他人の目が気になるとは

他人の目が気になる人をつながりの視点から見ると

「他人の目」が気になっているとき、私たちは、相手、自分、今(現在)とのつながりが断たれている状態にあると言えます。

例えば、他人の目が気になってひとりで外食ができない、という人がいました。

この状態を「つながり」の観点から見ると、次のようになります。

相手とのつながり

他人の目を気にしている時、私たちはリアルな他人ではなく、自分が抱えている「少しのトラウマ」や事情によってうまれた「想像上の他人」からの評価におびえています。

リアルな他人とのつながりが断たれているからこそ、「想像上の他人」の声が気になってしまうのです。

外食時に「ひとりでいると、変に思われないだろうか?」「寂しい人だと思われないか?」などと「他人の目」が気になる時、それらは実際に言葉として聞こえたものなのでしょうか?

現実の世界で自分の周囲にいる他人が、声に出して発した言葉でしょうか?

実は単に「想像上の他人」の発言なのではないでしょうか?

この状態を脱するためには、リアルな他人とのつながりを意識することが有効です。

レストランなどでは、周りをぐるりと見回してみましょう。

「この人たちには、それぞれ事情がある」「ひとりでいることへの感じ方は、人それぞれ」「そもそも、他人がひとりでいることに、関心のない人も多い」といった、複雑で多様な、リアルな他人を意識すると、他人の目を気にする心と距離をとることができます。

人は、思っている程他人を気にしないものです。

自分とのつながり

他人の目が気になっているときは、リアルな他人だけでなく、自分自身とのつながりも絶たれていると言えます。

「ひとりで外食をしている経緯や理由」や、「自分がどう感じるか」といった、自分の事情や感じ方を優先せず、「他人からどう見られているか」という外部からの評価ばかりを気にしているのですから、自分自身とのつながりが切れてしまっているのです。

自分とのつながりを取り戻すためには、自分が抱えている少しのトラウマや事情を含め、ありのままの自分を受け止めていく作業が必要です。

「いろいろあったんだから、仕方ないよね」という感じに。

また、今食べているものを味わって食べる、料理の香りを楽しむなど、自分の身体で感じたものとつながるという方法もあります。

今(現在)とのつながり

他人の目が気になっているときは、心が「今」にない状態とも言えます。

「今」とつながると、そもそもの「自分」という概念が消えてしまうものです。

こう記すと、「そんなことはない、自分は今、ひとりでいる寂しさを感じている」と反論される方もおられるかもしれません。

しかし、「ひとりでいると、友達のいない、寂しい人だとおもわれるのではないか」と思っているときや、「自分ってなんて孤独なんだろう」と思っているときは、「今」を感じているように見えながら、決して「今」にいないのです。

それは、「今」とは関係なく、自分の頭の中で思考が繰り返されているだけ。

自分自身が「今」感じていることではないのです。

「今」とつながるということは、「今」を感じる、ということです。

「一期一会」という言葉がありますが、自分が全く同じ食べ物を食べることは二度とないのだ、と思うと、それがとても貴重な機会にも感じられるでしょう。「今」に意識が集中します。

カフェでひとりコーヒーを飲んでいるときでも、「今」とのつながりを感じることができます。

例えばコーヒーの美味しさや香りを感じるときには、「今」とつながっていると言えます。

するとそこから、おいしいものへの感謝を感じることができます。

おしゃれな店内でゆっくりできる「今」に幸せを感じられれば、そのことに感謝の念を抱き、それもやはりつながりを感じているということになります。

いずれも「ひとりでコーヒーを飲んでいるなんて、暗い人だと思われるのではないか」などということを気にしているときとは比較にならない、豊かな感覚です。

なお、相手、自分、今の3つの「つながり」は、それぞれが独立して存在しているのではなく、緩やかに連なりあっています。

ポイント:3つの「つながり」で他人の目と距離をとることができる

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今とつながると自分という概念が消える

「今」とつながると、「自分」という概念が消えます。

これは、何かに本当に集中したときのことを思い出すとわかると思います。

何かに集中しているときには、「私って・・・」などと考えたりしないのです。

ただただ目の前にある対象に集中しているだけで、「自分」に向ける意識もなくなっているものです。

つまり、対象と完全につながるとき、「自分」はなくなるのです。

「自分」という概念がなくなる、ということは、もちろんひとりが辛いなど感じないということ。

ひとりでいることへのストレスは、自分に関する感じ方だからです。

また、「自分」という概念がなくなると、「自分はちゃんとできるだろうか」「自分はこれからどうなるのだろう」などという「自分」についての不安がなくなります。

自分についての不安は、とてもエネルギーを消耗するものなのです。

「自分」という概念がなくなれば、当然、「ひとりでいる自分は、寂しい人間と思われている?」などと考えずにすみます。

今に生きることができれば、自分について思い煩わず、ただただ目の前のことに集中できるようになります。

今に生きることは、ひとりでいるための特効薬、とも言えます。

ポイント:自分という概念がなくなると、自分についての不安がなくなる

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他人の目が気になる人はつながりで解消

今とつながっていると孤独を感じない

ご自分のことを振り返ってみてください。

今までに、ひとりでいたけれども孤独を感じなかったのはどんなときでしょうか。

例えば、空を見て、「わあ、今日の空はキレイだな」と思っているときには、孤独を感じていないはずです。

これは、空の美しさに心を奪われているとき、と言えますが、このとき、心は「今」(または今感じている、目の前の空の美しさ)とつながっています。

もちろん自分も、ありのままです。

「空を見たらきれいだと思ったほうが好かれる」「ひとりで空を見ているなんて、寂しい人だと思われる」などという余計な思考はありません。

また、集中して仕事や読書、家事などをしていたときも孤独を感じなかったでしょう。

そのようなときには、仕事や読書、家事につながっていると言ってもよいですが、「時間がたつのを忘れて」というような状態であれば、今とつながっている、と言ったほうがよいかもしれません。

今とつながることができるのはありのままの自分だけです。

ありのままの自分を否定した時点で、余計な観念が現れてきて、「今」とのつながりは失われます。

平たく言えば、余計なことを考えると集中力が削がれる、ということです。

基本的に、何かに集中しているときには孤独を感じないものですが、それは、今とのつながりがあるからなのです。

物理的にはひとりでいても(つまり「目に見えるつながり」がなくても)、人はいろいろなつながりを感じることができます。

そして、つながりを感じる力が強い人は、「ひとり」でいられる、と言えるでしょう。

一方、何かとのつながりを感じていない人は、自分がとても孤立していると感じてしまいます。

また、今とつながっているわけではないので、「友達がいない、かわいそうな人だと思われているのではないだろうか」「自分は誰からも必要とされていない孤独な人間なのではないか」などという、「ありのままの自分」を否定するような、余計なしこうが入り込む余地もできてしまうのです。

ポイント:何かに集中しているときには孤独を感じない

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自分や今と強くつながる、確固たる目的意識

単身海外に渡り、誰とつるむのでもなく、黙々と活躍するスポーツ選手。

その姿を見て、強い精神力に感動する人はいるでしょうが、「友達がいない、寂しい、かわいそうな人」と思う人はほとんどいないと思います。

厳しいトレーニングに耐えて活躍しているスポーツ選手の最大の特徴は、「確固とした目的意識がある」ということでしょう。

スポーツの能力を伸ばしたい。

試合でできる限りの成果を上げたい。

つまり、「自分の限界に挑戦したい」という目的意識です。

このような目的意識を持っている人は、自分が他人からどう見られているかをほとんど気にしていません。

「ひとりでいたら、寂しい人だと思われるのではないか」などと心配したりはしないのです。

また、よほど弱気になったとき以外は、孤独に打ちのめされてしまうこともないでしょう。

なぜかと言うと、自分の目的意識とのつながりがあまりにも強いため、他の余計な観念が入り込む余地がないからです。

「つながり」が強ければ、「ひとり」でいられるようになります。

「ひとりでいられる力」というと、「つながらずにやっていける力」のように思えますが、実際には違います。

「ありのままの自分」が何かと本当につながっていると感じるときに、私たちは最も安定し、最大限の力を発揮することができるのです。

なぜかと言うと、「つながっている感覚」がない、ということは、自分のどこかの部分を隠したり出し惜しみしたり恥ずかしく思ったりしているということ。

他人の目を意識しているということです。

ありのままの自分が何かと「つながっている感覚」を持てるということは、自分の可能性がすべて開かれている状態、とも言えるのです。

もちろん、ここで言う「つながり」は、「目に見えるつながり」のことではありません。

スポーツ選手が「目的意識」とつながっているとき、それは、目には見えない、内的な、「自分」とのつながりだと言えます。

また、試合中などは「今」とつながっている、ということになるでしょう。

それが集中の極致を作っていきますが、やはりこのつながりも目に見えるものではありません。

「火事場の馬鹿力」などと言われるものも、同じような性質を持っています。

火事場で、普段だったらあり得ない力が発揮されるのは、「今」「目的意識(自分自身の内面)」と強烈につながるからです。

ポイント:人間は何かとつながっていると感じるとき最も安定し、最大限の力を発揮する

つながりは作るものではなく感じるもの

それはそうかもしれないけれども、トップアスリートはそもそも意志が強い人たちだから「ひとり」でもいられるのだろうし、いつも火事場るわけにもいかない、と思われるかもしれません。

自分はそんなに意志が強くないから、何かとの強いつながりを持つことなどできない、だから「ひとりがつらい」と感じてしまうのだ、と思う人も多いでしょう。

でも、それは違うのです。「つながっている感覚」というのは、誰もが普通に経験しているものなのです。

「つながっている感覚」とは、大きな視点でいえば、「世界」とのつながりなのだと、私は考えています。

「他人・自分・今(現在)」とのつながりが大切です。これらのベースには、広い意味での「世界」が横たわっているのです。

厳密にいうと、「世界」の中に、「他人」も「今(現在)」も含まれます。

「世界」とつながるとき、私たちは自分自身に対する思い煩いから解放され、自分自身の感覚(自分の感じ方)を優先している状態だと言えます。

これは「自分」という概念が消えた状態であり他人の目に邪魔をされることもありません。

「他人・自分・今(現在)」というものは、広い「世界」とつながる際にとっかかりとして使いやすい項目なのです。

一例をあげましょう。

ひとりで外食をしているとき、その食材、それを料理した人、それを栽培した人、運搬した人、その食材を育んだ土壌、その土壌を作ったさまざまな生命など、いろいろなことがあってこの食べ物があるのだ、と考え、感謝の気持ちを持てば、ずいぶんいろいろなものとの「つながり」を感じられるはずです。

「今」に集中し、実際に料理をしてくれた「他人」を感じ、幸福を感じると、心が「世界」とつながるのです。

他人の目よりも、ありのままの自分とつながっているともいえます。

カフェでひとりくつろいでいるときに、コーヒーの香りや環境の良さに幸福を感じられたのなら、目が合った店員さんに「いつもありがとう」という心を込めて、にっこりほほえみかけ、つながりを感じてもよいでしょう。

これは一見すると「目に見えるつながり」を作った、と思えるかもしれませんが、店員さんが戸惑ってしまって不審な態度を取ったとすると「目に見えるつながり」のほうはできませんね。

それでも、「急にほほえみかけられて戸惑ってしまったんだな」と温かく見ることができれば、「世界とつながっている感じ」を維持することができます。

他のことでも、例えばジョギングをする場合でも、「運動して脂肪を燃焼させなければ」「運動して、ランナー仲間を作らなければ」と「得よう」と思うのではなく、自分は地球の上を走っているのだな、と思えば、自分を毎日支えてくれている地球への感謝も感じられ、地球とのつながりを感じられます。

沿道の植物を見ては、「きれいな姿を見せてくれてありがとう」と感謝の気持ちを向け、季節とのつながりを感じることもできるでしょう。

また、空を見て、自分が宇宙の中の一つの惑星の上にいるのだなあ、などと感じていると、寂しいどころか、感動すら覚えるかもしれません。

これは、「世界とのつながり」と言えるものだと思います。

実際、自分はこの世界で生きているわけですから、世界とのつながりがあるのも当然ですね。

このように、すべてのものはすでにつながっている、と言えます。

ですから、つながりをわざわざ「作る」必要はなく、単に心を開いてそれを感じるかどうかだととらえてみれば、よいのです。

そのきっかけとして使いやすいのが「他人・自分・今(現在)」の3つです。

心を開き、すでにある「つながり」を感じることができれば、「目に見えるつながり」などどうでもよいことだとわかるはずです。

仮に相手が自分との「目に見えるつながり」を拒否したとしても、「拒絶された」と思うのではなく、「何らかの事情があって今の相手にとっては難しいことなんだろうな」という優しい目で見てあげれば、そこにはやはり「つながっている感じ」があって、少なくとも自分はそれを感じることができるのです。

なお、「世界とのつながり」などと言われてしまうと、「宗教がかっている?」などと警戒心を感じる方もおられるかもしれません。

もちろんどんな人にも宗教の自由はあると思いますが、ここで話していることはもっとシンプルです。

例えば私は自然がとても好きです。

人も好きだしおしゃべり好きですが、自然の中に一人でいるときには、それで十分満足なのです。

大好きな木の香りをかぐことも、そんな中をいろいろ感じながら歩くことも、とても好きです。

自然の中で読書することも。

もちろんそういうときの私は「今」にいるのでしょう。

寂しい感じは全くありません。

そんなふうに、私たちが暮らしている世界には本当にいろいろな恵みがあって、すでにつながっているのですね。

ポイント:すべてのものは、すでにつながっている

まとめ

相手、自分、今のつながりで他人の目が気にならなくなります。

他人は自分のことをそれほど気にしていません。

今に集中すれば、自分という概念が消え、他人の目が気にならなくなります。

ありのままの自分で何かとつながっているとき、心が安定し、最大限のエネルギーを得ることができます。