人間関係に疲れている人は、なぜ増えたのか

人間関係に疲れている人が増えている。

上司と部下。夫と妻。親と子。先生と生徒。PTA。ママ友。さまざまな関係性の中で、対人ストレスを感じて、多くの人が苦しんでいる。

働く人の55.7%が「強い不安やストレスを感じている」というデータがある。

その具体的な中身を見ると、「仕事の質と量」の次に大きく占めるのが「対人関係」だ(強い不安やストレスを感じている人のうち36.4%の人がその要因として挙げている<厚生労働省「平成27年 労働安全衛生調査」>)。

また、他のデータでも、母親の9割が強い疲労感を感じ、精神的な疲労の原因のトップは人間関係だ。

ちなみに、その対象は、夫、同僚、姑の順だ(フジ医療器「お母さんの疲労事情と解消法調査」2017年4月)。

就職して三年で辞めていく新人が3割を超える時代。

その理由として休日などの労働条件についで「人間関係が良くなかった」を約20%の人が挙げている(厚生労働省「平成25年 若年者雇用実態調査」)。

アルフレッド・アドラーの心理学を紹介した『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健著、ダイヤモンド社、2013年)という本が、100万部超のヒットとなった。

関連する本や番組も数多い。

アドラー心理学がなぜこれほどまでに注目されたのか。

まず火付けとなった本の『嫌われる勇気』というタイトルが今の日本人の潜在的な欲求を見事に捉えたのだろうと分析している。

私たちは、「人に嫌われたくない」「他人に好かれなくてはいけない」という強い意識を持っており、それに縛られ、疲れている。

そこに、「嫌われる勇気」を持ちなさい、持っていいのだよというタイトルが、多くの人の心に光を与えたのだろう。

さらに、アドラーの主張も、現代日本人の心に響いた。

アドラー心理学のおもな特徴をまとめると、

「すべての悩みは、人間関係にある」

「悩みは、記憶や経験などの過去の原因から生み出されるものではなく、その人の陰の欲求により生ずる(例えば、親に心配されたいから学校にいけない)」

「人の評価など気にせず、自分の幸せは、自分で勝ち取るべきである」

という3点になるのではなかろうか。

人付き合いに疲れる現代人は、人の目を気にして我慢してばかりの自分の性格を、つい過去や親や教師など他人のせいにして考えがちだ。

ただ、そのような「他者依存的思考」は、その場は楽でも主体性を失う。

今の苦しさは、過去と相手が変わらない限り、変えられないものになってくるからだ。

アドラーの主張は、自分の行動は自分で責任を持とうということ。

つらいが、主体性を取り戻せるので、結局一番楽に生きられることになる。

アドラー心理学が日本と韓国のみで流行した理由

ただし、アドラーは、100年前のヨーロッパの心理学者だ。

本質はついていても、私たち現代日本人にとっては、少し偏ったアドバイスになっているような気がする。

アドラーが生きた時代・地域・文化と、現代日本では、状況がかなり異なるのだ。

端的に言うと、私はアドラーの時代より現代日本人のほうが、より精神的に疲弊していると感じている。

だから、「自己責任」といわれると、正論だけに苦しくなる。

また、西洋人と日本人の差もある。

西洋人は、合理的思考に慣れている。

しかし日本人の文化は「和」、つまり他人のことを思いやる思想が根底に流れている。

現代の情報化社会を生きることに疲れた人が、さらに他人に気を使わなければならない。

だから対人関係での疲れが現代的なテーマになっている。

実際、アドラーがもてはやされているのは、日本と韓国だけだという。

人に気を遣う文化だ。

一方で、他人に気を遣う文化は、人の目を気にし、内省する文化でもある。

内省すると、自分の悪いところはいくらでも目に付く。

アドラーの言うことはわかるが、その通りにできない自分がいるとき、日本人は自分を責めてしまう。

実際、アドラーの本を読んで感動し、「他人の評価を気にしない」ように努力し、「自分の行動の背後の欲求を分析し、問題解決に努力した」が、結局長続きせず、最終的には、以前より落ち込んでしまった人は何人もいる。

先ずは私たち現代日本人を取り巻く人間関係を、少し客観的に分析することから始めたいと思う。

そこで、まずは私たち現代日本人を取り巻く人間関係を、少し客観的に分析することから始めたいと思う。

多くの人にうっすらと広がる「人が苦手」「人を避けたい」「人嫌い」の雰囲気は、いったいどこからきているのだろうか。

現代人は、人間関係で疲れる以前に疲れている

まず、意識しておいてほしいことがある。

ここでは、現代人の対人的な疲れに焦点を当てているが、そもそもそれ以前に、現代日本人は「疲れて」いるのだ。

現代日本人は、情報過多と選択肢の増加、社会変化のスピードの速さなどで、消耗しているのだ。

そもそも人付き合いは、面倒くさいものだ。

元気な時なら、その面倒くさいこともなんとかこなせる。

しかし、エネルギーが低下すると、「人間関係」が、大きな苦痛の種になってしまうのだ。

ここには、ある解決策のヒントが潜んでいる。

それは、「対人関係に疲れたら、その対人関係を改善しようと努力するのではなく、まずは自分の疲労を回復させなさい」ということだ。

対人関係は苦しさの原因ではなく、結果であることが多い。

その仕組みに気が付くと、対人関係ゲームで一層エネルギーを消耗するという悪循環から脱出することができる。

価値観の多様化から生まれた「人嫌い」

もちろん、人間関係の在り方が変化していることも、対人関係の疲れに大きく影響している。

一番大きいのは、「価値観の多様化」だ。

現代の日本では基本的に衣食住の心配はなくなり、生活は豊かになった。

私たちは明日の食べ物を心配することはない。

経済の発展は、いろいろな選択ができる世界を可能にしてくれた。

いわゆる「多様な価値観」が存在できる時代になったのだ。

しかしそれは同時に、私たちに新しい負担も与えている。

少し前の、日本の一般的な職場をイメージしてほしい。

男性はネクタイとスーツ、女性の事務職は制服。

これらの服装は、機能重視で皆同じ。

おしゃれ心を満足させるにはほど遠いが、とにかくそれさえ着ていればよかった。

休憩のランチタイム。

街にお店は多くはなく、持参した弁当をいただくのが普通。

社員食堂があれば御の字だ。

「今日はどこに行こうか」という楽しみはないが、少なくともA定食かB定食を選べば、効率良くランチをとることができた。

今はどうだろう。

グンと選択肢が広がり、自由だ。

素晴らしいことのように思う。

ただ、自己主張が上手な欧米人と比べ、日本人は、周囲とのバランスを大切にする。

悪く言えば周囲の目を気にする。

制服がなくなれば、代わりに会社に行く時の服装には、TPOやセンス、周りとのバランスが求められる。

ランチは人間関係を維持するための重要な時間となる。

誰とどこに行くかだけでなく、料理も自分の好みだけでなく、同行する人にどう見られるか、迷惑をかけないかなどを考えながら、注文しなければならない。

もちろん昔もそのような気配りはあったが、現代社会ではそれぞれの自由が認められるだけに、人に気を遣い、他人と歩調を合わせなければならない機会が、圧倒的に増えているのだ。

また、価値観が多様化した分、ちょっとした行き違いも起きやすい。

管理職にあるAさんは、髪を切った部下の女性に、何と声をかけていいのかわからなかったと嘆く。

Aさんにしてみれば、彼女によく似合っているし、部下と気軽な会話をして、職場の雰囲気を明るくしたいだけである。

「でも、セクハラに関する社内研修で、発言は仕事に関係があるのかどうかが基準です、って言われたのを思い出したんです。

そう考えると、髪型は仕事に関係ない。

だから、余計なことは言わないでおこう、って決めたんです」

以前はなかった「セクハラ」という概念。

もちろん、それにより救われるケースも多くあるが、一方で、これまで存在しなかったAさんのような悩みが生じている。

パワーハラスメント、モラルハラスメント、マタニティハラスメント・・・。

「ハラスメント」一つとっても、それだけ概念と言葉が増え、気を遣う事項も増した。

人間関係を取り巻く葛藤も、その分、多くなる訳である。

他にも、例えば会社の「飲み会」。

以前は職場の飲み会に誘われたら、「参加」が前提だった。

今は参加を募る。

出席か欠席か、選べるのだ。

「出席が当たり前」と考える上の世代にとって、飲み会は、普段話せないことを気楽に表現し、分かり合うための大切な機会だ。

しかし、若い世代は、勤務時間外はプライベート優先で、他の用事があれば欠席を選ぶ。

どちらが正解でもない。

同じ「飲み会」に対する価値観が違うだけである。

「なぜ若い世代は平気で断るのか」

「なぜ上の世代は飲み会を重視するのか」、その葛藤は、お互いの批判も含む。

それはエネルギーを使うし、疲れるのである。

その他にも、「仕事は一生懸命やるもの」という前提と、「ワークライフバランスが大事」という考え方。

年配者が偉いという年功序列と、実績のある人が偉いという成果主義。

働く場面だけでも、さまざまな価値観が存在する。

さらに、結婚や人付き合いに関しても価値観が揺らいでいる。

現代は、一人でも快適に生きていける時代だ。

コンビニで食事が調達でき、インターネットがあれば娯楽や情報収集にも事欠かない。

昔は家事が重労働だったから、いつまでも一人でいるのも大変で、結婚して家庭を持つのが当たり前だった。

当然、夫婦や家族、親戚などの人間関係はさけられなかった。

今は「家庭を持って一人前」という感覚も薄まり、独身者の割合も増えた。

一人で十分ラクで快適なのだから、面倒な人間関係はなるべく避けたくなるのだ。

孤独は嫌だ、でも疲れることはもっと嫌だ

このような価値観の多様化は、人との摩擦の機会を増大させていると考えることができる。

これまで同じ方向に向かって歩いていた群衆が、ある時点でバラバラに進み始める。

当然、行く手をふさがれ、ぶつかり、よろめきながらあるくことになる。

それでもそれが社会なら、一つ一つの衝突を「社会人としての忍耐」で乗り越えなければならない。

ただ、それは結構「疲れる」のだ。

人間は、本質的に孤独は苦手だ。

でも、それ以上に「疲れること」を避ける傾向にある。

孤独はインターネットで捕える今、疲れる人間関係は敬遠される。

結果、人嫌いが増えているのである。