人付き合いが苦痛な人はどうでもいいことに腹を立てていないか?

あなたは誰かに上手く騙された

人付き合いが苦痛な人は汗水たらして働いて貯めたお金を騙し取られた。

そいつが人付き合いが苦痛な人は許せない。

悔しい。

腹を立てることが地獄。

それをしっかりと毎日自覚する。

これを自覚していないから、人生を間違える。

しかし今の世の中には安らぎがどういうものか分からない人がいる。

心がすさむと安らぎが分からない。

安らぎが分からないから心がさらに荒む

こうして人付き合いが苦痛な人は悪循環に陥る。

悪循環に陥るということはエネルギーを回復する機会がないということである。

たくましい人は悪循環に陥らない人である。

エネルギーを回復する機会を持っている。

執着性格の人のように休めないという人付き合いが苦痛な人はどうしても燃え尽きてしまう。

たくましい人は休みなく戦い続ける人ではなく、エネルギーを回復する機会を持てる人である。

犬好きな人は犬といると、その悔しいことが、どうでも良いことになる。

やられたことだけが問題なのではなく、やられた時の自分の心理状態も問題なのである。

人付き合いが苦痛な人はどうでも良いことに腹を立てている。

もし好きな犬といれば、今の人間関係のトラブルはどうでも良いことに感じるかも知れない

でもその好きな犬がいない時にはそのことが悔しくて眠れなくて体調を壊して命取りにさえなりかねない。

『ブレイン・スタイル』という本の内容の解説の中で「敵は自分の限界を教えてくれる。

負けた時に、負けて悔しいという感情に捕らわれて、仕返しをしようとする。

そして自分の一生を無駄にする人もいる。

負けた時に、このような喧嘩をすることが自分の長所ではないと知り、自分の長所に自分のエネルギーを向ければ、意味のある人生になる。

もし仕返しということがあるのであれば、そのように生きた時である。

自分の長所で生きて、自分の人生を素晴らしいものにした時に、仕返しをしたのである」と記してある。

何度も騙される人付き合いが苦痛な人が抱える心理的欠陥

騙す人と騙される人とでは、騙す人が悪い。

しかしもし人付き合いが苦痛なあなたが何度も騙されるとしたら、やはりそこに自分の心理的欠陥を考えなければならない。

おそらく人付き合いが苦痛な人はそれは寂しさとか劣等感であろう。

人付き合いが苦痛な人は人のお世辞に弱かったり、見せかけの好意に弱かったり、その場の善意の言葉に弱かったりと何らかの問題を心に抱えている。

あるいは依存心の強さである。

例えば、人付き合いが苦痛に感じているあなたがある人にいいように利用されて窮地に立たされたとする。

その時に善意の顔をして近寄ってきた人がいる。

あなたは助けてもらいたい。

そこでその人の言葉を信じてしまう。

信じる方が自分にとって有利だから信じる。

自分が心理的に楽だから信じる

人付き合いが苦痛な人は相手の人柄を見てその言葉を信じるのではなく、信じる方が自分が救われるから信じてしまう。

それは相手を見ているのではなく、単に相手を通して自分の願望を見ているに過ぎない。

カレン・ホルナイの言葉を使えば外化である。

人付き合いが苦痛な人はそこでもう一度騙される。

例を挙げると、ある人はアメリカで不動産会社の人に騙されて、困っている時に、ある弁護士が近づいてきた。

そしてその弁護士は不動産会社の人を非難した。

「外国人を騙すのは酷い」と言った。

騙されて困っている人にはその言葉はありがたかった。

そしてその弁護士にこの案件の解決を依頼したらもっと酷く騙されてしまった。

困った時に突然近づいてくる人はまず質の悪い人である

困った時はそれまでのつきあいのある親しい人に助けてもらうのが筋で、いきなり助けてくれる人を期待するのは幼児的願望が強過ぎる。

現実の世の中には質の悪い人もいれば誠実な人もいる。

そこで人から何かを期待している人付き合いが苦痛な人は、常にトラブルに巻き込まれる。

ここではアメリカでの例を記したがこれは何もアメリカに限ったことではない。

日本でも全く同じである。

困った人を見て、美味しい獲物がいると思うのはずるい人の習性である。

溺れかかった人付き合いが苦痛な人は海賊船でも助けを求めてしまう。

お金に困っていない人は騙しにくいが、お金に困っている人は騙しやすい

だから困った人付き合いが苦痛な人の周りにはずるい人が集まる。

それは「街金」とか「闇金」とかいう言葉を考えても分かるであろう。

こういう人達を金融業者と言って良いかどうか分からないが、彼らはお金に困ってどうにもならない人からお金を搾り取る。

お金に困った人からお金を絞り取る方が、お金持ちからお金を取るよりも易しいからこういう職業がはやるのである。

そうした騙された人のリストが、業者に出回ることが、それを表している。

彼らは騙された人を見て、カモと見て、自分も騙しにかかる

事実その通りに騙される人付き合いが苦痛な人は何度でも騙される。

これはそうした詐欺師のような職業の人たちであるが、それほど質の悪い人ではなくても、困った人付き合いが苦痛な人を見ると「この人から甘い汁を吸える」と思う人が多いのは確かである。

「困った時に助けを求めたら酷い目に遭った」と言う人は沢山いる。

そういう人付き合いが苦痛な人はたいてい人から同情を求めている人であり、自分で戦う姿勢を失っている人である。

誠実な人は自分で戦っている人を見て、その人を助けようとする。

誠実な人といえども、自分で戦っていない人付き合いが苦痛な人を助けることはない。

トラブルは自分の弱点を教えてくれる。

人間関係のトラブルで人付き合いが苦痛な人は鍛えられる。

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人付き合いが苦痛な人の「逃げの解決」と「正面からの解決」

「逃げる」という解決

トラブルの解決法には二つある。

一つは逃げの解決。

もう一つは正面からの解決である。

逃げの解決とはどういう解決であろうか。

典型的なのはお酒やギャンブルに逃げるという解決である。

人付き合いが苦痛な人はその場だけは解決できる。

ドラッグに逃げるのも同じである

アメリカのABCニュースが十代の若者のドラッグについて放送した時に、出てきた若者がドラッグをやると「何かその時の問題がどうでもいい小さな問題に見えてくる」と言っていた。

まさにその時だけを考えると逃げてしまえば、今の大問題は「どうでもいい」と思えてくる。

そしてその時点では人付き合いが苦痛な人は心理的に解決してしまう。

しかしそれは問題を大きくしただけである。

あるオーナー会社の社長である。

父親の早死にによって若くして社長になったが、人付き合いが苦痛な彼は人間関係のトラブルで辛いことが多かった。

都内に広大な土地を持っている大資産家である。

そこで一流のクラブでお酒を飲むことに逃げた

まだ暗くならないうちからお店に行く。

ついに人付き合いが苦痛な彼は最後はアルコール依存症になった。

お金のあることがあだになった。

お金があるからいくらでも女はついてくる。

しかし皆お金目当ての女であるから質が悪い。

人付き合いが苦痛な彼のことを考えるような質の良い女は一人もいない。

いよいよ人間関係は酷くなりいよいよ辛くなり、人付き合いが苦痛な彼はついに四十代で亡くなった。

逃げているようには見えないけれども逃げているというのも多い。

ある学生は前期のテストが悪いのが凄く気になっていた。

それなのに「成績なんて関係ない」と強がりを言っていた。

そして夏休み中にボランティアをしていた。

ボランティアをしない人を軽蔑していた

そして胃を壊した。

「イヤなことから目をそらさない」ということが人付き合いが苦痛を本質的に解消するためのポイントである。

イヤなことから目をそらすと、その結果そのことがさらにイヤなことになってしまう。

彼の心はボランティアに逃げた。

しかし彼の身体は現実を知っている。

そこで人付き合いが苦手な彼は身体が不調になった。

ボランティアは、自分を大切にできてからすることに、意味がある。

たくましい人は現実否認をしない。

自分をたくましいと思っている人の中には、単に強がりの人が多い。

世の中から逃げてしまう人付き合いが苦痛な人

逃げの解決を社会人の例でもう一ついえば、人付き合いが苦痛な人は何か仕事して失敗して借金をして、実際に世の中から逃げてしまうという人である。

親族の誰かが解決をする。

こうして人付き合いが苦痛な人は逃げている時にはエネルギーがない。

自分で解決する気持ちが人付き合いが苦痛な人はない。

逃げの解決の場合には、誰がそれを解決したかを人付き合いが苦痛な本人は知らない。

トラブルは自然と解決することはない。

必ず誰かが被害に遭っている。

親族の誰かが借金を払っているか、貸した方が被害にあっているかである。

誰かの被害で人付き合いが苦痛な人は解決しているのである。

仕事をして失敗して借金をして逃げてしまった人付き合いが苦痛な人は、しばらくしてほとぼりが冷めてから世の中にまた出てくる。

もう誰も借金取りには来ない。

その人はその時には全て解決されたと思う。

だいたい仕事で失敗して逃げてしまうような人付き合いが苦痛な人は、自分が隠れている間に世の中で起きていることを全く知らないことが殆どである。

そのような人付き合いが苦痛な人だから、また何度でも仕事に失敗するのである。

その度に人付き合いが苦痛な人は世の中から隠れる。

そしてまた人付き合いが苦痛な人は解決された頃出てくる。

それは世の中の実際の出来事としては解決された。

しかし人々の心の中ではまだ決して解決されていない。

そのことがその人付き合いが苦痛な人には分かっていない。

その人が作った借金によって傷を負った人がいるのである

その傷を負った人は決してその人を許してはいない。

それによって心身共に打撃を受けた人は、その人の素知らぬ顔をしている様子に腹を立てる。

その素知らぬ態度を、そう簡単に許せない。

ある作家が兄の借金をひたすら返したという。

その人が、それを誇りに思えるのは、おそらくその兄が素知らぬ顔をしていないからであろう。

もし兄が「えー、そんなことあったの?」「あんな奴に取り立てられるのはお前が甘っちょろいからだよ」などという顔をしていたら、毎日必死で兄の借金を返したことは誇りではなく、恨みになるだろう。

「別にオレはお前に借金を返してくれなんて頼んでいないよ」という顔をしていれば、弟は恨みを持つようになる。

その時の悔しさは計り知れない。

しかし兄が弟の苦しみを知っていたら、それは弟の誇りになるかも知れない。

逃げの解決をするということは、借金取りから逃げることであるが、実は心の世界では解決していない。

逃げた後に自分の知らない表の世界で何が起きていたかを自覚していない人がした解決が逃げの解決である。

またそういう人付き合いが苦痛な人はそのトラブルを誰が解決したかを知らないし、知ろうともしない。

いつも親戚縁者に借金を返済してもらっている人付き合いが苦痛な人は、お金を返済することの苦労を知らないし、悔しさをしろうともしない。

ギャンブル依存症の人などは、いつも親戚縁者に借金を返済してもらっている。

しかし人間関係が苦痛な人はその親戚縁者がそのためにどれほど苦しい思いをしているかを知らないし、知ろうともしない。

現実の世の中はその人が返してくれると思うからお金を貸すのではない

その人付き合いが苦痛な人の背景を考えて貸すのである。

街金と言われるところが学生にいくらでもお金を貸すのは「田舎の両親が田畑を売ってお金を返す」と思うからである。

そして最後は闇金にお金を借りて転落の道をたどっていく。

もし彼らが、自分のした借金を払う人の気持ちを少しでも理解したら、次は借金をしなかったであろう。

人付き合いが苦痛な彼らが最後まで行かなければ解決しないというのは、自分のギャンブルでどれほど周囲の人が苦しめられているかを理解できないからである。

しぶとく、かつやさしい人になる

ところでたくましい人とは、例えばギャンブル依存症のような人を親戚縁者に沢山持ちながらも、なお倒れないで頑張って生きている人である。

「お前の会社の前で、お前の兄貴のことを書いたプラカードを立てて騒いでやる」などといつも脅されながらも平気で笑顔で生きている人である。

「私の親戚縁者は皆立派な人たちばかりです」などという、あまりにも望ましい環境の中で生きている人の中には、たくましい人はいない。

何故なら人付き合いが苦痛な人は鍛えられて初めてたくましくなるからである。

気を失いそうな悔しさに耐えて、人付き合いが苦痛な人はたくましくなっていく。

いい環境では鍛えられる機会がないのである。

無菌状態では世俗の社会感覚がない。

無菌状態では、自分とは関係ないことで搾取タイプの人から脅されることもないだろうし、ヒステリー性格の人から罵倒されることもないだろうし、ずるい人から騙されることもないだろう。

本当にたくましい人とは、どのような種類のトラブルにも、どのような種類のストレスにも、どのような種類の失敗にも、どのような悔しさにも、決して負けない人である。

踏まれても踏まれてもなお生えてくる雑草のような人である。

ある人は「強くなければ生きていけない。でもやさしくなければ生きている意味がない」とよく口にしていた

彼は55歳で倒れて、60歳で他界した。

彼は心のやさしい人だった。

学問的には極めて優れてもいた。

しかし雑草の強さがなかった。

つまりやさしい人だが、たくましい人ではなかった。

たくましい人とはやさしくてもこの世俗の中で生きていられる人である。

たくましい人とは、やさしい気持ちがありながらも、なおしぶとく生き残る人である。

踏まれれば踏まれるほどたくましい人になろうとエネルギーが湧いてくる人もいるだろう。

単にしぶといだけではまさに生きている意味がない。

しぶといが同時にやさしい、それが本当にたくましい人である。

恨みを買わない人付き合いが苦痛な人はいない

人間関係のトラブルが絶えないのは、私たちが知らない間に人から恨みを買っているからである。

人付き合いが苦痛な人は世俗の中では何でもないことが恨みになる。

しかも大きな恨みになる。

あなたが自宅でささやかなパーティーをした。

誰を呼ぶか。

呼ばれない人は寂しいから、それで黙ってあなたを恨む。

だれもが認められたい。

こうしてリスクを背負い込んだことに、その人は気がつかない。

自宅でささやかなパーティーをしてトラブルは起きる。

世俗の中で生きている以上トラブルは起きる

それは現実の世の中には人付き合いが苦痛な抑制型の人ばかりではないからである

非抑制型の人がいる。

何かあると我慢をする人付き合いが苦痛な抑制型の人だけなら、「生きている以上必ず人間関係のトラブルは起きる」と言えないかも知れない。

しかし現実の世の中には我慢のできない非抑制型の人がいる。

情緒的未成熟な人がいる。

人の不幸だけが楽しみという人がいる

自分の不満を、周囲の人に当たり散らすことで解消する人がいる。

搾取型の人がいる。

自分は努力しないで人を妬んで、スキャンダルを流す人もいる。

根っから陰湿な人がいる。

人間の心には妬みもあれば嫉妬もある。

憎しみが愛の仮面を被って登場することもある

心理的成長に失敗した人付き合いが苦痛な人がいる。

傲慢な人がいる。

立場をわきまえない人がいる。

正義を盾に憎しみの感情を晴らす人付き合いが苦痛な人がいる。

人を苛めることで心を癒す人がいる。

放任で育った野生の猿のような人も沢山居る。

法律も社会常識も関係のない人がいる。

居直った人付き合いが苦痛な人も沢山居る。

病的虚言症の人付き合いが苦痛な人もいれば、平気で借金を踏み倒す人もいる。

正常な人だって自尊心が傷つけられた時には怒る。

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人付き合いが苦痛な人は、たくましくなる以外に現実の世の中で生きる方法はない

現実の世の中にはいろんな人がいる

人間関係のトラブルが次々に起きない方が不思議である。

多くの人付き合いが苦痛の人はそういう人に接しないようにして生きようとする。

しかしそんなことができるわけがない。

だから人付き合いが苦痛な人は時に「泣きっ面に蜂」というようにイヤなことは重なる。

次から次へと人付き合いが苦痛な人は「これでもかこれでもか」とイヤなことが起きる。

「現実の世の中には色々な人がいる」ということ自体を教えない親も多い。

それは心に葛藤を持っている親である。

子どもに自分の偉大さを印象づけることだけにしか関心がないから、子どもに何かを教える心のゆとりがない

だから子どもは大人になって人付き合いが苦痛になり「あっちでもトラブル、こっちでもトラブル」になる。

世の中のことを教えられていなければそれが当たり前なのである。

現実の世の中のことを何も教えられていなければ、今記したような人と誠実な人とは同じ人だと思っている。

だから、人付き合いが苦痛な人は人間関係で酷い目に遭うのは当たり前である。

そういう次から次へと起きる人間関係のトラブルに人付き合いが苦痛な人は打ちひしがれて無気力になるか、それとも「そうか、親も先生も教えてくれなかったけれども、現実の世の中はこういうところから」と分かって戦い始めるかである。

たくましくなる以外に現実の世の中で生きる方法はない。

法律も警察も誰も守ってくれない

人付き合いが苦痛な人は警察は民事不介入で、善良な市民がとんでもない人にどんなに苦しめられていても助けてはくれない。

どんなに困っていても、公的機関は自分を守るために中立を選ぶ。

公的機関と言ったって、そこで働いている人の中には、まさに今記したような人達がいるのである。

中には公的機関の権力を背景に、自分の日頃の不満を晴らす人さえいる。

法律で「人を殺してはいけません」と言ってみても人を殺す人はいる。

人間関係のトラブルを逃げの解決ではなく、キチンと解決するためにはたくましい人になるしかないのである。

そして現実の世の中には、一方に逃げの解決をする人付き合いが苦痛な人がいるから、他方にただひたすらに悔しさに耐えなければならない人も出てくる。