
回避型愛着スタイルの人にとっては、働かないで暮らせることが、ある意味、理想である。
外で働くよりも、家の中で好きなことをしていた方が、本当は気が和むのである。
生きるためには、そんなことを言っていられないが、心のどこかには、こんな嫌な仕事や生活は放り出して、もっと自由で何の束縛もない暮らしを夢見る気持ちがある。
だから隠遁や遁世への願望もある。
回避型愛着スタイルの人に人気の高い仕事に作家業がある。
社会に出て働くことなく、空想の世界に遊ぶことで作品を書き、原稿料や印税を得る。
束縛されることもなく自由である。
何よりも働かないで暮らすことができる―そういうイメージが作家という仕事への憧れを生んできたのだろう。
しかし実際には、よほど人気作家にならない限り、他に職業をもたないと、到底生活が成り立たない。
人気作家になったらなったで、毎日相当量の原稿を書かねばならなくなる。
連載を抱えていれば、締め切りに追われ、徹夜で書きたくもない原稿を書かざるを得ない。
連載をもたず、書下ろし作品を数年に一作発表するという村上春樹のようなペースの仕事は、彼や、『ハリー・ポッター』シリーズの作者J・K・ローリングにだけ許される贅沢なのである。
ローリングは、子どものころから空想好きで、大人になってからも現実の仕事にはあまり馴染めなかった。
結婚して娘ができたものの、離婚してシングルマザーとなり、その失意と生活苦からうつ病にかかる。
どうにかうつ病から回復した彼女は、社会に出て働きに出ることよりも、生活保護を受けながら、以前から書き溜めていた『ハリー・ポッター』を完成させる道の方を選ぶ。
それが、やがて途方もない成功へとつながっていくのである。
ローリングが無理をして働きに出る道を選んでいれば、たとえそれで生活できていたとしても、執筆時間がとれず、作品は完成しないままに終わっていたかもしれない。
現実に飛び出すのではなく、自分の世界に回避し続けたことが、彼女に成功をもたらしたのである。
ローリングが作家としての成功を夢見て、原稿に向かい続けていたとき、その作品が本当に成功するかどうかは無論、出版されるかどうかさえ、まったくの未知数であった。
一人の編集者の目に留まっていなければ、その編集者が自分の娘に読ませていなければ、無名のまま消えていく無数のアマチュア作家の一人となっていたかもしれない。
だが、結果的に失敗していたとしても、自分の可能性を試すことは、無意味なことではなかっただろう。
可能性を試すこと自体が、回避から一歩踏み出すことである。
社会に出ることを回避したとしても、それはもっと大事なものに自分の可能性を賭けているという意味で、回避ではないからだ。
それが社会のレールから脱落することであっても、むしろ自分自身の道を見出すことになるだろう。
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エリク・エリクソンのアイデンティティ探し
アイデンティティ理論で知られる児童分析家のエリク・エリクソンは、自らアイデンティティの危機を経験し、長いモラトリアムの期間を経て、自分自身の道を見出した人であった。
エリクは、デンマーク人の母親とユダヤ系ドイツ人の養父に育てられたが、実の父親については、名前さえ知らずに大きくなった。
医師だった養父は、エリクに後を継ぐことを期待したが、学校に馴染めなかったエリクは、成績も冴えず、養父の期待に応えることはできなかった。
エリクは気難しく、反抗的で、母親とも養父ともしっくりいかず、野心と劣等感が同居した不安定な青年だった。
ギムナジウムはどうにか卒業したものの、大学には進まず、そこから長いモラトリアムの時期が始まった。
その間、放浪の旅に出たり、芸術学校でデッサンや油絵を習ったりした。
青年期のエリクは画家になる夢を抱いていたのだ。
イタリアのフィレンツェでも暮らしたが、やがて自分の才能に限界を感じるようになった。
そんな状況に、突破口を開いたのは、友人からの手紙だった。
オーストリアのウィーンで家庭教師の仕事をしていた友人は、手紙の中で、自分の後釜にエリクを推薦したと書いていた。
エリクは、心の準備も何もまったくないままに、行き詰った暮らしから逃れるべくウィーンにやってくる。
そこで彼を待っていたのが、フロイトやその娘アンナ・フロイトであった。
当時、アンナは、父を助けながら、自らも児童精神分析という領域を切り開こうとしていた。
家庭教師の仕事というのは、アンナ・フロイトの分析治療を受けるために、アメリカからやってきていた富豪一家の子どもたちの面倒をみることだったのだ。
エリクは、精神分析にもフロイトにも、まったく予備知識をもっていなかった。
しかし、彼には、子どもを扱う天性の能力があった。
そのことに気づいたアンナが、彼を児童分析の道へと誘い込んでいった。
人生とは、決して自分だけの力で開かれるものではない。
エリクは、子どもたちが遊びの中で、無意識の願望や恐れ、傷ついた気持ちを表現することに注目する。
そして、それが、個人を超えた社会的な要素と結びついていることに気づく。
こうしたエリクの発見は、言語的な表現や個人の内面にばかり重きをおいてきた精神分析の枠組みを超越するものであった。
これも、エリクが既成の学問よりも、造形芸術の世界で道草を食ってきたからこその発見だった。
子どもを扱う天性の能力にしても、彼自身が子ども時代の問題を引きずり、子どものような感性を保ち続けていたからこそ、備わっていたものだ。
後にエリクが精神分析家として名を成すことになったのは、一つには彼の高い臨床能力にあった。
彼は次々と難しい患者の治療に成功した。
それが可能だったのも、彼自身もまたその落とし穴に堕ち、そこから這い上がった経験があったからだ。