「最高の評価法」で、自信を身につける

何かを評価する時に、「良かったところを三つ、悪かったところを一つ、そして今後の改善点を一つ挙げる」というものだ。

評価の対象は何でもいい。

日常の仕事についてでもいいし、今日という一日全体についてでもいい。

大切なのは、良かったこと3、悪かったこと1、改善点1というバランスを守ること。

自信がない人は、どうしても「悪かったところ」ばかりでも、自分に嘘をついている気がしてしまうのが、日本人の特性である。

さらに日本人は、不安を原動力にして、改善に向かっている時が一番自信を感じるという面がある。

そこで、「悪かったところ」一つに対して、「今後の改善点」も必ず一つだけ挙げる。

改善点をいくつも挙げてしまうと、なんとなく気が重くなり、結局、次の行動に続かなくなる。

また、「良かったところ」を探すのが難しい、という人のためには、ちょっとしたコツがある。

「良かったところ」を「部分成果」「プロセス成果」「副次効果」で考えるのだ。

この視点で考えると、結構、思いつきやすい。

まず、「部分成果」では、全体で良かったとはいえなくてもいいから、視点を「部分」にして、良い点を探す。

「プロセス成果」では、手順、時間といった”プロセス”という観点から、良かったことを見出す。

「副次効果」では、その経験に伴う、目的外の楽しみ、発見、学びなどがなかったかを考える。

一つの視点で一つの良いところを考えるというわけではない。

良いところを思いつきやすい視点が三つあり、どれをいくつ上げてもいいと考えてほしい。

サイコ―の評価法は、例えばこんな感じだ。

新規クライアントを訪問した。

なかなか予想したような反応は得られなかった・・・。

良かったこと(3つ)

  • 持っていた提案のうち、A案は興味をもってもらえた(部分成果)。
  • 今度、関連する部署にもつないでもらえることになった(プロセス効果)。
  • 訪問先の近くで、おいしい昼ご飯の店を見つけた(副次効果)。

悪かったこと(一つ)

・クライアントには、B案は価格が高すぎると思われてしまったようだ。

今後の改善策(一つ)

・今度提案する時は、部長に価格の見せ方を相談してからプランにしよう。

何かのスキルをトレーニングするたびに、この評価法を、しつこいくらい実施する。

自信を感じやすい体質を作るという意味もあるが、それよりも、新しいことを習得すると時につい「人と比較したがるクセ」で落ち込まないようにするためだ。

特に自信をなくしている人ほど、「他の人はうまくやっているのに」と、大きくガッカリしてしまう。

つまりこの評価法は、対人関係のスキルでもあるのだ。

「(仮想の)他の人はもっとうまくできるはず」で落ち込まないように、この評価法で自信をケアしながら、進めていってほしい。

感情を毛嫌いする子どもの心

私たちは、なぜ、こうもその「感情」を嫌うようになってしまったのか。

今度は、現代人としての視点からも考察してみよう。

現代人としての視点からも考察してみよう。

現代、特にビジネスシーンなどで、感情的であることは、恥ずべきこととして認識されている。

また、自分自身の中でさえ、「クヨクヨしてはダメ」「こんなことで怒るなんてみっともない」「不安はネガティブ思考」などと否定しがちだ。

そして、「我慢」と「忘れる対象」で感情をなかったことにしてしまう。

なぜこんな付き合い方をしてしまいがちなのか。

私は、心のあり方には「子どもの心」と「大人の心」がある、と考えている。

私たちに染み付いてしまった「子どもの心」が、感情を嫌ってしまう要因につながっているのではないだろうか。

「子どもの心」とは、幼少の頃から鍛えられてきた、「こうあるべき」という心のあり方。

我慢する、続ける、努力する、自力でやる、最後までやる-。

いずれも、大人社会に適応できるように、しつけられてきた理想の姿だ。

子ども時代は、心も体も、成長の「伸びしろ」が大きい。

鉄棒の逆上がり、縄跳び、九九の掛け算と、どれをとっても、最初はできなくても、頑張っていればできるようになる。

また、課題はスポーツや勉強面が主だから、大人ほど複雑で、理不尽な要素は少ない。

「我慢して、頑張っていればできるようになる」というメッセージが、「子どもの心」には刷り込まれている。

ところが、その「我慢して、頑張ればできる」には、裏に、暗黙のメッセージが潜んでいる。

それは、「できないのは、あなたが我慢していないから」というメッセージだ。

これが大人になって人間関係で疲れる大きな原因の一つになっている。

人間関係がうまくいかないのは、自分の努力が足りないから、我慢が足りないからだと考える人は、どんどんエネルギー苦を深めていってしまうからだ。

子どもの心の裏のメッセージには、もう一つ気を付けなければならないものがある。

それは、「あなたの考えは誤り。正解は、教科書、親、先生が知っている」というものだ。

学校では、子どもは自由にしてはいけない。

社会性を身につける為、さまざまな欲求や感情を我慢する練習をしている。

どう振る舞うかは、常に大人の顔色を見て判断しなければならない。

その環境に順応しすぎると、自分の感覚や発想は良くないもの、いらないもの、無視するべきものという、「自己否定」の芽が生まれやすい。

幼い頃、良い子であり頑張る子ほど、その傾向が強い。

自分の自然な感情についても、我慢することが求められた。

「もう小さい子どもではないから、泣いてはダメ」と言われたし、ほめられて有頂天になっていると、「賞をもらえなかった人のことを考えなさい」と喜びの感情まで、抑えることを求められた。

子どもの心が強すぎる人は、大人になってからの対人関係で苦労しやすい。

相手のことをよく見て、必死に配慮して疲れ、自分の感情を軽視してこれまた必死に抑えて疲れ、しかし、結局抑えきれない自分を、強く責めやすいからだ。

一方、「大人の心」とは、自分の感覚を信頼し、物事にはバランスがあることを知っている。

我慢するだけではダメな時もある、あきらめた方がいい時もある、努力だけでは叶わないこともある、自分で抱え込まずに人の手を借りたほうがいいこともある。

大人になるほどに、状況は複雑になっていくから、自分の感覚が大切な指針となっていく。

「子どもの心」はもちろん、私たちが成長する上で、大きな導きとなる。

けれども、大人になってから、特に社会人になってからの環境は、「大人の心」の柔軟さがあなたを救う場面が多い。

けれども、現代の日本において、「大人の心」を育む機会が極端に少なくなった。

「大人の心」は人間関係の理不尽さに揉まれてこそ学べるが、昔はあった大家族や親戚、青年団などの上下や斜めの人的つながりがどんどん希薄になっているからだ。

「子どもの心」が染み付き、大人になった今でも、自分の感覚や感情を尊重し、行動に反映する自信がない。

実は、欧米人に比べても、日本人の自信のなさは顕著だ。

2011年、日米中の高校生3400人を対象に行われた調査がある。

それによると、「自分は他人に劣らず価値のある人間である」と感じる割合が、アメリカ89%、中国95%であるのに対して、日本はわずか38%。

「自分には誇りに思えるようなことがない」と答えた割合は、アメリカ24%、中国23%であるのに対して、日本は53%であった。

日本人の、特に若い世代ほど、自信が低いのである(日本青少年研究所、2011年調査)。

私は、若者のうちに、大人の心を鍛えるチャンスが減ってきているのが、その原因ではないかと感じている。