他人の目が気になるとは

他人の目が気になる様々な事情

「ひとりでいることが他人からどういう目で見られるか」ということがとても気になる方には、「それぞれの人には事情がある」ということを、頭に入れておいていただければと思います。

私たちひとりひとりには、持って生まれたもの、生育環境、どんな性格や価値観の人が近くにいたか、今までにどんな体験をしてきたか、現在どんな状況に置かれているか、健康状態、今日の体調や機嫌、今日起こったことなど、本人にしかわからない事情があります。

そして、私たちが何かを考えたり感じたりするときには、必ずその「事情」の影響を受けるものです。

「それぞれの人には事情がある」ということを踏まえていない人は、簡単に他人のことを決めつけます。

ですから、ひとりで食事をしている人がいたとして、その人の事情を考えもせずに「きっと寂しい人なんだ」と決め付けるのは、「それぞれの人には事情がある」ということを知らない、そして考えてもみない、未熟な人なのだと言ってよいでしょう。

本当はよい友達がたくさんいて、信頼されていて、という人が、たまたまその日の都合のためにひとりで外食をしなければならないということはあります。

また、友達には不自由していないけれども、食事はひとりでゆっくりするのが好き、という人もいます。

あるいは、いじめられた経験があって、または対人不安が強すぎて、どうしても人の輪には入れない、という人もいるのです。

拒食症の人などは、その食べ方の特殊性ゆえ、他人と一緒に食べるということそのものが不可能というケースが多いです。

その場合、ポイントとなるのは「寂しい人」という部分ではなく、いじめられた経験や対人不安、抱えている病気などになるはずです。

誰でも同じ条件を与えられれば、同じような状態になるであろうからです。

そんな事情を知りもしないで、「よくひとりで食事なんかできるよね」「寂しい人だよね」などと言っている時点で、「それぞれの人には事情がある」という視点を欠いていると言えます。

ポイント:それぞれの事情を考えずに決めつけるのは未熟

■関連記事

「ひとり」を嫌う人にも事情がある

しかし、「それぞれの人には事情がある」と配慮することができない人に対しても、「心が狭い」と簡単に決めつけることはできません。

例えば、自分自身が疎外された体験があって、あるいは、身近な人が疎外されたのを目の当たりにして、「ひとり=寂しい、辛い、必要とされていない、嫌われている証拠」などと刷り込まれてしまった人はかなり存在しています。

これもその人の「事情」と言えます。

ですから、他人を決めつけてくる人のことを単に「嫌な人」「性格が悪い人」と見るのではなく、「自分自身も決めつけられて育ったのだろうか」「もしかしたら疎外された体験があるのだろうか」「身近な人が疎外されたのを見て、自分は疎外されまいとして人の顔色を読みながら生きてきたのではないだろうか」などと考えてみることも重要なのです。

ひとりでいる人を目にしたとき、そこに何をどう感じるかは、見た人それぞれの事情を反映したものなのです。

「ひとりでいる人=寂しい人」という見方ばかりをする人は、その人自身がそのような信念を持って生きているのが普通です。

つまり、自分自身についても「ひとりでいたら、寂しい人だと思われてしまう」と緊張しながら生きているのです。

自分の少しのトラウマが生み出した他人の目が、ひとりの状況をネガティブに捉えていて、その目で終始見張られている。

そんな息苦しい生き方です。

ですから、ありのままの自分を受け入れるどころか、行動がかなり制約されているはずで、「ひとりにならないこと」を中心に生きている、と言ってもよい状態だと思うのです。

そのような決めつけをする人は、自らが疎外された体験(ひとりをネガティブに感じる体験)をしたことがあるのかもしれません。

あるいは、親などから、「いつも人から好かれるようにして、孤立しないような人間になりなさい」と育てられてきたのかもしれません。

または、学生時代の価値観のままの「まだ大人になっていない人」なのかもしれません。

しかし、実際には、先ほどからお話ししているように、「ひとり」をどうとらえるかはそれぞれの人次第です。

ひとりで行動するのが好きな人もいれば、ひとりで行動するのが好都合なときもある、ということを知っている人は、他人がひとりでいようと何人でいようと気にしないものです。

ですから、自分の「ひとり」を他人からどう見られるか、ということは自分のコントロール外にあり(自分側の問題ではなく)、見る人の事情を反映しているものに過ぎず、「ああ、(見る側に)いろいろと事情があるんだな」と思えば十分なのです。

自分がひとりで食事をしているとき、他人が「ひとり」に何を思うのかについては自分自身の問題としてとらえる必要はなく、むしろ見る人の事情として鷹揚に構えてあげればよいのです。

先に大人になった自分は、より自由を満喫できる。

そして、心に傷を抱えている人、あるいは「まだ大人になっていない人」のことは気の毒に思う。

そのくらいでよいでしょう。

ポイント:他人からどう見られるかは、他人の問題で自分のコントロール外にある

■関連記事

他人の目が気になる人の克服方法

「相手の事情」を考えると楽になる

目に見える「つながり」を求める人は、それが得られないと不安になります。

例えばいつもスマートフォンを持ち歩いて、常にLINEやメールをして誰かとつながっていないととても不安という人にとって、相手からの即レスがない状態は気になって仕方がなく、大きなストレスとなります。

しかし、相手の都合によっては、「即レス」が返ってこないことも十分にありがちです。

相手には相手の事情があって、こちらが返事をほしいタイミングで返事をすることができない、というケースは当然存在するからです。

それなのに、「自分は返事がもらえるか」ということばかりが気になって仕方がないということは、何でも自分に関連づけてしまっているということ。

「相手の事情」という視点がないと、「返事がこない!」「もしかして、自分のことなんてどうでもよいのかもしれない」ということばかりが気になってしまいます。

つまり、自虐的な形で自己中心的になってしまうのです。

しかし、相手は何らかの会議中で拘束されているのかもしれない、あまりにも疲れて眠り込んでしまっているのかもしれない、入浴中なのかもしれない、そもそもメールが苦手なのかもしれない、など、メールにすぐ返事ができない事情があるのでしょう。

「相手にも事情がある」ということを中心に考えてみれば、そういったことはいくらでも思いつくでしょうし、自分が即座に返事をもらえないことが「気になって仕方がない」ということにはならないでしょう。

返事がもらえないのは不愉快でも、少なくとも、「自分のことなんてどうでもよいのかもしれない」などと自分をいじめることが減ると思います。

ポイント:「相手の事情」を考えるとストレスが軽減される

■関連記事

他人を知らないから「他人の目」がうまれる

自分が抱えている事情を認め、自分が感じたことをまず受け止める、という作業は「ありのままの自分」を認める作業です。

「ひとりでいると寂しい人間だと思われるのではないか?」といった、「他人の目」を気にする心からいったん離れ、「ひとりを嫌がる自分にも、それ相応の事情があるのだ。

ひとりが嫌だと感じてもよいのだ。」と、今の気持ちを肯定する作業です。

このように「ありのままの自分」を感じ、認めることができるようになると、他人に対しても一方的に決めつけることが少なくなります。

「あの人は、今はひとりだけれど、何か事情があるのだろう」

「先天的にひとりが好きな人なのかもしれない」というふうに、「相手の事情」を考える余裕が、自分の心の中に生まれます。

「相手の事情」を考えられるようになると、「ひとり=寂しい人」という思い込み自体が弱まり、自分自身が「ひとり」の状況に置かれても、以前ほど「他人の目」が気にならなくなります。

自分には事情があるのだ、と「ありのままの自分」を認めると、「他人の事情」が見えてきて、結果的に他人の目が気にならなくなるのです。

実は他人の目を気にするという心理は、他人を気にしているようでいて、他人をきちんと認識していないときの感覚です。

他人の目とは、自分自身の思い込みや自分の事情が反映されたものなのです。

「想像上の他人」と言ってもいいでしょう。

リアルな人間関係の経験に乏しく、人間の実際の姿をあまり知らない人が、他人の目を気にしがちだといえます。

ただし、これは「対人関係能力がない」「友達が少ない」という意味ではありません。

ここに至るまで、リアルな人間関係を避けてしまう、その人なりの事情があったのだということです。

例えば、過去の経験や育った環境の中で、他人からネガティブな評価ばかり受けてきたのであれば、「他人とは、自分を評価し傷つける存在だ」と思い込んでしまうので、その実態と深くかかわろうとはしないでしょう。

そういった事情をまず受け入れ、実際に他者とコミュニケーションを取っていく作業が必要です。

他人の目を気にしない方法として、リアルな人間同士のやりとりを通して「他人」の実態を実感してもらいます。

すると「人間は他人を評価だけでみているわけではないのだな」ということに気づきます。

一例をあげると、「私は以前よりも太ったから、相手は自分を批判的に見るだろう」と思うような場合もあるでしょう。

しかし、相手は「あ、太ったかな?」と瞬間的に反応するものの、その後に「なにか太る理由があったのかな?」「ストレスかな?」と思いを巡らせ「あまりこの話題に触れるのはよくないな」と結論づけ、結果的には一言もそれらを話さず、何事もなかったかのように挨拶をする、ということも往々にしてあるのです。

そういった「他人」という複雑な生き物のリアルに触れてもらい、自分の中に生まれた「想像上の他人」を修正していきます。

「ひとり=寂しい人、問題のある人、必要とされていない人」といった思い込み、「他人の目」を手放すためには、「ありのままの自分」を受け入れる作業から始める必要があるのです。

それからもう一つ。

「つながり」を感じることも、「他人の目」を手放すときに有効です。

ポイント:「ありのままの自分」を受け入れると、「他人の目」がさほど気にならなくなる

まとめ

他人の目が気になるには様々な事情があります。

その事情を考慮しましょう。

他人からどう思われるのは他人の問題で、相手の事情が分かれば楽になります。

他人の目を気にしてしまうのは、自分の思い込みなどを反映しているからです。

その自分の思い込みをなくすには、ありのままの自然体の自分で他人と接することです。

そういう楽な状態で他人と接すれば他人の目は気にならなくなります。