人間関係がめんどくさいとは

人間関係がめんどくさいを解消するには自己実現が鍵

人間関係がめんどくさいとは、背伸びした自分で人と接することである。

無意識は無意識だから意識できない。

しかし無意識はどこかに現れる。

それは何よりもその人の人間関係に現れる。

そして、本質的に自己実現が自分に気がつく最良の方法である。

アメリカの心理学者アブラハム・マズローは次のような主旨を述べている。

成長動機で動いている人は、他人に頼ることがないので、両価的(愛と憎しみを同時に持つこと)にならないし、不安な敵意も少ない。

環境からの相対的独立は不運、ストレス等の外的な逆境から比較的影響を受けることはない。

外部からの刺激によって反応が起きるが、比較的自由。

それは交流を欠くというのではない。

自己実現している人は、自分の潜在的可能性や適性や創造性を生かし、自分自身をしろうという必要性によって生きている。

その結果ますます人格が統合され、ますます自分が真に何者であるかに気がついてくる、ますます自分が本当に望んでいるものは何かに気がついてくる、あるいはますます自分の職業や天命や運命にもますます気がついてくる。

自分に気付くためには自然の中で一人になって、「なんでこうなったか?」を考えてみることである。

退行動機で行動したものが、妨害されると深く傷つく。

子どもが何かをしたときに親は誇大に褒めるが、そのように褒めてくれるだろうと期待していた、ところがその褒め言葉がなかった。

深く傷つく。

成長動機を持っているか、退行動機を持っているかで同じものごとは違って見える。

子育ての苦労は、親が成長動機で世話をしているか、退行動機で世話をしているかで違ってくる。

アーロン・ベックはうつ病は積極的な動機の欠如であると述べている。

小さな障害か大きな障害かはその人の動機によって異なってくる。

成長動機で親切にした人と、欠乏動機で親切にした人とでは、相手が感謝をしなかったときの心理的反応は違う。

成長動機の人は不満にならないが、欠乏動機の人は不満になる。

「私ばかりつらい目にあう」と自分の惨めさを強調する人間関係がめんどくさい人は、それによって自分の責任を逃れようとしているのである。

自分の責任を逃れるためには、被害者意識を強調することが最も楽である。

しかしそれによってその人間関係がめんどくさい人は、自分の心の中に頼りなさや怯えをつくりだしてしまう。

人間関係がめんどくさい人はいつも自分を弱々しく感じるようになってしまう。

人間関係がめんどくさい人は被害者意識を持って、その立場から他人を操作しようとしていると、いつになっても自分の心の中に力強さを感じることができない。

人間関係がめんどくさい人はいつになっても自分の恐怖感を消すことができない。

人間関係はダメな自分であってもうまくいく

人間関係がうまくいかない人。

それは「自分は悪くない」と思い込む人。

自分が悪くても人間関係はうまくいく。

「自分が悪い」と認めないから人間関係はうまくいかない。

「私は悪くない」と言い張る人の多くは神経症である。

まず「私は悪くない」という人は、人生の問題を安易に解決できると思っている。

しかし残念ながら、人生に魔法の杖はない。

人生の諸問題は安易に解決できない。

人生に魔法の杖があると思い込んでいる人は、最終的にはテロリストになったり、カルト集団等に入っていくことすらある。

もともと「カルト集団に入る人」として生まれてきた人はいない。

テロリストとして生まれてきた人もいない。

しかし人生の諸問題の解決で、安易な道を求め続けて生きてきた結果、行き着いたのが、カルト集団であり政治的過激集団である。

人間関係がめんどくさい人は悩んだときに「人生に魔法の杖がある」と思って解決を求める。

誰に聞いても、満足のある答えが返ってこない。

もともと「ない」ものを「ある」と思って聞いているのだから、心理的に健康な人で満足のある回答をできる人はいない。

しかし人間関係がめんどくさい相談者は悩んでいるから、答えてくれない人を憎む。

それは全ての課題に共通する。

離婚をする。

相手が悪いと思う。

その人は、もともと心理的に他人と生活をともにできない人なのかもしれない。

いい人間関係を形成できない人かもしれない。

今のその人では、結婚生活を継続することはできないとする。

そうなれば、その人が成長するか、離婚するしかない。

そこで離婚を選んだとする。

すると相手は「全ての離婚原因は相手にある」と思う。

「私は悪くない」のである。

心理的に成長すれば解決できるものを、自分の今の立場に固執して、「私は悪くない」と相手を責める。

他者の気持ちをイメージする

また「私は悪くない」と言っている人間関係がめんどくさい人は、他者がいない。

どういうことかと言うと、他人もまた苦しみ、悩んで生きているということが理解できない。

悩んでいる人間関係がめんどくさい人は、自分だけが悩んでいると錯覚している。

人間関係がめんどくさい人は他人の苦労が見えない。

人間は何千年もの間、それぞれ悩み苦しみながら生きてきた。

一生懸命いきながらも数限りない人が自殺していった。

病気になる。

人間関係がめんどくさい人は毎日の生活をきちんとしなければいけないと思う。

毎日食事をきちんとしなければと思う。

人間関係がめんどくさい人はこんなこともできないで、幸せになれるはずがないと思う。

人生の諸問題は簡単に解決できないことくらい、少しでも他人の立場に立って考えることができれば誰だってわかる。

他人の苦労を理解できる人、自己中心的でない人は、人生の諸問題は簡単に解決できないとわかる。

しかし、「私は悪くない」と言う人間関係がめんどくさい人は、他者がいないから、簡単に「どうすればいいですか?」と聞く。

そして先にも書いたとおり、求める回答が得られないので、相手を責める。

そして、安易に悩みや苦しみを解決できる方法を教えてくれる人についていく。

そうした満足のいく回答をしてくれるカルト集団に入る。

あるいは政治的過激集団に入る人もいる。

それはどういうことか?

それは「本当の私」を私が認めていなくても、生きていける仲間をつくったということである。

その仲間内では、「弱い私、無責任な私、わがまま放題な私」は、「精神的なものを追求する立派な人間」になれる。

「誰も私のことをわかってくれない」と不平を言うナルシシストの唯一の現実は、自分のイメージで、他人の現実はない。

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人間関係がめんどくさい人の失敗を成功に結びつける素直さ

人間関係における素直さの重要性

「失敗を大きな成功に結び付けるには素直さが必要である」

あることをしようと目的を持つ。

目的を遂げようと意志を持つ。

そして実行する。

結果は思うようにいかなかった。

形の上で挫折に見える。

しかしもう一回同じことに出合ったときには気をつける。

前に学んでいれば今度は失敗しない。

「目的→意志→実行→結果」

成功とはこの繰り返しの中で得たものである。

このプロセスの体験が多いか、少ないかによって成功は決まる。

このプロセスの体験がない人にはあまり成功はない。

例えば失敗から、ある人は「時を待つ」ことの大切さを知る。

また別の人は、この失敗は自分の性格が原因だと気がつく。

また別の人は、「明るくないと人は集まらない」と知る。

暗い顔をして失敗した人は「暗い顔では情報が集まらない」と学ぶ。

人は「目的→意志→実行→結果」のプロセスを咀嚼してはじめて成功する。

知識と技術だけで成功できるなら苦労はいらない。

心のふれあいが成功と失敗を決めることもある。

恥ずかしがり屋の男症候群」によるとホワイトカラーが職を失う原因の90%が人間関係のスキルの不足であって、技術的な欠点ではないという。

技術的な能力の不足ではなしに、チームプレーヤーとして十分な能力を備えていないからだろいう。

また人間関係がめんどくさい人は休み時間の気楽な話が得意でないということである。

またよく知られていない事実とことわり書きをして、アメリカでは70%の仕事が非公式の社会的ネットワークを通して得られているという。

仕事がうまくいかないときに、「自分には技術がある、自分には知識がある」と言い張り、自分の失敗を認めなければ、これから先も成功することはないだろう。

そして人間関係がめんどくさい人は「私ばかりつらい目にあう」と最後まですねて生きるより仕方ない。

恥ずかしがり屋の男が、それを反省して人間関係がうまくいくようになれば、技術と知識をもって、まさに鬼に金棒になるのである。

選んだのは私だと認める

悩みから抜け出すためには、きついことではあるが「私がこの環境を選んだ」と自分に言い聞かせることである。

「この状態をつくったのは自分なのだ」と自分に言い聞かせる。

この能動性が身に付けば悩みは解決に向かう。

しかし能動性は一朝一夕に身に付くものではない。

それは、受け身の姿勢というものは愛を求める姿勢だからである。

毎日、毎日自分の考え方をチェックするしかない。

人間関係がめんどくさい人はつらさを訴えて恨みを晴らそうとしているときに、「あー、自分はいま受け身になっているな」と反省することである。

人間関係がめんどくさい人は当たり前と思っていたことが当たり前ではない。

人間関係がめんどくさい人は感謝しなければいけない。

いつも不平を言う人間関係がめんどくさい人は受け身の人であるということである。

人間関係がめんどくさい人は自分に誰かが特別の親切を示してくれるのを待っている。

人に頼るのをやめたとき、身の程を知る。

分をわきまえる。

人間関係がめんどくさい人は人に頼り出したときには、自分を磨くことを忘れる。

人間関係がめんどくさい人はもっとしてくれないと不満になる。

人にたかり、人にご馳走になる。

人を利用する。

そうすると心を忘れる。

戦うときに人を頼りにする人は、どういう気持ちになるか。

「あの人は私を支援をしてくれない」

人間関係がめんどくさい人は「何でもっと私を助けてくれないのだ」と相手を恨む。

しかし自分が戦おうと思ったときに、もし少しでも助けてくれる人があれば「ありがとう」という気持ちになる。

その友情に感謝するかもしれない。

「恨むか、感謝するか」ということは心理的には180度逆であるが、実際の相手の態度は同じなのである。

人に頼るのをやめたとき、相手の思いやりとか愛情とか友情とかということがわかってくる。

人を責めるのをやめたとき、大事なことに気づく。

自分の無意識にある魂に気がつく。

人間関係がめんどくさい人は人に頼り始めたときに、人を責め始める。

責めるのには理解がある。

責めるのをやめたとき、それに気がつく。

自分の受け身の姿勢に気がつく。