元気になる気遣いは、現在への集中から

現在へ集中する気遣いで元気になる

相手のありのままを認めることも、自分がどう思われるかを考えないことも、実は「現在にいる」ということです。

相手について何らかの決めつけをしたり、「不安のメガネ」を通して見たりするときには、現在目の前にいる相手本人を見ていないということになります。

また、「自分がどう思われるか」を気にするときは、「自分のことをどう思っているか」というメガネを通して相手を見ているわけであって、これもやはり現在の相手本人を見ていないということです。

こうやって考えてみると、元気になる気遣いの基本は、「現在にいること」だということがわかります。

疲れる気遣いをしてしまうときには、「自分がどう思われるか」を気にしているのですが、これは「未来の結果」に心を奪われていることだとも言えます。

また、相手の話を聴きながら「この後に何を言おうか」ということばかり考えているようなときも、「現在」に集中しておらず、「未来」に心がさまよっていると言えるでしょう。

総じて、「どうやって気遣いをしようか」と頭で考えてしまっているときというのは、「現在」にとどまっていないと言えます。

過去からつくってきたデータベースを参照しながら、未来のことを考えているからです。

「現在」に集中すると不安を手放せる

今までに、何かに本当に集中したという体験は、誰にでもあると思います。

「時間がたつのも忘れた」というような体験です。

そんなときには心が透き通りますし、効率も上がりますね。

そのようなときには、私たちは何の不安も持っていないものです。

不安を抱えながら何かに心から集中することなど不可能だからです。

実は、「現在」に生きることは、自分に与えられる最高の贈り物。

私たちが経験できる最も上質の時間は、「現在」に集中している時間なのです。

人生の質は、そのうちのどれだけの時間を「現在」に生きることができるかで決まる、と言ってもよいほどです。

元気になる気遣いは自分への気遣いでもある、ということですが、元気になる気遣いをすることは「現在」に生きることを可能にする、ということもその大きな理由です。

「現在」に集中するための話の聴き方

現在に集中するための方法はいろいろあります。

瞑想などは典型的ですし、身体を動かしたり、アートをしたり、というのもそうでしょう。

しかし、そのような特別なことをしなくても、日常生活の中で現在に集中する機会はどこにでもあります。

それは、「相手の話に集中する」ということなのです。

私たちの日常は人とのやりとりで満ちていますから、人の話を聴く機会はいくらでもあるでしょう。

そのようなときに「相手の話に集中する」ということをすれば、簡単に「現在」に集中できるのです。

「相手の話に集中する」というのは、頭の中で相手についてあれこれ考えることではなく、むしろ、相手についてのさまざまな思考を手放すということです。

人の話を聴いていると、私たちの頭にはいろいろな思考が浮かんできます。

「どういうことだろう?」「この人は何を求めているのだろう?」と引っかかったり、「つまりこういうことね」とまとめたり、「かわいそうだ」「これは深刻な話だ」と評価を下したり、「どうしてこの人はこんなことをするのだろう」「この人はいつまでこの話を続けるつもりだろう」と批判的になったり、「この人に対して自分はどうしたらよいのだろうか」と自分の対処の仕方について考えたり、「ああ、自分にも同じようなことがあったな」と自分の過去を思い出したり、あるいは、「この後何を食べようかな」などと全く関係のないことを考えたりするなど、さまざまな思考が浮かんできます。

通常私たちが「人の話を聴く」というときには、聴いているのは相手の話だけでなく、むしろ自分の思考のほうを多く聴いているときが多いものです。

自分の思考を聴いているときは、「現在」に集中しているとはいえません。「現在」に集中するということは、相手の話だけを聴くということだからです。

現在に集中するためには、話の聴き方にコツがあります。

相手の話を聴いているうちに自分の頭に何らかの思考が浮かんできたら、それをいったん脇に置いて、相手に集中し直してみるのです。

すると、相手が話している内容が何であるかを問わず、相手が一生懸命生きている存在だということが感じられてきて、温かいものが自分の中から出てくるのを感じることができます。

もちろん、その感覚がいったん得られても、また数秒後には何らかの思考が浮かんでくるでしょう。

そうしたらまたそれも脇に置いて、相手に集中し直すと、同じような感覚を取り戻すことができます。

このようなときは、まさに現在に集中することができている瞬間です。

そこには不安もありませんし、あるのはまさに温かい安心感。

そんな姿勢で相手の話を聴いていると、相手にも安心が伝わっていきます。

「聴き上手」であることは、間違いなくよい気遣いの一つの形です。

「あの人に話しを聴いてもらえると安心する」「あの人には話をしやすい」と言ってもらえるようになると気遣い上手であるということなのですが、一般に、人の話を聴くのは疲れるということも多いでしょう。

でも、こうやって、考えをとりあえず脇に置いて相手に集中し直す、という聴き方をしていくと、疲れるどころか温かい気持ちになります。

自分にとっても持続可能で、相手にとっても癒し効果があり、まさに元気になる気遣いの典型例なのです。

「現在」は、さりげない気遣いのキーワード

気遣いの悩み:自分なりに気遣いをしたつもりなのに、相手が無反応だと「せっかくやってあげたのに」と腹が立ってしまう。

多くの人が、「見返り」を期待した気遣いはよくない、ということを頭では知っていると思います。

「無償の気遣い」こそが美しいということを知っているからです。

そして、「見返り」がないことに腹が立つ自分を、「人間として情けない」と思ったりすることもあるでしょう。

そうは言っても、頭で「見返りを求めないようにしよう」といくら考えても、切り替えはなかなか難しいもの。

苦手意識を持つとますます苦手になりますが「見返りを求めないようにしよう」というふうに「見返り」に注目してしまうと、かえって手放しにくくなってしまうのです。

それは、自分のありのままを否定する姿勢だからです。

ありのままを否定するところに「安心」はありませんが、人間は「安心」の中でこそ、前向きな変化をすることができるのです。

見返りを求める心を手放すキーワードは「現在」

ここでのコツは、実は、現在にあります。

見返りを求めるということは、現在にいないということ。

「今親切にしておけば後でプラスになるだろう」と思うことは未来のために現在を留守にしているということになります。

元気になる気遣いでは気遣いそのものがエネルギーを供給しますが、それは、現在気持ちがよいから、と言えます。

元気になる気遣いをするということは、自分を本来の自然な姿に戻すということ。

自然な流れを取り戻すのは、自分にとって気持ちがよいことなのです。

それは見返りなど必要としない、十分な気持ちよさです。

相手に元気になる気遣いをした後に、ふと「ちゃんと見返りがあるだろうか」という思考がわいてきたら、話を聴くときと同じように、単にその思考を脇に置いて、もう一度現在にに集中し直す、というふうに考えればよいでしょう。

焦点を当てるのは現在であり、「見返りを求めないようにしなければ」という思考ではない、というところがポイントです。

なぜかと言うと、「見返りを求める」気持ちのエネルギーは「不安」。

不安にいくら取り組んでも安心のエネルギーは生まれてこないのですが、不安を脇に置いて安心のエネルギーを感じると、自分は安心で満たされるのです。

元気になる気遣いは疲れる気遣いを癒すという意味で対等ではありませんが、まさにそれは「安心」と「不安」について言えることです。

安心は光、不安は闇、と考えてみるとわかりやすいです。

闇をいくら分析してみても光は出てきませんが、光を当てれば闇はなくなっていきます。

相手と過ごす時間は、自分の人生の一部であることを忘れない

相手との現在を味わうようにと言われても、楽しい相手ならよいけれど、苦手な相手との時間は楽しめない、と思うかもしれません。

気持ちはわかります。

しかし、ここはちょっと考え方を変えてみましょう。

一緒に過ごしている相手が誰であれ、自分が時間を使っていることは事実です。

自分の人生の限られた時間の一部を、そのときにも使っているのです。

「こんな相手だから適当でいいや」と不誠実に向き合ったり、苦手意識にただただ苦しんだりしていると、自分の貴重な時間を粗末に使っていることになってしまいます。

人生の質は、その時間の使い方で決まってくるものです。

一緒にいる相手が誰であろうと、質の高い時間を過ごすということを考えてみると、実は大切なのは現在にとどまるということなのです。

現在に生きている限り、それは最も上質な時間ということになります。

相手の好みについて聞いたときには、「これは覚えておいて後で役立てることができるな」などと「未来の利益」を計算せずに、相手が自分に好みを打ち明けてくれているという現在を楽しむのです。

すると、次に会ったときに相手の好みを覚えているのは、相手を操作しようとする姿勢とは正反対のものになります。

「この前好みを教えてくれた」という思い出を一緒に温めることになるのです。

そうやって相手とのつながりを感じれば、それはまたそのときの現在を楽しみことになるでしょう。

もちろん相手は「そんなことを覚えていてくれたんだ」と、自分という存在が尊重されている喜びを感じるでしょう。

ここで感じる「尊重」は、まさに、人間同士が「現在」を共有しなければ得られないもの。

実は、相手という存在を尊重する、ということは、相手のありのままを認めることであり、相手と共に現在にいる、相手と一緒の「現在」を慈しむ、ということなのです。

「現在の自分」発で気遣いしよう

気遣いの悩み:チームメンバー全員が忙しく、自分の仕事で一杯一杯になっているため、何となく重くギスギスした雰囲気になってしまっている。自分も余裕がない中で、この雰囲気を改善できるような気遣いを知りたい。

このようなときには、みんなが「被害者モード」に入ってしまっていると言えます。

まさに、「余裕を持っている場合ではない!」というわけですね。

こんなときに、「ねえみんな、楽しくやろうよ!」などと声をかけても、ひんしゅくを買ってしまいかねません。

まずは自分から

こんなときのポイントは、「相手を変えようとしないで、自分を変える」ことです。

「被害者モード」バリバリの相手は、何かを言われると「さらに何かを要求された」と感じてしまいがち。

「こんなに忙しいのに、その上楽しくやるなんて、そんなの無理!」と悲鳴を上げてしまうのです。

その「悲鳴」は、こちらへの攻撃として跳ね返って来かねません。

そんなときには、まず、自分からです。

周りがどんなにギスギスしていようと、常に余裕と温かさを保つ。

できれば、元気になる気遣いをより意識する。

「みんながもう少し落ち着いたら」ではなく、それは現在できることです。

他人を変えることはできませんが、自分自身の意識を現在に集中することはできます。

そして、ぽかぽかとした温かさは、必ず自然と人に伝わっていくのです。

ギスギスした中でも、「あの人と話すと癒される」「あの人の近くにいると落ち着く」と思われるようになれば、それはすでに相手を癒しているということなのです。

つまり、気遣いとは、大変な精神状態にある相手を変えようとするものではなく、相手がおのずと変わっていけるような安全な場をつくってあげることだと言えます。

これは、要は、「チームのメンバーそれぞれの領域」を尊重するということ。

そして、自分の領域の中でできること、つまり、自分自身は現在にとどまる、ということをすることなのです。

私たちの本質は親切なもの、ということが前提であるわけですが、それは他の人たちも同じ。

今は不安のエネルギーにとりつかれてしまっていても、安心のエネルギーを感じていけば、だんだんと、本来の温かい存在に戻っていくことができるのです。

そうやって相手を信頼できる「大丈夫」という感覚が、元気になる気遣いの土台ですね。

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対人関係のコントロール感覚をつかんで、どんどん元気になろう

疲れる気遣いをしてしまっているときの私たちは、まさに、相手にコントロールされている惨めな存在。

不安を抱え続け、ストレスを感じ続けてしまいます。

相手が喜んでくれてほっとするのもつかの間、次の瞬間には次の試練が待っています。

また、「今日は気遣いをほめてもらえた」と安心すれば、「次もよい評価を得なければ」と、さらに不安のエネルギーで身を引き締める、ということにもなるでしょう。

でも、自分自身の本来の姿は親切なもので、余計な不安を手放せば、温かい気遣いがスムーズに回り始める、ということをイメージしていただければ、相手の顔色をうかがってばかりのときとすいぶん違う感覚をつかめると思います。

「ほどほど」の気遣いとは。完璧主義を手放そう

もちろん、元気になる気遣いだからと言って、100%相手が喜ぶということはありません。

相手の領域の中のことは、本当のところよくわからないからです。

できるだけ相手を知る努力をし、「自分が考える相手」と「実際の相手」とのずれに常に敏感でいて、「標識」を見ながら配慮してみても、はずれることはもちろんあります。

それは仕方のないこと、と知っておくのも、元気になる気遣いの秘訣。

どうやっても気遣いに完璧はないのです。

完璧を目指す人は少なくないと思います。

しかし、完璧主義のエネルギーは、実は不安。

完璧にするためには、完璧でないところを探していかなければいけません。

現在完璧でないところだけでなく、「〇〇になったらどうしよう」と、いろいろな可能性を想定して手を打たなければならないのです。

「〇〇になったらどうしよう」というのは、まさに不安そのもの。

不安は、安全が確保されていないことを知らせる感情ですが、完璧という形での安全は、永遠に確保されないのです。

気遣いは程度問題で考えてもうまくいきません。

つまり、ほどほどの気遣いというのは、程度が「ほどほど」という意味なのではなく、完璧を目指さないということ。

自分の領域内でできるベストを尽くし、相手を知る努力を続け、それでも行き届かないところは、まさに「仕方のないこと」と諦めて手放す、ということなのです。

自分を責めてしまえば「相手の現在」から目が離れてしまいますし、また機嫌を損ねるのではないか」と不安になると、相手を「不安のメガネ」で見ることになってしまいます。

いずれも、安心も温かさも提供しないことになってしまい、よい気遣いからはむしろ離れてしまうのです。

完璧を目指さない元気になる気遣いで、自分も相手もどんどん元気になります。

まとめ

  • 自分の思考を手放して相手の話に集中すれば、現在にいられる
  • 現在に焦点を当てれば、見返りを求める気持ちが生まれてこない
  • 相手と共にいる現在を大切にすると、相手の存在を尊重できる

「未来の結果」に心を奪われないようにしよう

完璧を目指さない気遣いで、相手だけでなく自分も元気になる