ハーバード大学の心理学教授エレン・ランガーの「Mindfulness」という本に、ネズミの実験が出ている。

その内容は以下の通りである。

実験用のネズミを氷水に入れてもすぐには溺れない。

なんと40時間から60時間も泳いでいる。

しかしすぐに水に入れないで、ネズミを捕まえて、もがくのをやめるまで押さえておく。

それから水に入れると、泳がないで30分で溺れて死んでしまうという。

ネズミはもがくのを押さえられて、無気力になったのである。

無気力とは、対処能力の喪失である。

人が怖い人は生きているが、この無気力になった「最後の30分」を生きているようなものである。

だから生きていること自体が苦しい。

普通のネズミが泳いでいるのと、もがくのをやめて絶望してから水に入れられたネズミが泳いでいるのは違う。

魚も、中には泳いでいることを楽しんでいる魚もいれば、苦しんでいる魚もいるのである。

同じように生きているからといって、生きているということは、それぞれの人間にとって、まったく違った意味をもっている。

人が怖くなるような人にとっては、何をやっても意味がない。

人が怖い人は生きていてもこの先も、またその先も同じつらいことばかり。

人が怖い人は無理して億劫なことをしても、それに意味があるわけではない。

絶望したときの感じ方が、何をするのも億劫という感じ方である。

絶望したネズミの30分の間が、何をするのも億劫ということである。

30分の間は何をするのも億劫だけども、生きるためにしなければならないことをしている。

同じ受験勉強といっても、人が怖くなるような人の受験勉強はこの30分の中での受験勉強なのである。

だから一度落ちると、もう頑張ることができない。

もともと受けること自体、希望に燃えて受けているわけではない。

努力してけなされて、さらに努力してけなされて、それで頑張ってきたのである。

億劫にはふたつの顔がある

この「30分間」を生きている人の億劫は、普通の人がいう億劫とは意味が違う。

普通の人の億劫とは、手抜きをするときのさらに一歩進んだ感じ方であろう。

普通の人にはまず、好きなことがある。

好きなことをしていれば楽しい。

しかし人は、好きなことだけをして生きていかれるわけではない。

そこで好きではないこともする。

嫌いなこともしなければならない。

そんなときに私たちは手抜きをする。

そのときの感じ方よりさらにもう一歩進んだ感じ方が、普通の人の億劫である。

人が怖い人の感じる億劫とは、この億劫ではない。

心理的健康な人がパーティーに行くのでお風呂にはいらなければならないとする。

行きたいパーティーならお風呂に入るのは億劫ではない。

しかし心理的健康な人といえども、もしそのパーティーが嫌いなら、お風呂に入ることを億劫と思うときもあるだろう。

心理的健康な人の億劫とは、「今、お風呂に入るのが億劫」なのである。

それはそのことだけが億劫なのであって、生きることに力尽きているわけではない。

人が怖い人の億劫はその部分のことではなく、「生きていること全体」である。

人が怖い人にしてみれば、生きていることはつらいことばかり。

何もかもが億劫なのである。

人が怖い人の治療に運動がいいといっても、人が怖い人はその運動自体をお億劫がる。

人が怖い人の億劫は、心が死にたいときに感じている億劫である。

自分では死ぬこともできない。

心理的健康な人が億劫というときには、そのことに興味がない。

その好きではないことをしなければならないときに億劫なのである。

あくまでも「このことが嫌」というのが、心理的健康な人の億劫である。

自分がそれを嫌いだからしたくないだけである。

生きることそのものがつらいわけではない。

人付き合いが怖い人は自分にも相手にも敵意を持っている。

「何かが嫌いだからそれをしたくない」というのではない。

死にたいけど死ねないのである。

生きることそのものがつらいのである。

絶望したネズミは水の中で30分泳いでいるが、死にたいのだろう。

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人が怖い人の心理的基盤

人が怖い人の感じる億劫は、「私は、もう生きていることだけで、精一杯だ」という悲鳴である。

「もうこれ以上、何かを要求しないでくれ」ということである。

人が怖い人は「私はもうこれ以上、生きていることの負担を背負えない」と悲鳴をあげている。

それなのに、まだ何かすることを周囲から求められている。

もともと「もうダメだ」と思ったところから、生きることが出発している。

倒れたところから出発している。

心理的健康な人は元気なところから出発している。

人が怖い人と心理的健康な人では、生きている基盤が違う。

心理的健康な人は、人が怖い人に「お風呂に入ったら、気持ちがいいわよ」という。

そして心理的健康な人は、「お風呂に入ったらこんなに気持ちがいいのに、人が怖い人は何でお風呂にはいらないのだろう?」と思う。

しかし絶望して生きている人が怖い人にしてみれば、それは億劫なのである。

ネズミが「自分はもうダメだ」と思った。

そこから水の中で30分泳いだ。

その30分の泳ぎの中で何かをするから、何をしても「ダメに決まっている」と思うのである。

人が怖い人は絶望したところから人生が出発しているのに、考え方が悲観的だといわれても、どうしようもない。

考え方が悲観的なのは当たり前なのである。

そしてアメリカの精神科医カレン・ホルナイは、この絶望感は妬みが発展してくる基盤であるという。

人のいうことを素直に聞けるわけがない。

人が怖くなった人からすれば、周りの人が何を言っても「誰も私の辛さをわかっていない」のである。

そして、その通りであろう。