の悪化、暴力などです。
カウンセラーがもっともよく耳にする、怒りについての不安は、自分が怒り出したら「誰かを打ちのめしてしまう」というものです。
大抵の場合、これは文字通りの意味ではありません。
カウンセラーがクライアントに、「打ちのめす」とはどんなことを指すのか聞いてみると、一番よくある答えは、要するに誰かに向かって声を荒げることなのです。
それでも彼らは、自分には相手を打ちのめしてしまう力があると怖れているのです。
この考え方は、子ども時代の経験からきています。
親が怒鳴ったとき、多くの人はまるで打ちのめされそうに感じたのです。
壁際に追い詰められて、進退きわまったような感じがしたのです。
自分の生活がすべて粉々に崩れるような気持ちを味わった人もいるかもしれません。
誰かが声を荒げたり理性を失った行動をとると、子どもはどこかへ消えてしまいたいと思うものです。
たぶん親は、あなたがとった行動ではなく、あなたそのもの、あなたという存在に対して怒りを投げつけたことでしょう。
つまりあなたの本質を攻撃したのです。
自分の価値や存在意義を育てていくべき時期にこのようなことが起こったなら、あなたが「打ちのめされた」ように感じたのは当然です。
今も、もし誰かの考えに賛成しなかったり、誰かにノーと言わなければならなかったり、怒りで声を荒げてしまったりしたら、あなたは子ども時代に自分が傷ついたのと同じような形で相手を傷つけてしまったような気分に襲われるでしょう。
本当にそうなのか、考え直してみる必要があります。
ときどきは、あなたも声を荒げるでしょうし、ノーと言う必要もあるでしょう。
人の意見に反対する必要もあるでしょう。
相手の存在意義や、価値や、本質を攻撃することなく、相手の行動に対して怒りを表現する方法を学べばいいのです。
かつてあなたがされたことを他の人にしなくてもいいのです。
あなたの中には積み重なった怒りがあるかもしれません。
だからといって、あなたが今感じる怒りが、これまでのすべての怒りの総決算である必要はありません。
膨れ上がった怒りはどこか別の場所でまず表現して、それから現在の腹立ちのもととなった人に対して直接怒りを表わす必要があるかどうか、判断するといいでしょう。
覚えておいてほしいのは、いつどのように感情を表現するかについて一人で答えを出す必要はないということ。
あなたとアダルトチルドレンの回復のプロセスをともにする人が、方向を指し示せることは多いはずです。
なお、もしもあなたが身体的な暴力の存在する家庭で育っていたり、あるいはおとなになってから自分自身や他の人を身体的に虐待したことがあるなら、あなたが感じる怒りへの怖れは大きくて当然だし、他の場合よりも現実的な根拠があります。
怒りを表現するプロセスを安全なものにし、意味あるものにするためには、怒りの作業を手助けできるプロのカウンセラーの力を借りることを強くすすめます。