ショックな出来事とは

ショックな出来事から日常を取り戻すことの大切さ

日常には、死別や離婚など強いショックな出来事があります。

そのショックな出来事から立ち直るため、ここで「まずは日常を取り戻してから、現実的な行動をとる」という順番は案外重要です。

まだショックな出来事下にあるときは、何を考えても正しくないような気がしてしまって、グラグラしてしまうものだからです。

「二度とショックな出来事を受けないための、厳しいチェック」はそういうところにも及ぶのです。

いったん何かを決めても、「それはやはり間違った選択なのではないか」という思いが出てきてしまい、エンドレスにグラグラする、ということにもなりかねません。

また、「もう40歳!」というショックな出来事から、衝動的に結婚相手を選ぶのは、お勧めできることではありません。

そんなときには前のめりになってしまい、冷静な判断ができないものだからです。

後になって悔やむことになる結果を招くかもしれません。

自分の日常生活が落ち着きを取り戻してから、「そもそも本当に結婚したいのか」「結婚した場合、どこまで生活が変わることを受け入れられるか」といったことを冷静に考えてみたほうがよいでしょう。

40歳ともなると、かなり自分のライフスタイルが確立しているからです。

ショックな出来事が去って、また仕事とのつながりが取り戻されてくる中で、孤独感も減じ、「ひとりの人生もよいかも」という気持ちが出てくるかもしれません。

ショックな出来事を受ける時期には、普段は「ひとり」でいられる人でも、孤独を強く感じてコントロールできない、ということが起こり得ます。

ですから、やけに孤独を感じると思うときには、「自分はそれほど孤独なのだ」と結論を出すのではなく、自分が何らかのショックな出来事を受けたのではないかということを振り返る習慣をつけておくと、とてもいきやすくなります。

自分がショックな出来事を受けたのだと認め、そんな自分をいたわりつつ、まずは日常生活を取り戻すことを意識するだけで、「ひとり」はずいぶん楽に感じられます。

ポイント:ショックな出来事を受ける時期には、普段はひとりぼっちでいられる人でも孤独を強く感じてコントロールできない

ショックな出来事から回復する悲しみのプロセス

「べき」の呪縛から、自分を解き放とう

今の時代は、ますます未婚率・生涯独身率が高くなっています。

そのような人の中には、よい出会いがなかった、というケースもあれば、結婚をすることの負担などマイナス面が目についてしまい、ひとりで生きていったほうがよい、と考えているケースもあると思います。

自分が未婚者である場合、どうしても幸せそうな家族が目につきがちだと思います。

家族で仲良くしている人たちが目に入ったり、子どもが産まれた、孫ができた、などというニュースを聞いたりすることは、いちいち衝撃的かもしれません。

その結果として強い孤独を感じることも多いでしょう。

そんなときには、まずはショックな出来事による強い孤独感から立ち直ることで解決していくのですが、それでも「ひとり」でいる限り、ショックな出来事は受けやすいと思います。

そんなときは、その前提にある思考を考えてみると、少し道が開けてくるでしょう。

その思考とは、「人間は結婚して家庭を作るべき」というようなものです。

これは、一昔前にはある程度「常識」と呼べたもので、そこから外れる人は「かなり変わっている」「よほど事情がある」と見られたものです。

しかし、現在の時代を見れば、すでに「人間は結婚して家庭を作るべき」という考えが現実に合っていないことがわかります。

未婚者どころか、恋人すらいない人がかなりの割合をしめているからです。

また、いったんは結婚したけれども、結局、離婚することになった、という人もとても多いです。

ですから、まずは「人間は結婚して家庭を作るべき」の呪縛から解かれる必要があるでしょう。

もちろん、結婚したい人・できる人は、結婚生活を楽しんでいけばよいのですが、そうでない人にまで現実に合わない「べき」を適用すると、歪みが出てきます。

結婚していない自分が「人間としてどこか足りない」と感じられてきてしまったりするのです。

ひとりぼっちが楽になるための第一歩は、「ありのままの自分」を認めることです。

いろいろな事情があって、結婚していない自分のありのままを認めてみましょう。

ポイント:結婚していない自分の事情を認め「ありのままの自分」を受け入れる

この地球上で私たちは共生している

その上で、これだけ多様化した時代に、「結婚」「家庭生活」という小さな枠にとらわれずに生きていく、ということを考えてみるのもよいと思います。

結婚していようとしていまいと、この地球上で私たちは共生しているのですから、一人の地球市民として、大きな「地球」という家族を考えてみるのはどうでしょうか。

既婚者を羨ましく見るのではなく、いずれ社会を支えてくれる子どもたちを育ててくれている人として、自分もできるだけのサポートをする、あるいは、遠く離れた子どもたちのために少額でも寄付をする、などいろいろな支え方があると思います。

これからの世代を支える環境について取り組むのもよいでしょう。

「ひとり」ということは、それだけ自由がきくという側面があります。

子どものいる既婚者の多くが家庭に縛られている間に、自分は違う形で次世代をサポートできる、と感じられれば、まさにそのとき心は「与える」姿勢になっており、孤独感からは解放されるのではないでしょうか。

もちろん、「べき」から解放されれば、結婚していない自分を後ろめたく思う気持ちなどなくなるはずです。

もしも「べき」を押し付けてくる人がいたら、「それぞれの人には事情がある」ということを知らない人なのだな、と考え、「なかなかご縁がなくて」程度に流しておけばよいでしょう。

自分の問題として受け止める必要は全くありません。

ポイント:「べき」を押し付けられても自分の問題ではない

大切な人を失ったとき

その他、ショックな出来事な形ではなくても大切な人を失ったというようなときには強い孤独を感じるものです。

そんなときにもやはり時期に特有の「当然の感情」を知っておくと役に立ちます。

人は、大切な人やものを失ったとき、「悲しみのプロセス」を経る必要があります。

全体に内向きになり、外的な活動性を低下させ、自分をいたわる時期を持つ必要があるのです。

大切な人を失うと、どうしても「いなくなってしまった」というところにだけ目が行ってしまいます(失い方がショックな出来事であると、その傾向はさらに強くなります)。

しかし、「悲しみのプロセス」の中で、失った人との過去や、そのときの自分の感情などを思い出し、それについていろいろなことを感じる、ということをしていくと、「いなくなってしまった」という一点だけにとらわれていた視野が、少しずつ広がっていきます。

そして、相手はただの「いなくなってしまった」人でなく、その人らしくさまざまな体験をしながら生きた人なのだ、ということを認識していくようになります。

もちろんそこには、自分との関係性も含まれます。

ここまで来ると、死別であれば「生きていた時よりも近くに感じる」というような境地に達することもありますし、離別であれば、「それぞれがベストを尽くしたけれども別れるしかなかったのだ」ということが腑に落ちてくることもあります。

「悲しみのプロセス」の基本は、「過去を思い出し、いろいろと感じる」ことにありますから、その間「今」とのつながりが絶たれていることも多いものです。

ですから、もちろん強い孤独を感じることもあります。

重要なのは、その孤独は、このような時期には当然の感じ方だという認識です。

大切な人を失った自分が絶望的に「孤独」だという意味ではなく、「悲しみのプロセス」を通っている最中だということなのです。

いくら悲しんでもよいし、後悔や怒りなどいろいろな感情が出てきてよいのだ、と自分に優しくしてあげてください。

この時期に支えてくれる人がいるとよりよいものです。

「支えてくれる人」というのは、もちろん共感的に気持ちを肯定してくれる人のことです。

あるいは、失った人をよく知っていて、いろいろな思い出話を一緒にしてくれる人も貴重な存在です。

そういう人と話すことによって、失った人との関係をより多面的に見ていくことができますし、自分ではアクセスできなかった感情を感じることができるかもしれません。

「悲しみのプロセス」を経ると、再び「今」につながることができるようになります。

すると、「今」の自分の周りにいる人たち、「今」の自分に必要なことに、心を開けるようになってきます。

孤独も和らぎ、笑いや生きる気力も取り戻されてくるでしょう。

ポイント:喪失体験をしたときは、自分をいたわることを最優先に

まとめ

ショックな出来事を受けたときは孤独を感じてしまい、感情をコントロールすることができなくなる。
そして、仕事などでつながりを取り戻すことが大切になります。

「べき思考」をやめると生きるのが楽になります。

大切な人を失ったりすることで悲しみのプロセスを通っています。

そして悲しみのプロセスを通して今とのつながりを作っていきます。