愛着が安定した人では、つねに肯定的に物事を受け止めようとする。

ありのままを寛容に受け入れ、悪い点よりも良い点に目を向け、その物後が与えられたことを喜ぼうとする。

一方、愛着障害の人は、悪いところにばかり目が行がちで、現状を喜ぶよりも、不満や怒りや攻撃が多くなってしまう。

現状がまったく同じであったとしても、そうした受け止め方の違いがあるために、愛着障害の人では、自分にも他者にも、この世界にも、人生にも否定的な評価をしてしまうので、どうしても幸福度が下がってしまう。

同じような境遇を生きていても、面白くない人生になってしまう。

それは、損なことである。

これを変えていくためには、物事をありのままに受け止めることが大事になる。

わるいところを非難したり不満に思うよりも、良いところに目を向け、そこに満足や喜びを見出せると、ずっと生きやすくなる。

ありのままに受け止める実践的修練として、今、その効果が注目されているのが「マインドフルネス」や、マインドフルネスを取り入れたカウンセリングである。

マインドフルネスとは、物事を良い、悪いで価値判断するのではなく、ありのままに感じることで、豊かな気づきを得ることである。

もともとはサンスクリット語の「sati(気づき、悟り)」を英語に訳した言葉で、とらわれを脱し、自由な境地を得ることを意味する。

マインドフルネスは、ヨガや瞑想から発展したものだが、キリスト教の文化圏でも受け入れやすいように、宗教色を取り去った純粋な心理的技法として確立されたことで、急速に普及している。

科学的にその効果が立証され、医学的な治療にも採り入れられている。

うつや不安やイライラ、怒りに非常に効果的であることが裏付けられており、単に認知だけでなく、身体的な反応にも働きかけることで、より深い効果を生んでいる。

愛着障害の人では、悪い点に目が向いてしまうことで、不完全な自分や他者を否定的に評価してしまうが、それがうつやイライラの原因にもなる。

現状が70点で、まずまず合格点だったとしても、百点の理想の状態と比べて、まったくダメだと思ってしまう。

マインドフルネスでは、認知療法のように、その受け止め方が「偏っている」といったことは問題にしない。

偏った受け止め方を良い受け止め方に直そうということもしない。

なぜなら、そうすることが、また「理想の状態でなければいけない」と考えることにつながるからだ。

治そうとしている状態を、また「理想の状態でなければいけない」と考えることにつながるからだ。

治そうとしている状態を、また作ってしまうことになるからだ。

マインドフルネスでは、良いとか悪いとかいった価値判断はせず、ありのままに受け入れてそれを感じることを目指す。

良いとか悪いとかいった価値判断から自由になることを目指すのだ。

価値判断とは、ある意味で「とらわれ」である。

今現在、うつとか不安といった症状があっても、それを「治さねばならない悪いこと」とみなさず、そのまま受け入れようとする。

症状を治すことにとらわれないことで、症状から自由になる。

こうした発想も、症状を治療目標にしない愛着アプローチと親近性が高いといえる。

ただ、マインドフルネスも、愛着アプローチと同様、ただ頭でわかっても実践できるわけではない。

修練を積むことで「身に付けて」いく必要がある。

実践する中でしか、会得できないのである。

しかしいったん身につくと、些細な日常も、味わい深い発見に満ちた新鮮な体験になる。

不調なことやうまくいかないことがあっても、それが悪いこととはならず、「これも人生の味わいの一つだ」と、大切に感じられる。

何か特別なことをしなくても、ここにあるということ、存在するということ自体を楽しめるようになる。

そうした境地にたどり着くためには、どうしたらいいのか。

マインドフルネスでは、生きることの原点である「呼吸」や「体の感覚」に注意を向け、それをありのままに感じることから始める。

そこを基本にしながら、不快な体験や不安な感覚もありのままに受け止め、味わうことで、乱されない心と豊かな気づきを手に入れていく。

マインドフルネス体験は、母親の腕に抱かれた子どものように、ありのままに受け止められ、包まれるような体験だともいえる

それが、愛着障害を抱えた人にもなじみやすく、また体得すると、自分一人でもできるようになるので、安全基地に恵まれない人にとっても、安心の拠り所を与えてくれる体験となる。