「自分」に意識を向けない

「自信」という言葉は、「自分を信じる」ということですから、どうしても「自分」に目がいってしまいます。

「自分の価値を考えよう」「自分の好きなところを探そう」など、自信を求める人の多くが、心の中で「自分」をキーワードにしてきたのではないでしょうか?

しかし、実は「自分」に意識を向けている限り、自信を感じることはできない、という皮肉な構造があるのです。
ここではその点をよく見ることで、自信を感じる上で逆効果になってしまっている考え方を知っていきましょう。

例えば、次の例を見てください

例:あこがれの先輩との会食。相手を楽しませる自信がなくて、緊張する。

こんなとき、意識は思い切り「自分」に向いていますよね。

「自分は相手を楽しませられるのか」と、「自分」、それも「DO」に目が向いています。

「相手を楽しませる」という「成果」に対する評価を気にしているのですね。

評価を気にするときの私たちは、まさに「まな板の上の鯉」の状態。

相手による評価はコントロールできないので、ただ我が身をさらして評定を待つだけなのです。

これでは緊張して当然ですし、あまりにも無力です。

自信など感じられるわけがありません。

こんな状態から一気に視点を転換するコツがあります。

「自分」の「DO」に向けていた意識を、「BE」、つまり大切にしたい心の「あり方」に向けるのです。

それは、「相手と一緒にいられることを、心から嬉しく思う」ことです。

「自分はどう思われるだろうか」ということではなく、単に、「相手と一緒にいられて嬉しい」ということに意識を向けるのです。

大切な人と一緒にいられることを喜びたい、というのはすてきな「BE」ですね。

そもそもこちらは職業コンパニオンではないのですから、「楽しませる」という「DO」にはそれほど熱意を注ぐ必要はありません。

ただ、もっと個人的な「BE」の状態に浸っていればよいのです。

あこがれの先輩と一緒に食事ができるなんて、とても幸せなこと。

その感謝の気持ちを味わっていれば十分です。

すると、気の利いた会話ができず、仮にずっと沈黙しているとしても、ぽかぽかした空気を作ることができます。

「先輩といられて嬉しい!」という気持ちで心を満たして、ただその場にいればよいのです。

普段はおしゃべりなのであれば、「本当はもうちょっとおしゃべりなのだけど、あこがれの先輩の前なので緊張してしまって」と一言言えば、より正確な説明になりますし、「あこがれ」と言ってもらったり、そうやって本心を打ち明けてもらったりするのは、相手からすれば嬉しいことなのです。

無理をして、緊張していないふりをして、楽しませようとするのでは得られない、温かいつながりが感じられるでしょう。

「幸せだなぁ」という思いに浸っていれば、つながれる

「つながり」は「BEの自信」を手に入れる上でとても重要です。

これは、相手とのつながりでもよいですし、自然とのつながりでもよいのです。

ただ、つながりを、「気持ちを共有できているか」「自分が思うくらい、相手も自分を大切に思ってくれるか」「共に行動できているか」などという「成果」として求めてしまうと、「DO」になってしまい、本当の「つながり」を持てません。

例えば、「成果」を気にするあまり、「たのしませられなかったらどうしよう」という不安で頭がいっぱいになってしまう場合、意識は「自分はうまくできるだろうか」ということだけに向いています。

これは、相手に対しては心を閉ざしていることになるので、「つながり」が持てない、と考えるとわかりやすいでしょう。

「先輩と食事できて幸せだなあ」という思いに浸っていれば、自分についてよい感じ方ができます。

そしてそんなぽかぽかした雰囲気は、先輩にも伝わっていくはずです。

ポイント:自分がどう思われるか、ではなく、自分はどう思うか

相手に何が伝わっているかを考えてみる

例:企画を上手にプレゼンする自信がなくて、いつも舞い上がってしまう。

プレゼントは多くの人にとって緊張するものですね。

このとき、「うまくプレゼンできるだろうか」「どうすれば緊張しないだろうか」「緊張して何か失敗したらどうしよう」「私のプレゼン、ダメだと思われているのではないか」などと「緊張する自分」に目を向けると、もっと緊張してしまうでしょう。

こんなときのコツは、「聴衆に目を向ける」ということです。

よくされる助言に「聴衆をジャガイモだと思いなさい」などというものがありますが、そういう意味ではありません。

むしろ、ジャガイモが相手だったらできないことをするのです。

それは、聴衆と人間同士のやりとりをする、ということです。

プレゼンと言えども、それは人と人とのコミュニケーションの場。

ですから、「相手はわかっているだろうか」「相手は話についてきているだろうか」という視点を持ってみましょう。

自分ではなく相手を見てみる

最もわかりやすいイメージは、小さな子どもに話すときです。

小さな子どもに何かを説明するとき、「うまく説明できなかったらどうしよう」「この説明、ダメだと思われているのではないだろうか」などと自分のことばかり考えて舞い上がったりしませんよね。

それよりも、「こういう言い方でわかるかな」「ちゃんと話についてきているかな」ということを気にしながら、相手の様子を見ながら話していくと思います。

わかりにくそうなところがあれば、もう一段わかりやすい言葉にしたリ、ここは大丈夫そうだなと思ったら説明を簡単にしたりするでしょう。

そして、それを確認するために、「ここはわかる?」などのやりとりをするかもしれません。

プレゼントにおいても、相手が人間である以上、基本構造は同じです。

「こういう言い方でわかるかな」「ちゃんと話についてきているかな」ということを確認しながら、「相手がわかるように」話していく、と考えればよいのです。

すると、「自分はどう思われるか」というところから、ガラリと意識を転換できます。

プレゼンの場でも、自由な雰囲気であれば、相手が子どもである場合と同じように、「このあたりはご理解いただけましたか?」などと確認しながら進めると、ますます「相手がわかるように」話すことができるでしょう。

そのような発言が適さない場であれば、目線で、「よろしいでしょうか」と念を押しながら進めていけばよいのです。

これは、より個人的な場でも同じことです。

例:クライアントに信頼される話し方をする自信がなくて、いつもびくびくしてしまう。

「自分は、クライアントに信頼される話し方ができるだろうか」と、「自分」の「DO」に目を向けてしまうと、もちろん不安になりますね。

しかし、クライアントといえども、一人の人間。

クライアントが心配に思っているのはどの点だろうか、どのようにすればクライアントを安心させてあげられるだろうか、クライアントがよく理解できていないのはどこだろうか、などと、「クライアントの状態」を見ながら話せばよいのです。

そんな話し方ができると、結果として、クライアントには信頼されるようになるでしょう。

ポイント:自分がどう思われるか、ではなくて、他人がどう思うか

実際のやりとりに注目する

先ほどお話ししたプレゼンの例で「自分」から「相手」に目を転じた、というのはどういうことかと言うと、「自分の頭の中だけの関係」から「リアルな関係」に踏み出した、ということです。

「〇〇したらどうしよう」「〇〇と思われるのではないか」などというのは、実際の相手と関連していることのように見えて、実は単に「自分の頭の中だけの話」。

そこに出てくる「自分を批判しそうな相手」も、「頭の中で想像している相手」に過ぎないのです。

多くのケースにおいて、「頭の中で想像している相手」よりも、「リアルな相手」の方が優しいものです。
なぜかと言うと、緊張下で想像している相手はただでさえ厳しく思えてしまう、ということもありますし、それ以上に、相手も生きた人間だからです。

相手は、単に自分に点数をつけるためにそこにいる冷徹な機械ではありません。

つながりの中から自分に力をくれる存在にもなり得るのです。

仮にプレゼンで緊張して何か失敗してしまっても、「緊張しすぎて失敗しました」と笑えれば、相手の雰囲気も緩むでしょう。

どんな場でも「相手」がいる、ということは心強いことなのです。

「相手」から力をもらう、というのは、例えば自分に「弱点」がある場合にも活用できる視点です。

例:空気を読む自信がなくて、みんなの会話に入れない。

実際に、「読む」ことが苦手な人は存在します。

これはどちらかというと生来的な性質なので、訓練してもなかなかできるようになりません。

自分がそんなタイプだなと思ったら、それを周りの人に話して、助けてもらえばよいのです。

「私は空気が読めないタイプなので、トンチンカンなことを言ったら直してください」と頼んでおいたりすればよいでしょう。

これは相手にとっても親切なことになります。

「?」と思うことを言う人がいたときに、どのように対応したらよいのか悩ましい、という場合、あらかじめ「直してください」と言っておいてもらえれば、「今のは、そういうことを言いたい話ではなくてね」と、気軽に軌道修正することができるでしょう。

その過程で一緒に笑うことができれば、関係性も深まるはずです。

「空気を読む自信がなくて、みんなの会話に入れない」と思っているときよりも、「自分は読めないタイプだということを知っておいてもらって、助けてもらったり、笑いにしてもらったりしよう」と思っているときの方が、「自分についての感じ方」はよいはずです。

ポイント:目の前の相手は、想像上の「その人」よりやさしい

相手がどんな人か調べてみる

相手との「リアルなやりとり」から自信を感じるコツは、他にもあります。

それは、「相手がどんな人か調べてみる」という視点を持つこと。

自信がない人は、相手との関係においてうまくいかないことを「自分のせい」ととらえがちです。

そしてさらに自信をなくす、ということになりますから、自信がない人は全般に対人関係に消極的です。

しかし、視点を「自分」から「相手」に移すことによって、自信を感じることができます。

次の例を見てください。

例:年下男子からの告白。いつまでも若くいる自信がなくて、イエスと言えない。

いつまでも若くいられることなど、誰にとっても不可能です。

ですから、そのことを「自信がない」と言うのも変な話。

ここで本当に気になっているのは、「年月が経って、自分の加齢の方が目につくようになること」「自分が相手から、老けていると思われるようになること」だと言えるでしょう。

そうなってしまったら、相手はもっと若い女性に目を向けるかもしれないし、自分に魅力を感じなくなってしまうかもしれません。

不安の種は実際に色々あるものです。

ただ、そのようなことを一人で心配しているときは、相手がちゃんと視野に入っていないか、相手を人間として信頼していないか、のどちらかだと思います。

どんな相手とでも、恋愛関係になるに当たって、心配な点があることは多いもの。

しかし、相手を一人の人間として尊重するならば、そうした懸念もちゃんと相談できるはずです。

そんなことも相談できないような人と恋愛関係になっても、豊かな関係性は育たないでしょう。

もしも、相談したとして、自分の懸念に対してきちんと向き合ってくれない人なのであれば、「年下だから」という理由ではなく、「ものがわかっていないから」「自分の本心を相談したときに、ちゃんと向き合ってくれない人だから」という理由を、自分の中でしっかりと確認してから、断ればよいでしょう。

「いつまでも若くいる自信がなくて」という理由で断ると、「自分についてよい感じ方」をすることなどできません。

しかし、「相手が自分に見合うほど成熟していないから」という理由で断るのであれば、自信が損なわれることを妨げるはずです。

対人関係は、半分は向こう側の問題

今見たケースもそうですが、対人関係の登場人物は自分一人ではありません。

必ず「相手」がいるものです。

ですから、相手がどんな人物か、どんな意向かを知るのも大切ですし、たとえうまくいかないことがあっても、自分だけに原因があるのではなく、「相手の問題」が反映されていることも多いものです。

例:体系に自信がなくて、男性に話しかけられない。

よく、「男はやはりスタイルのよい女性が好み」などと一般論のように言う人がいますが、決してスタイルのよい女性ばかりが愛されているわけではありません。

つまり、女性の内面を愛することができたり、自分との相性のよさに価値を置いたりすることができる男性がいるということです。

実際にそういう男性が存在しているのに、「男性は女性のスタイルにしか興味がない」「内面のすばらしさとスタイルとを天秤にかければ、男性はスタイルをとる」などと決めつけてしまっては、男性に対して失礼というもの。

ですから、話しかけてみて、この男性はどちらのタイプかを調べる、という視点を持つことも大切です。

スタイルばかりを見て、より深い話に関心を示さないようであれば、「所詮はスタイル男」ということになります。

そんな「スタイル男」と親しくなっても自分を粗末にするだけ。

「体型に自信がないから」話しかけられない、というふうにとらえてしまうと「自分についてよい感じ方」ができませんが、「所詮はスタイル男。もっと豊かな人間性を持った、女性の真のよさがわかる男性を探すためには、こんな男に費やしている時間はない」と思えば、自信を損ねずにすむでしょう。

例:給料が低く、生活力に自信がなくて、彼女にプロポーズできない。

ちゃんと稼いで生活力をつけることが、結婚に必要な条件だと思っている男性は少なくありません。

もちろん、今までに彼女とそういう話をしたことがあって、彼女も「ちゃんと稼げるようにならなければ結婚できない」と断言しているのであれば、単なる「自分の頭の中の仮説」ではなく、「二人のリアルな結論」と言えるのでしょう。

しかし、本当に彼女がそういう考えなのか、聞いてみたことがあるでしょうか。

時代背景も変わり、男性が一人で家族を養うということが、経済的にも、文化的にも、だんだんと時代錯誤的になってきている部分もあります。

彼女も、「二人で力を合わせて家庭を築いていきたい。経済的な責任も分かち合っていきたい」と思っているかもしれません。

結婚について、彼女とよく話し合ってみると、思わぬ彼女の強さや優しさがわかって、「じゃあ力を合わせてがんばってみよう。いろいろ心配だけど、二人が仲良くいることが一番だね」ということになるかもしれません。

こんなときには、自分についての感じ方もよくなっており、彼女との結婚に自信を感じられるでしょう。

一方、「年収××万以上じゃないと嫌よ」などと言う彼女だとしたら、本当にこの人と家庭を築いて自分は幸せになれるのだろうか、そんな金銭至上主義的な価値観を自分の子どもにも伝えたいのか、などと考えてみるのもよいでしょう。

そもそも常に人を「年収××万円以上」という目で見るような人と一緒にいて、自分についての感じ方がよくなるのか、と考えてみると、やはりパートナーは自分に自信を感じさせてくれる人がよい、という結論になるかもしれません。

例:内容のある話ができているか自信がない。いつもバカなことばかり言って後悔。

自分の話が、相手にとってピントの合ったものかどうかは、実際のところ相手にしかわかりません。

相手に確認もしないで、一人で後悔しているのでは、「つながり」も感じられませんし、もちろん自分についての感じ方が悪くなり、ますます自信を失ってしまいます。

それよりも、「自分の話が相手に合っているか、聞いてみよう」と思えれば、ずっとよい感じ方ができるはずです。

結果としては話題の軌道修正ができるという「成果」も上がるでしょう。

相手の立場に立ってみても、ピントの外れた話を延々と聞かされるよりも、自分の意向を確認してもらった方が嬉しいはずです。

そして、そんなやりとりが交流となりますから、関係性を深めることにもなるでしょう。

このように、「相手」に目を向ける、という方法は、一人の個人が相手ではなく、会社のような組織が相手の場合でも同じことです。

例:大変だった就職活動でやっと就職した会社。面接などでかなり自己アピールしてしまい、会社の期待に応えられるか自信がなくて、出社したくない。

面接で、かなり大げさに自己アピールすることは、多くの人がやっていることであり、おそらく会社側も織り込み済みでしょう。

そもそも、入社前の未経験の人間が語る抱負と、実際に経験する現実には、かなりのギャップがあるはずです。

これは、社会人であれば多くの人が知っていることですし、特に人事を担当するような人たちであれば常識とも言えることでしょう。

ここで「会社の期待に応えられるか自信がない」と言っているのは、会社を、「そんなことも知らない会社」として見ているようなものなのです。

つまり、未経験の若者が語った理想通りに働くと信じ込んでいる、世間知らずの会社として見ている、ということ。

むしろ失礼なことだと言えるでしょう。

就職活動で一生懸命自己アピールするのは、一つの仕事。

その時期には、そういう形で全力を出し、今度は実地の場で、現実の壁にぶつかりながら、出せるだけの成果を出していく。

そんなふうに、その場その場の「今」に集中していくのが最も自分の能力を引き出せる方法ですし、それが社会人として成長していくことなのです。

その中でうまくいかないことが出てきたら、上司を信頼して相談してみればよいでしょう。

多くの人が社会に適応する中で似たような悩みを経験したことがありますし、また、上司の役割の一つが「部下を育てること」なのですから、なんらかの形できちんと答えてくれると思います。

例えばプロ野球選手の契約などであれば当初のアピール通りである必要があるのでしょうが、入社した新入社員の場合は「これから社会経験を積んで育っていく立場」です。

「面接で大層なことを言っていたじゃないか」などという話をいつまでもする会社だとしたら、むしろおかしいと思った方がよいと思います。

なお、ここまでにお話ししてきたことは自信を感じるための原則です。

世の中にはいろいろな人がいますから、実際のやりとりの中では、こちらの自信が脅かされるような扱いを受けることもあります。

ポイント:全部自分で解決しようとしない

自分の価値は考えない

自信について語るとき、「自分の価値」を語る人も少なくありません。

辞書などでの「自信」の定義には「自分の価値を信じていること」も含まれますし、自分に価値があると思えれば自信を感じられる、ということは多くの人が同意するのでしょう。

もちろん、「自信がない人」は、「自分には価値がない」と思っていることが多いわけですから、これは間違ったことではありません。

しかし、「自分には価値があるか」「自分の価値はどのくらいか」という考え方をしている限り、自信を感じることはできません。

なぜかと言うと、そのように自分を見ている限り、自分は評価の対象にとどまってしまうからです。

本当の自信を感じたければ、「自分の」価値を考えるのではなく、「自分が」何に価値を置きたいか、という視点を持ってみましょう。

「自分には価値がある」と思う必要もないくらいの価値がある

「自分の価値」を考えるのではなく、「自分は何に価値を置きたいか」を考える、というときに本質的に起こっているのは、難しく言えば「自我(エゴ)の手放し」であると言えます。

「自分は〇〇ができる」と、評価の対象としての自分を見ている限り、「自我」から自由にはなれません。

自信は自分についてのものですから、当然「自分」のことを考えなければならないと多くの人がしんじているでしょう。

しかし、「自分」に目が向くということは、自分を評価の対象として見る、ということ。

「自分はこれでよいのだろうか」という目で自分を見ている限り、自分の内面から「そこはかとない安心感」を感じることなどできません。

「自分についてよい感じ方」をする、ということは、自分についての「よい評価」のことではない、とお話ししました。

「自分はすごい」と感じることではないのです。

それは、自分という存在についての、無条件の肯定です。

私たちは酸素を吸わなければすぐに死んでしまう存在ですが、例えば常に「空気はすばらしい」「空気が吸えるなんて、私はなんと恵まれているのだろう」などと思っている人はほとんどいないでしょう。

でも、皆が空気の価値を知っていますし、なくなると困るということは無条件にわかっています。

「空気なんていらない」「空気なんて嫌いだ」と思っている人はいないはずですし、常に「そもそも空気には価値があるのだろうか?」などと問い直している人もいないはすです。

そのくらい当たり前の価値が、空気にはあるのです。

私たちも同じです。

その価値すら考える必要がないほど、価値があって当たり前の存在なのです。

空気と同じくらい当たり前の価値が自分という存在にはあります。

それはいちいち「私には価値がある」と言う必要もないし、「そもそも私には価値があるのだろうか?」と問い直す必要もないレベルの価値なのです。

「自分を意識しすぎてしまう」から自由になる方法

しかし、「自分にはもともと価値があるのだから、自分を意識しなくてよい」と思っても、そう思えば思う程、自分を意識してしまう、ということも多いでしょう。

あくまでも「自分の価値」に目が行ってしまうからです。

こんなときには、「自分」でないものに目を向けることが重要なコツです。

「自分はどう思われるか」というところから意識を離し、「この人の話をよく聞きたい」「この人と一緒にいる喜びを伝えたい」「相手がちゃんと理解できるように話したい」と思うとき、私たちは「自分」から自由になりますし、自信を感じることができます。

「自分の価値」から「自分が価値を置くもの」に視点を移すということ。

「自分が価値を置くもの」に目を向けると、やはり「自分」から自由になることができます。

例:補助的な仕事ばかりで、「この仕事は自分しかできない!」というものがないので、仕事に自信が持てない。

こんなときには、「こんな仕事ばかりしかできなくて、自分には価値がないのではないか」と思ってしまうものです。

すると、仕事にも自分にも、自信を感じられなくなってしまいます。

ここで「自分の価値」から「自分が価値を置くもの」に考えを切り替えてみましょう。

例えば、「今に集中する」という「あり方」に価値を置くとすれば、「補助的な仕事だろうとなんだろうと、集中して取り組もう」ということになります。

これは、自分の時間の質を格段に高めますし、自分についての感じ方をよくします。

ですから、自信を感じることができるのです。

もしかしたら、そうやって補助的な仕事を誠実にこなしている姿を誰かが見ていて、いずれもっと責任のある仕事を任せてもらえるかもしれません。

そうなったとしても、そうならないとしても、「今に集中する」という「あり方」だけはずっと維持することができますし、そんな自分についてよい感じ方を続けることはできるのです。

「自分しかできない仕事」は幻想

そもそも、「この仕事は自分しかできない!」というものとはなんでしょうか。

これはまさに自分にしかできない「DO」であり、自分にしかあげられない「成果」ということになります。

しかし、「DO」への評価がどれほど不安定なものか、ということはすでに見てきました。

ですから、「この仕事は自分しかできない!」というものを手に入れることで自信がつく、というのは幻想だとも言えるのです。

「今」に集中して、目の前の仕事をすることこそ、自分にしかできないこと。

どんな仕事であっても、「今に集中する」という姿勢に価値を置ける自分を意識して、よい感じ方をしていきましょう。

例1.自分が彼から好きになってもらう自信がなくて、いつも相手の言葉を疑ってしまう。

例2.相手にやさしくされても、「自分にはそんな価値がない」と拒んでしまう。

こんなときも、「自分の価値」から「自分が何に価値を置くか」に目を転じるとき。

自分には愛される価値がないと思えば、相手がどれほど愛に満ちた優しいことを言ってくれても信じることはできないでしょう。

その感じ方はわかりますが、それは「さておき」、自分は何に価値を置きたいでしょうか。

それが「人には誠実に向き合いたい」というものであれば、相手が言うことを「真に受けてあげること」が価値あることとなるでしょう。

真に受ける、すなわち「相手がやさしくしてくれるなら、自分にはその価値があるのだろう」ととらえるのです。

「自信がない」と伝えるだけでいい

もちろん、「そう思えない。どうしても不安になってしまう」という人もいると思います。

たとえば、過去に受けた心の傷があまりにも深く、また裏切られることが怖い、というような事情があるのであれば、それを相手に伝えることも「誠実に向き合う」ということになるでしょう。

つまり、「あなたの言ってくれることが本当だったら、とても嬉しい。

でも自分は過去の経験から、人を信じることに自信がなくなってしまっている。

だから、そんな部分も含めて受け入れてくれるとありがたい」ということを伝えるということ。

そうすることで、「自分についての感じ方」もよくなるでしょうし、相手からの理解も深まり、関係性も深いものになるでしょう。

もちろん、相手の好意が表面的なものなのだとしたら、この誠実な打ち明け話についてくることはできないでしょうから、「自分の相手ではない」と見なして、よりよい相手を探していけばよいでしょう。

ポイント:自分が価値を置くものを大切にする