ここでは、人付き合いにおける「距離感」についてお話しできたらと思います。

つい、いい人を演じてしまう人に共通しているのが、「距離感」をとるのが下手だということ。

たとえばこのような人に対して、あなたはどう接していますか。

その人は笑顔でとても親切です。

プレゼントもよくもらいます。

でも、一緒にいるとなぜか疲れてしまうのです。

実はこの「笑顔」で「親切」が、キーワードになってきます。

さっそく、次項からご覧ください。

他人との心地良い距離感

踏み込まれたときは引く

いい人を演じているために疲れてしまう人は、往々にして距離のとり方が下手な人が多いようです。

彼らの多くが相手に踏み込まれたときに気付かず、気が付くと近すぎて苦しくなってしまっています。

もともと対人距離感は固有で人によってバラツキがあります。

そのため対人距離が近い人はなんとも思わずに、こちらの懐に飛び込んできます。

それが自然なので、悪意はない場合が多いようなのですが、踏み込まれた側は甚大な被害を受けてしまいます。

一番いいのは踏み込まれるや否や、引くことです。

つまり、引き方の第一歩は、相手に通常より丁寧語で接するということです。

丁寧語は距離を開きます。

「まあ、いいじゃない。一緒に行こうよ」などと、なれなれしくいう相手には、「どのような御用でしょうか?もし必要なら時間をとりますが?」といいながら手帳を開き、「いつがよろしいでしょうか?」とやる。

たいていの相手は、「それじゃまた」と離れてくれますが、なかにはシツコイ人もいて「それじゃ、明日とか」と食い下がってくるかもしれません。

そんなときは、「あ、残念ながら明日は詰まってますね。明後日なら15分ほどなら時間をとることができますがいかがですか?といってみる。

それでも食い下がる相手というのはほとんどいません。

でも希少種ですがいることはいます。

その場合ははっきりと、「残念ながらご一緒できません」といいましょう。

この種の希少種は婉曲的表現を理解でいないものと、心がけておくのがいいかもしれません。

人付き合いに疲れている人の多くは、対人距離感覚が普通より近い人に悩まされていることが多いようです。

対策を伝授する前に、対人距離の近い人の特徴を知っておいたほうがいいでしょう。

距離が近い人の4パターン

フレンドリー(裏を返すとなれなれしい)

初めて会ったときからニコニコと愛想がよくて、昔からの友人のような顔でとてもフレンドリーです。

こちらもついつい笑顔で返してしまいがちですが、裏を返すと「なれなれしい」のです。

でも、相手がなれなれしいからといって怒ることはできません。

怒るという反応は過剰防衛で非難を浴びてしまうものだからです。

すぐにニックネームをつけて「ちゃんづけで呼んでくる」

対人距離の近い人はより近しい存在にするために、すぐにニックネームを思いつきます。

たとえばいつも夢見がちな人にムーちゃん(夢ちゃん)とか、目の大きい人はアイちゃんとか、もっとわけのわからん愛称(ニックネーム)も多いですけどね。

一方でたとえば介護の場面でときどきみられますが、年配の相手に「さん」ではなく「ちゃん」づけで呼ぶことは失礼になります。

「ちゃん」づけで呼ぶのは親しみを込めてという善意の意味と、実は相手への敬意を引き下げる効果があるのです。

プレゼントが多い

小さなプレゼントをよくするのが、この種の人の特徴です。

「はい、お土産」とか「もらい物で悪いんだけど、おいしいのよ」といってお菓子をもってきたり。

プレゼントは善意なのですが、距離感を縮めますので注意が必要です。

というのも人はプレゼントされると、なにか返礼しなければという気持ちにさせられるからです。

この気持ちはほとんど本能的なものです。

生物学では「互恵的利他主義」と名付けられている行動で、人間ばかりでなく多くの生物種で観察されています。

集団生活をする動物ではなくてはならない行動なのです。

とにかく本能にまで踏み込んだ作戦なので、防ぐのがなかなか難しいのですが、もし、あまりにも小さなプレゼントを貰い続けることがあったら、とりあえず黄色信号をつけて注意しておいてください。

親切(裏を返すとおせっかい)

これもプレゼントと同類です。

どうであれ互恵的利他主義はおおいに結構ですが、ただ、親切を受けると親切で返しておきたいという互恵的利他主義が発動されてしまう。

つまり無条件に本能的にお返しをしなければという気持ちにさせられます。

だとすれば、多すぎる親切を受けた場合は心苦しくなってしまうのは当然なんです。

あなたが、もしある人から親切の押し売りに苦しんでいるようなら、あなたがおかしいのではなくて、あなたの本能が正常に作動している証拠です。

最後にもう一度、過剰な親切に対しては過剰に返す必要はありません。

心地いい距離感には理由がある

遠いからこそ遠ざけるのが難しい

前項では、対人距離が近い人の特徴をあげてきましたが、だからといって、この種の人々が悪人だといっているわけではありません。

対人距離の近い人同士では、親密な交流が苦痛なくできる人も多いでしょう。

ただ問題なのは対人距離が近めの人は、誰にでもこの距離感で迫ってくるので、対人距離が遠めの人たちにとってはドッと疲れてしまうのです。

だから、自分自身が対人距離遠めの人たちは少し不利です。

なぜならフレンドリーに近づいてくる対人距離近めの人を遠ざけるのは難しいからです。

その難しさは、どうもヒトという種に備わった本能に近い遺伝的なプログラムによるようです。

たとえば、たいてい誰にでもいえるのですが人から握手を求められてきた場合、思わず握手を返してしまいませんか?

相手が笑顔で挨拶したら、やはり笑顔でかえしてしまいますよね。

相手が笑顔で近づいてきたときに、警戒して無視するのはけっこう無理していると思いませんか?

街頭で声をかけてくるセールスのお兄ちゃん、お姉ちゃんにはなにか売りつけられるとたいへんなので、無視して足を速める人が多いのですが、目が合ってしまって、向こうがニッコリしたら、ついうっかりこちらもニッコリしてしまったという体験はありませんか?

にんげんはこんなふうにプログラムされているようです。

実はこの人たちだと疲れない

そもそも対人距離遠めの人は、人付き合いそのものを疲れるものと決め付けてしまっている可能性があります。

一方で相手が対人距離の遠目の人だと、そんなに疲れないのでしょうか?

ただし、対人距離遠めの人は、一見冷ややかで無愛想な印象があるので、「わ、この人苦手だわあ。」と考えてしまいがちでもあります。

打ち解けると距離をとってくれるので苦しくないし、困っているときには必要な分だけ助けにきてくれて、またサッと離れていきます。

いかがですか?いるんじゃないでしょうか。そう、あなたの古い友達です。

古い友達というのは、長い間つきあいが途絶えることなく続いているということを意味します。

つまり、あなたにとって一番距離感の合った人ということなんです。

でも、そういう人は少しばかりおもしろみにかけていると思ってませんか?

そう、人間というのは欲張りで距離感にしてもそう、たしかに遠すぎる人は退屈だし、近すぎる人は疲れるんです。

というわけで、あなたよりほんの少しだけ対人距離遠めの人が、あなたの最良の友達なのです。

他人との心地よい距離感をつくる3つのステップ

ステップ1.まずは大手術を敢行する

ここからは、周囲の人々と、もっと心地いい距離感をとるための方法についてご紹介していきましょう。

ずるずると相手のペースに巻き込まれて対人距離を詰められて疲れ果てている人には少し酷かもしれませんが、このままだとそれだけではすみません。

あなたのこころが危険な状態になる可能性もあります。

力を振り絞って大手術です。

それは、相手とぶつかる必要があるということ。

あなたが平和的に距離をとろうとしても、相手はきっと責めてきます。

「私の親切を無駄にするつもり!」とか「恩を仇で返すようなマネをして、絶対許さない」とか、あなたはきっとビックリすることでしょう。

でも負けてはいけません。

敢然として離れる必要があります。

なにをいわれてもヘナヘナにならないように。

ここが正念場だと思ってください。

手術時間は縮まってしまった距離感と相手のしつこさの重症度に比例します。

ちなみに大勢のなかで自分だけが距離感が違う場合は、勇気をもってそのグループを抜けることです。

または仕事で上司とか同僚に距離感を詰められてしまった場合、喧嘩はまずいとおっしゃるかもしれませんが、やはり平和的な解決は望めません。

あまり苦しい場合はぶつかる必要があります。

あなたが敢然とした態度をとれば、相手のほうも引いてくれる可能性もあります。

あなたの平和主義が今回の問題点だったのですから、あなたが敢然と闘う覚悟をみせれば、相手は戦意を失います。

それでも駄目な場合は辞職したほうがましなケースもあります。

とりあえずここまでが大手術で、あなたにとって一番難しい局面でしたが、ここまでくれば後は比較的楽ですよ。

ステップ2.言い訳をする

大手術で距離感が遠くなれば、一目散に逃げるやり方もあるのですが、機会があれば自分と相手の距離感の違いを説明できると恨みが残らなくていいんです。

ぶつかるということは、ある程度後遺症も覚悟しなければなりません。

ここで先住アメリカインディアンの間で行われていた、ポトラッチという名前の風習についてご紹介しましょう。

この風習はいってみれば「贈り物による戦争」です。

A酋長はB酋長に「友好のしるし」といって、貴重な牛を一頭プレゼントしました。

贈られたB酋長はその牛を気前よく部族民に豪勢にふるまい、お返しだと三頭の貴重な牛をA酋長にプレゼントしました。

A酋長は、やはり三頭の牛を部族民に豪勢にふるまってから、B酋長に五頭の牛に豚を五匹付けてプレゼントしました。

なぜそんなことをしたかというと、この部族では大盤振舞をしてお返しができなくなると名誉を失ってしまうからです。

この戦争は延々とつづき、最後にはどちらの酋長の村も滅びてしまったという記録があります。

どうも「やられたらやり返す」は武力による戦いばかりではないようです。

名誉をかけて贈り物合戦がエスカレートするなんて馬鹿げているように感じるかもしれませんが、「目には目を歯には歯を」のような親切やプレゼントにも攻撃要素が含まれています。

もしあなたが疲れてしまったとしたら、実はそのせいかもしれません。

そしてあなたが決然と去ったとしても、相手は恨みを残している可能性もあるので、この言い訳をすることが役に立ちます。

元々、どちらが悪いという問題ではなかったのです。

「私はね、あまり人付き合いが上手なほうではないの。だから無理してつきあってたけど疲れてしまって。

あなたが悪いわけでは決してないので、それだけは言っておきたくて。ごめんなさい」と素直に謝れたら関係の修復はもうすぐです。

ステップ3.適正距離に是正する

心地良い対人距離は人によって異なることはすでに書きましたが、大手術の後にお互いの対人距離をもう一度設定しなおすことができると、対人距離が違う者同士でも友達になれる可能性があります。

お互いの対人距離が違うことを認め合ったうえで遠めの人に合わせるというのが原則です。

なぜなら遠い距離をとっておけば遠めの人には脅威にならないし、近めの人には物足りないかもしれませんが、どちらかが脅威を感じるよりはましです。

結局はお互いが少し遠慮するという関係が友達関係を長くするコツなんです。

でも、大喧嘩をした後仲直りすると、結構いい友達関係になれることも多いので、たまには対人距離で失敗してここで記してきたような大手術を決行することも悪いことばかりではないんです。

あまり慎重になりすぎると人生がつまらなくなる可能性もあります。

ただ童歌『通りゃんせ』ではないけれど「行きはよいよい、帰りは怖い」という原則は覚えておく必要があります。

つまり仲良くなるのは簡単なのですが、離れるときはかなりの痛みが伴うのでご注意くださいね。

対人距離の遠すぎる人は裸の王様

孤独の寂しさ

前半は対人距離の近い人とどう戦っていくかについて申し上げてきました。

この人たちは、あなたのような対人距離の遠い人にはハタ迷惑なので、対策が必要だったのですが、遠すぎる相手はあなたとは基本的に噛み合うことがまったくないので、対策の必要はありません。

残るはあなたの対人距離が遠すぎることから発生する問題をどうするかです。

つまり、対人距離を遠くにとりすぎて困っている人への処方箋も書いておかないと片手落ちですものね。

対人距離が近いために少しずつ距離をとっていった結果、気が付いてみると離れすぎてしまって、周りに誰もいなくなってしまったなんてことも起こりえます。

その場合に生じるのは一人ぼっちの寂しさや心もとなさです。

人が怖くて遠ざかったのに、遠ざかると寂しい。

ほんとうに人間って不自由なものですね。

でも、ちょっと寂しいくらいが、ほんとうはちょうどいいのですが。

いろんな一人遊びを覚えると寂しさはずいぶん緩和されるのですが、寂しさものど元過ぎると危険です。

もともとヒトという人という種は群居性の動物で、オラウータンや虎のような単独型の動物とは違います。

完全に孤立するのは止めておいたほうが身のためです。

だからこそさきほども申し上げたように、距離感の遠い友達は大事にしましょう。

たまには知り合いに手紙やカードを送ってみるのもいい方法です。

返事が来なかったらよけい寂しくなるのでしょうか。

たしかにそういう側面はありますが、2,3回は続けてよいでしょう。

それでも返事がないなら深追いはしないこと。

ストーカーに間違えられる恐れもあるので、また別の人に書いてみるのがいいかもしれません。

独善的になる危険性

長い間人から遠ざかってしまうと、自分の意見に反対する人が誰もいないので、どんどん考え方が自分勝手になってしまって、世間で通用しなくなる可能性もあります。

裸の王様みたいに自分の考え方だけが正しくて、ほかは皆間違いという独善的傾向がこころのなかに蔓延してしまいます。

イエスマンばかりを自分の周りにはべらす経営者の場合は、たいてい会社が傾きます。

自分に反対の意見をもつ人を少しは温存しておいたほうが自分のこころの暴走に対するブレーキになるものです。

独善的になるのと対照的に自分が、とても小さい存在に見えてきて、「自分なんか、どうせ適応できない弱虫なんだもん」と世をすねてしまうタイプもあります。

交流がないので自分に適応力があるのかないのか判断がつかないままズルズルと過ごしてしまいます。

時間が経過するにつれて自分がどうなのか試すのが怖くなってしまいます。

そのためよけい引きこもってしまいます。

本来距離をとることはいい距離感をつくる方法だったはずが、苦しい引きこもりに変質してしまいます。

基本的には距離感の適正なのが一番良いわけで、それは遠ざかるばかりではなくて近づくことで失敗してもいいから試すことが大事です。

押したり引いたりしながら一番適正な距離感を作っていくことを心がけるのが大事です。

いかがでしょう。

ほんとうに人間って面倒ですね。

対人距離が近いのは息苦しいし、遠すぎると寂しい。

ちょうどいい距離感が理想なんですが、さじ加減は微妙で難しい。

基本原則は近づき過ぎより、少し遠め、つまり少しばかり寂しめくらいがいいようです。

難しいときに効く距離のとり方

もうやめて、はなぜよくないのか?

対人問題においては、対人距離をただ遠ざけておくだけでは解決できないものもたくさんあります。

たとえば子育てなどはその最たるものです。

嫌な相手からは対人距離をおけばいいのですが、苦手であろうとなんであろうと、子育てではかなり密着した人間関係が要求されるし、対応は難しいものです。

昔であれば放っておけば兄弟も多いし、みようみまねでお兄ちゃん、お姉ちゃんのやり方を学んでいってくれたものですが、最近は兄弟も少なく、友達も昔より希薄な関係になっているので、親がさまざまな役割を果たさねばならないようです。

特に子どもが反抗したとき、それも普通の反抗ではなく家庭内暴力にまえ発展してしまったときに、どうするのがいいのか、途方に暮れてしまいます。

放置するわけにもいかないし、逃げるわけにもいきません。

こんなケースが心理相談などにもよく持ち込まれるのえすが、一つ興味深い方法を紹介しましょう。

家庭内暴力などで親に反抗する子に対して、「もうやめて」というのは火に油を注ぐようなものです。

だからといって、ほかになんていえばいいのか困ってしまいますよね。

こんなとき親が、「もっと反抗しなさい」という全く逆のメッセージを出せばどうなるでしょうか?

まずは理屈から話しますね。

「もっと反抗しなさい」という指示に対して、子が反抗したら、子は親の指示を聞き入れたことになりますよね。

つまり反抗しなさいと命令されて反抗したのだから命令を聞いてしまったことになる。

これは反抗していないことになります。

またこの子が反抗しなければ「反抗しない」のだから素直ないい子ということになります。

つまり親に反抗しても、反抗しなくても親のいうことをよく聞く子になってしまい反抗できなくなってしまいます。

でもそれは言葉の理屈でしかないと思われる方もいるかもしれません。

たしかにそうですね。

ですが、これが効果的なんです。

なぜかといえば、親が捨て身になって、「もっと反抗しなさい、受けとめてあげるから」というと、その迫力に動けなくなってしまう子が多いからです。

「もっと殴りなさい」と面と向かっていわれて、殴られる子ってあまりいません。

どうしても距離を詰めなければならないときは、捨て身でいくしかありません。

小手先の技術はこのときはほとんど無効なんです。

動けなくなってしまう方法

いま説明した技法は少し変わっているとお感じになったかもしれません。

この技法は「治療的二重拘束」といって、アメリカのパロアルトにある有名なMRIという心理療法センターの研究から導き出された方法なんです。

コミュニケーションというのはなかなか複雑なもので、なかなか理屈で割り切れません。

たとえば「二重拘束」という概念があります。

これは二つの相矛盾するメッセージを同時にある人に向けて発信するとどうなるかというものです。

別に珍しいものではなく、どこでもみかけられるものです。

恋人同士の会話で、彼女が彼に「あんたなんか嫌いよ、向こういって!」と怒っています。

彼は困っていますが、とりあえず向こうにいこうとします。

すると、彼女が、「え?向こうにいくの?あなたってなんて冷たい人なの。女心がわからないの」と非難してきます。

「いや、ぼくは、あわわ・・・」と彼は苦しそう。

だって、彼は向こうにいってといわれたので、そうしようと思っただけなのに、いこうとすると「冷たい人」と非難される。

どうにも動きがとれなくなってしまいます。

また、母親が小さい子どもに「こっちにおいで」という言葉をかけています。

でも声の調子は「あっちへいけ」と、いわんばかり怖い顔して腕組みして「こっちへおいで」といっています。

子どもはお母さんの表情から「向こうへいけ」というメッセージを読み取りますが、言葉からは「こっちにおいで」という矛盾のあるメッセージを受け取り、どうにも動けなくなってしまいます。

これらは二重拘束の典型的なもので親密な対人関係で起こりやすい混乱をまねくコミュニケーションです。

しかし、先ほどの家庭内暴力の子に対しては親から二重拘束を子どもにかけて子どもの問題を解決することができました。

つまり毒も上手く使えば薬になるということなんです。

これは親子関係にとどまらず大人のコミュニケーションにも使えます。

たとえばあなたが彼に対して、「自由にしていいのよ」といったとき、もし彼が自由にしたとしたら彼はあなたの「自由にしなさい」という命令を聞いたことになり、自由にしていないことになります。

一方で自由にしなければ、文字通りあなたの本来の意図を聞いてくれることになります。

つまり彼はあなたに逆らうことができません。

そしてあなたは必ず勝利します。

でもほんとうの意味は、あなたが捨て身の覚悟をしたとき、彼はあなたを裏切ることができなくなるということにすぎないのですが。

このように最適な距離感というものは人によって違うし、近すぎても遠すぎても苦しいものです。

ぜひこの機会にもう一度、近すぎる人との付き合い方や遠くまで離れすぎた人へのつきあいを見直してみてください。

そのうえで相手主導から自分主導の人付き合いをめざしていきましょう。