「何かを学べる機会」だと考える

「被害者モード」から抜け出すための考え方の一つに、「大きな視野を持つ」ということがあります。

生活を、そのときそのときの断片にふりまわされて暮らしていくと疲れますし、すぐに被害者意識に陥ってしまいます。

しかし、同じ現実でも、「これもきっと自分が何かを学ぶためのものだ」と考えれば、人生に主体的に関わっている感じがしてくるはずです。

学べることが何なのか、わからなくてもかまいません。

「きっと何かを学ぶ機会なのだろう」と思うだけで「被害者モード」から脱することができるでしょう。

後になってみればその意味がわかるのだろう、と思うだけでも楽になります。

明らかに被害者の場合でも

例えば、忙しいときに仕事をふってくる上司に悩まされている場合。

形としてはこれは明らかに「被害者」です。

もちろん上司に無意味にふりまわされる必要はなく、断れるものであれば、自分の事情を話して断ればよいでしょう。

「あなた」のことではなく「私」のことを話すようにするのです。

仕事を振ってくる上司は、本人がすでにいっぱいいっぱいになっていることが多いので、そこに「あなた」メッセージを送ってしまうと、ひどい反撃を食らう可能性があります。

そうは言っても、どうしても断れない状況というものも少なくないと思います。

そんなときに、「上司が仕事を振ってきた」というところにとどまっている限り、被害者意識が次々と苛々を生み出していきます。

その仕事がうまく進まないときにも、それを仕事の問題として考えるのではなく、「そもそも上司が仕事をふってきたからいけないのだ」というところに戻ってしまうでしょう。

どれほど理不尽な形で押しつけられたとしても、引き受けざるを得ない仕事であれば、やはり「被害者モード」から脱してしまった方が自分にとってずっと楽です。

大きな視野を持ってみよう

こんなとき「被害者モード」から脱するためには、「仕事をふられた」という小さな一点を見つめるのではなく、「自分はどういう姿勢で仕事をしたいか」という大きな視野を持ってみます。

同じ仕事なら、いやいやするのではなく、集中して主体的に取り組む方が人生の質がぐっと上がるはずです。

「上司が理不尽に仕事を振ってきた」というところにばかりとどまってしまうと、自分は被害者でい続けることになりますが、「上司が振ってきた仕事であっても、取り組むのは自分だ」と考えることによって、「被害者モード」から脱することができるのです。

これはまるで、状況を考えずに突然仕事を振ってくる上司を大目に見てあげているように思われるかもしれませんが、イライラし続けることで損なわれるのは、上司の時間ではなく自分の時間なのです。

我慢するのをやめてみよう

イライラは、自分の「我慢度」を反映したものでもあります。

我慢は究極の被害者意識ですから、「被害者モード」から脱するために、我慢についてここで紹介します。

私たちは社会生活を送るに当たって、確かにいろいろな我慢をしています。

そして、当面、それを手放すことができない人も多いと思います。

いくら電車内で化粧をした方が長く寝られると言っても、やはり自分が車内で化粧をするのは抵抗があるでしょう。

「我慢をやめて、車内で化粧してもよいですよ」と言われても、そう簡単な話ではないと思います。

もちろん、我慢をやめようと決めれば自由に行動できる人はいて、それはそれですばらしいことです。

しかし、多くの人が、そこまでのリスクを冒せないものだと思いますし、その必要もないでしょう。

させられている人からしている人へ

そんなときには、「行動を変えずに我慢をやめる」という選択肢があります。

これは、「行動と心の姿勢を区別する」という考え方です。

どういうことかと言うと、「電車内で化粧をしない」という行動について、「させられていること」ではなく、「していること」にするのです。

被害者役をやめて、主体性を取り戻すのです。

「自分は自分の判断に基づいて、こうしているのだ」ということを意識してみます。

マナーを大切にしたい。

全体に余裕のある生活をしたい。

きちんとした人だと見られたい。

そんな思いから、現在のライフスタイルを選んでいるのだ、ということを自覚してみるのです。

「本当は自分だって化粧をした方が長く寝られるのに」という被害者意識にとどまっているときとは比べものにならない力を感じると思います。

まとめ

どうしたらイライラせずに生きられるのか?

  1. 身のまわりをきちんとすることによって、主体的に生きている感覚を養おう。
  2. トラブルがあっても、「何かを学べる機会」だととらえよう。
  3. 大きい視野を、持つようにしよう。
  4. 我慢はやめよう。
  5. させられているのではなく自分の判断に基づいてやっていると考えよう。