イライラの解消のカギは「今」

自分のコンディションが悪いとき、あるいは生活全般に不安が強いときにはイライラしやすいですが、多くの人が、「余裕があればイライラしにくい」ということには気づいていると思います。

でも実際に、それほど余裕のある日々を過ごせている人ばかりではないでしょうし、コンディションの悪い日もあります。

そんな人にとっては、「日頃から余裕を持ちましょう」と言われること自体がイライラするはずです。

「本来あるべき状態」(余裕のある暮らし)ができていないのに、それをコントロールすることなどできないからです。

「そんなこと言われなくても分かっている」「そんなこと、できるならとっくにしている」と思うでしょう。

しかし、一般的な意味で余裕がない人でも、イライラを手放すための余裕を手に入れることはできます。

ここでは、そのカギの一つである「今」について述べたいと思います。

「今」に集中するとイライラから脱することができる

今までの人生を振り返ってみると、誰でも「心から何かに集中していた瞬間」があったはずです。

そのようなときには、余計な思考がなくなり、心が透き通り、もちろんイライラなど感じないもの。

その日の体調でどうしてもイライラしがち、というようなときでさえ、何かに集中している間はそれを忘れていられるほどです。

つまり、「今」に集中することは、脱・イライラの一つのキーワードだと言うことができます。

なぜ「今」に集中するとイライラから脱することができるのでしょうか。

実は、イライラとは、「過去」や「未来」にしか存在しないものだからです。

例えば、過去のある出来事を何度も思い出してはイライラする、というとき、身体は「今」にいても頭は「今」にいない、ということになります。

頭の中では過去のことばかり考えているからです。

「なんで?」と問い続けているときには、まさに、頭の中の時計の針は、その出来事が起こった時点で止まってしまっている、ということになります。

しかし、「今」に集中すると、自動的に、過去を手放して今に生きることができるのです。

そうすると、もちろん、過去を繰り返し思い出すことによるイライラの生産を止めることにもなります。

また、不安のためにイライラするときには、頭は「未来」にあると言えます。

「うまくいかなかったらどうしよう」と未来を思い煩うために、不安でイライラするのです。

未来には必ず「どうなるかわからない要素」がありますので、未来についての不安を消すことはできません。

生活全般に余裕がない、というときには、頭は「未来」や「過去」を行ったり来たりしているはずです。

「うまくやりくりできなかったらどうしよう」「あれもやらなければ、これもやらなければ」と思っているときには頭は「未来」に行ってしまっていますし、「どうしてこんなことを引き受けてしまったのだろう」「〇〇さえきちんとやってくれていれば・・・」などと思っているときには、頭は「過去」に行っています。

「過去」にとらわれないほうがよい、ということは多くの人が賛成すると思いますが、「未来」に頭がいかないようにしよう、と言われると「何も予定を立ててはいけないのか」「先のことを考えてはいけないのか」と混乱するかもしれません。

もちろんそんなことはありません。

ここで言いたいことは、未来についてどんな計画を立てても、何かを実行するのは「今」だということなのです。

そして、よりよい結果をてにするために必要なのは、「今」に集中して生きていくこと。

「うまくいかなかったらどうしよう」と思い煩っているときは、「未来」に気が散っているということですから、「今」がおろそかになり、結果も悪くなるのです。

常に集中すべきは「今」。

そう意識しておけば、イライラからも解放されますし、実際に多くの成果を得ながら生きていくことができるでしょう。

ポイント:「今」に集中できず、過去や未来に心を奪われるとき、イライラが現れる

忙しさに追われているときは、「今」を特に意識する

自分のペースでやりたいのに急かされるとイライラします。

また、誰かが急かしているわけでなくても、生活の中に「やらなければいけないこと」がたくさんあると、結果として急かされているのと同じ状態になります。

「なんだかイライラする」というときには、意識していなくても、「あれもやらなければ」という思いがたくさんあって、効率的に手をつけられていないのかもしれません。

「やらなければならないこと」に圧倒されて、うまく手をつけられていない自分は、「本来あるべき状態」からの逸脱としてイライラの対象となりますし、そのイライラが、さらに「スムーズに進める」ことを妨げる悪循環を作ります。

忙しさ+「被害者モード」=イライラ

「あれもこれも」と圧倒されている自分について「やらされている感」があると、イライラはさらに募ります。

「あれもやりたい、これもやりたい」という状態であれば、気分はむしろ高揚しますから、時間が足りないという現実にはイライラするとしても、全体としては楽しさを感じることができるでしょう。

しかし、「やらされている感」があると、イライラも深刻なものになっていきます。

「物事がスムーズに進まない」という、形についての「本来あるべき状態」からの逸脱だけでなく、「本当はやりたくないのにやらされている」という、内容についての「本来あるべき状態」からの逸脱が加わり、二重のイライラを生むからです。

「被害者モード」が倍になってしまうのです。

忙しさに関連したイライラには、主に次の2パターンがあります。

1.忙しさそのものはやりくりできると思っているけれども、邪魔が入ってペースを乱されるとき

忙しいけれども自分なりに計画を立てて何とかやりくりしていこうとしているときに邪魔が入る、というのは、やはり「本来あるべき状態」からの逸脱として感じられます。

邪魔が入った時点でイラッとするのは自然な反応ですし、その邪魔がコントロール不能な性質のものであれば、当然イライラが続いていくことになるでしょう。

「邪魔」は一回だけだったとしても、衝撃を受けてしまうと、「またこの人は邪魔をするつもりではないだろうか」と相手を警戒的な目で見てはイライラする、ということも起こります。

2.「あれもやらなければ、これもやらなければ」という精神状態に乗っ取られてしまっているとき

実際に手をつけているかどうかとは全く別に、「やらなければ」という思いで自分を締め付けている、ということはとても多いものです。

自分の力を最も発揮できるのは「今」に集中しているときなのですが、「やらなければ」という思いで頭がいっぱいになってしまうと、頭が「未来」のほうに行って集中力がそがれ、実際にやるべきことに手を付けられない、というようなことも起こってきます。

やらなければならないことにきちんと着手できていることが「本来あるべき状態」。

手を付けられない、というのはそこからの逸脱ですし、「やらなければ」という思いで頭がいっぱいのときは考えの切り替えも難しいですから、まさに「コントロールできない感」ですね。

見事にイライラの条件がそろっています。

人生は「今」の連続である

「やらなければ」という「被害者モード」に陥っているときは、コツコツと自分の人生を組み立てていくイメージを持ってみると抜け出しやすいでしょう。

どういう過ごし方をしようと、自分の人生は自分の人生。

そして、それは一瞬一瞬の「今」の積み重ねからなっています。

集中して過ごしているときには、イライラから完全に自由になります。

忙しいときには特に、余計なところにエネルギーを使って消耗したくないですから、「今」に集中しているのが一番なのです。

「まずはここから手をつけよう」ということを決め、「今」、それだけに集中してみましょう。

「期限までにできるだろうか」などという結果は気にしなくてよいのです。

また、それが本来「自分がやりたいことなのかどうかも、とりあえず脇においておきましょう。

「本当はやりたくないのに」「押しつけられた」などと思うと、頭が「過去に行ってしまい、現在への集中が妨げられるからです。

「選択肢などない」という感じ方は、被害者の感じ方

「一瞬一瞬を充実なんて、そんな悠長なことは言っていられない。

あれもこれもやらなければならないのだから」と思うかもしれません。

この「選択肢などない」という感じ方は「被害者モード」の特徴そのものなのですが、実際に「何かをしなければならない」ということは、多くの場合、逃れようのない現実です。

それをする際に、追い立てられる気持ちでイライラしながらするのか、とりあえず目の前のことに集中するのか、という選択は、どんなときにも可能です。

これは「自分の人生の過ごし方」の話です。

イライラの毒で人生を汚していくのか、一瞬一瞬を充実して過ごすのか、という選択です。

これも、「自分」を主役にするということなのです。

ですから、忙しさに追い立てられてイライラする、というときほど、「今」を意識したいとき。

まずはどこから手をつけるかを決め、そのことに集中する、というやり方で片づけていくとよいでしょう。

一つのことに集中している間に「あれもやらなければ、これもやらなければ」という考えが出てきたら「そういうことはこれが終わってから考えよう」と保留にしてみましょう。

そして実際に、一つのことが達成できると、「あれもやらなければ、これもやらなければ」という感じ方が確実に減っているはずです。

やることを一つ決めて、それを達成する、というのは、一つの「コントロール」の形であり、イライラのエネルギーを減らすものだからです。

ポイント:イライラを増やさないためには、とりあえず目の前のことに集中する。

過去を引きずってしまいイライラするとき

例:朝、予定通りに起きられないと、その日一日、理由もなくイラつくことが多い。自分が悪いのはわかっているけれど

これはかなりシンプルな例ですが、「今」を、「過去」というフィルターを通して見ている典型的なものです。

「朝、予定通りに起きられなかった」という「過去」が、一日を支配してしまうのです。

実際に、自分の過去の失敗を引きずってしまい、現在に集中できずイライラする、ということは少なくありません。

過去を引きずるというのは、感情的には理解できますし、未だに衝撃への反応が続いていると考えればまあ仕方のないこととも言えますが、イライラしないで生きていきたければ、やはり集中すべきなのは「今」。

朝寝坊をしようと、過去に大失敗をしようと、それらに手を触れることはできず、自分に何かできるとしたら「今」を気持ちよく過ごすことだけなのです。

過去を手放す際、自分の「被害」を認めることはとても役立ちます。予定通りに起きられず困った自分をいたわりましょう。

「自分が悪いのはわかっているけれど」と言っていますが、過去の失敗を引きずるときには、だいたい「そもそも自分が悪いのだから」という気持ちがあるものです。

すると、事態を受け入れて先に進むことができなくなってしまいます。

時間通りに起きられなかったのは自分にとって「被害」だった、大変だった、ということを認めて、過去の呪縛を解きましょう。

これも、「被害」を受け入れると「被害者モード」から脱することができるという一つの例です。

ポイント:過去の支配から逃れるには、「被害」を受けた自分をいたわる。

思い出してはイライラするというときは

コンサート中に誰かの携帯が鳴った、という出来事に直面してイラッとする人は多いとしても、それをすっかり忘れてしまう人がいる一方で、何度も何度もそのシーンを思い出してはイライラ、という人もいます。

思い出さないようにして気持ちを切り替えるのは、確かに小さなイライラに対しては有効ですが、大きなイライラの場合、「忘れてしまう」ということが難しいので、結局はぶり返してくることになります。

思い出してイライラするというのは、イライラの自家中毒のようなもの。

すでにその出来事はすんでいるのに、「なんで?」を自分に問い続けて、傷を再生産しているからです。

かなりの衝撃を受けてしまったときには、このような状態になることは、まあ仕方がないと言えます。

繰り返し思い出すことは、「消化作業」だとも言えるからです。

自分に起こったことを繰り返し思い出しながら、その意味を考えていったり、その事実に慣れていったりするのです。

そして、そのプロセスを通して、自分なりに出来事の位置づけができたり、思い出しても著しく苦しくないくらいに慣れてきたりすれば、だいぶ感じ方が変わってきます。

この作業は、共感的かつ客観的に行えば、それなりに効果的です。

実際に、トラウマの治療などでは、実質的にそんな作業が行われることもあります。

これも「被害」を認める一つの形となります。

しかし、自分の頭の中で思い出してはイライラ、というときには、その作業は「被害者モード」のまま行われることが多いもの。

思い出せば思い出すほど、「被害者モード」が強化されて、イライラがいつまでもおさまらない、ということもあるのです。

例:返事がぞんざいなタクシー運転手

これはマナーの問題として見ることもできますが、イライラするときには、「自分が失礼な扱いを受けた」「ぞんざいな対応をしてもよい程度の人間として見られた」という思いのほうが強いでしょう。

何であれ、自分にとっての「本来あるべき状態」と違う体験をしたときには、「相手には事情があるのだろうな」と見るのが、脱・イライラの第一歩。

事情の本当のところはわかりませんが、おそらく誰に対してもそんな態度をとる人なのでしょう。

もしかしたら、愛想のよい話し方ができないから、運転中心の仕事を選ぶことになったのかもしれません。

「自分が失礼な扱いを受けた」わけではなく、「相手が愛想よく話せない」だけなのです。

きっと他の客にも不快な思いをした客からイライラをぶつけられて困っているであろう運転手の胸中を考えてみたりするのもよいと思います。

「被害者モード」にとどまってしまうと自分を繰り返し傷つける

タクシー運転手の返事がぞんざいであるのは、単に相手の事情を反映しただけのことと言えるのですが、それを「被害者モード」にとどまったまま思い出すということは、「自分が侮辱された」「自分が攻撃された」などと意味づけしながら思い出す、ということ。

すると、そのたびに自分をさらに傷つけ、イライラのエネルギーを増してしまいます。

「イラッとする」のは自然に備わった反応だけれども、イライラするのは自分の思考が生産している、というのは、まさにこういうことです。

起こった事実は確かにある。

そして自分はそこから「被害」を受けたことも事実。

しかし、それは単に「相手の事情」「社会の事情」によるものに過ぎず、「自分がやられた」わけではない、という見方をすることによって、思い出したときにイライラのエネルギーを生産しないですみます。

つまり、「思い出し方」によって、「被害」を拡大するかどうかが決まってくるのです。

「思い出し方」を調整する際には、必ず「それにしても不愉快だった」と、自分の「被害」をいたわる姿勢を持ってください。

「この程度のことを不快に思うなんて人間として小さい」などという目でみてしまうと、いつまでも過去に縛られることになってしまいます。

ポイント:「被害者モード」で過去を思い出すと、自分自身がイライラを生産してしまう。

「許せない!」と思うとき

「思い出し方」などという次元ではなく、本当に人からひどいことをされた、というようなときには、いつまでも「許せない!」という思いを抱えてイライラすることがありますね。

これはもちろん、心情的には「当然のこと」として理解できます。

しかし、この現象をよくよく考えてみると、実は変な話なのです。

ひどいことをされただけでもひどいのに、その「ひどいことをした相手」が、去り際に、「一生許さない」ボタンを押していって、自分ではリセットできなくなってしまっているロボットのようなものだからです。

相手が「やっぱり許してよい」というボタンを押す(相手が反省して心から謝る、など)まで「許せない」とイライラしながら生きていくのは、完全に相手に依存した、無力な存在です。

それも、ここで依存している相手とは、自分にひどいことをした人物なのですから、おかしな話なのです。

「許せない!」という思いを抱えながら生きていくのは、かなりのストレス。

自分の健康障害にもつながり得ますし、他の人との関係に悪影響を及ぼすこともあります。

ひどい目に遭った上に、さらにその後の人生のあり方まで規定されるなんて、踏んだり蹴ったりです。

「許せない!」という気持ちが、実は「踏んだり蹴ったり」なのだということに気づいてみると、世界が開けると思います。

もちろん、自分にひどいことをした相手は、相当の事情を抱えた「わけあり」人物でしょう。

たまたま「わけあり」物件にひっかかってしまって「被害」を受けたあとまで、縛られ続ける必要はないのです。

こんなときには、「被害」を取り戻すのも、当の相手からではなく、別のところから、と考えたほうがよいでしょう。

「わけあり」物件に「被害」の弁済を求めると、さらにひどい目に遭うかもしれないからです。

なんであれ、「今」、自分を大切にすることによって「被害」を取り戻していきましょう。

ポイント:「許せない!」というイライラは百害あって一利なしと気づく。

「今」に集中して、「どうせ」を手放す

イライラするとき、「どうせ」という感覚を持っていることが多くありませんか?

「どうせ言っても変わらないだろう」「どうせ〇〇はまた手を抜くつもりだろう」

などという思いは、現状にただイライラと耐える構造を作り出します。

「どうせ」というのは、現実に対する否定的な決めつけです。

そして、「どうせ」というメガネを通して現実を見るということは、「被害者モード」そのもの。

「どうせうまくいかない」と思い込んでしまうと、本来はうまくいくはずのことでも「どうせ」という気持ちになってしまい、試してみる気すらなくなる、ということが起こってきます。

「どうせ」という決めつけは、何かしらで衝撃を受けたあとに自分を守るために出現することもあります。

「もう二度と衝撃を受けたくないモード」の心身は、少しでも衝撃のにおいのするものに対して「どうせ」という目で見て避ける、という傾向があるからです。

これは自然な防御反応とも言えますし、短期的にはそうやって自分を守ることで態勢を立て直す時期があってよいのですが、長い目で見た場合、その「どうせ」が、本来自分のメリットになることも遠ざけてしまうのなら、安全な範囲で少しずつ試しながら現実に合わせて修正していったほうがよいでしょう。

「どうせ」から脱出するためのカギは、やはり「今」。

「どうせ」は過去のデータベースから作られてきた感覚です。

「今、心から頼んでみる」「今、相手の言い分をじっくり聞いてみる」というふうに気持ちを切り替えることによって、「今」可能なだけの成果を手に入れることができます。

実際に成功体験をすれば、あるいは、結果はうまくいかなくても相手の事情がわかれば、「どうせ」と思っていたときとは世界の見え方が変わるはずです。

ポイント:「どうせ」は過去のデータベースの産物。「今、〇〇してみる」に切り替える。

今に集中するために身体を使う

ここで述べているようなことはわかるけれども、イライラが酷過ぎるときにはそれどころではない、という場合もあります。

そんなとき、意外に有効な手段は、「身体を使うこと」です。

特にお勧めなのは、それなりに負荷が高いもの(ランニングなど)や、それなりに集中力を必要とするもの(ヨガなど)です。

イライラしたときこそゆったりリラックス系、という感じもしますが、これは案外うまくいかないことが多いようで、頭の中でいろいろと考える余地を作ってしまい、イライラが結局おさまらない、ということにもなってしまいがち。

それよりも、嫌でも現在に集中せざるを得ないタイプの身体の使い方のほうが総じて効果的です。

身体を動かすことそのものは、自律神経のバランスを変えますので、実際に脱・イライラの効果を発揮します。

そして、それだけでなく、特に「今」に集中する必要があるタイプの身体の用い方は、「今」にとどまるという観点からも脱・イライラ効果が高いのです。

また、案外よいのが呼吸を使うことです。

細く長い呼吸にはそれ自体にリラックス効果がありますが、呼吸法の場合、例えば6秒かけて吸う、次の6秒間呼吸を止める、その後6秒かけて吐く、などというふうに数を数えながら行うことが多いですから、余計なことから「現在」に注意を切り替える効果があります。

環境を変えて、身体の感覚を新鮮なものにするのも一つの方法です。

イライラしているとき、外に出て新鮮な空気を吸うだけでもイライラがおさまることがありますね。

とりあえず身体を使って、イライラの最高レベルから抜け出しましょう。

ポイント:イライラが強すぎるとき、まずは身体を動かす。