全体論

アドラーの名付けた「個人心理学」という名称は、誤解を招きやすいところがあるかもしれません。

ここで簡単に説明しておきましょう。まず、個人心理学のことを英語では「individual psychology」といいます。
そしてこの個人(individual)という言葉は、言語的に「分割できない」と言う意味を持っています。

要するに、これ以上分けられない最小単位だということです。
それでは具体的に、何が分割できないのか?
アドラーは、精神と身体を分けて考えること、理性と感情を分けて考えること、そして意識と無意識を分けて考えることなど、あらゆる二元論的価値観に反対しました。

たとえば、赤面症の相談に来た女学生の話を思い出してください。
彼女はなぜ赤面症になったのか?アドラー心理学では、身体の症状を心(精神)と切り離して考えることはしません。
心と身体は一体のものだ、これ以上ぶんかつすることのできないひとつの「全体」なのだ、と考えるわけです。
心の緊張によって手足が震えたり、頬が赤くなったり、あるいは恐怖に顔が青ざめたり、といったように。

理性と感情、意識と無意識についても同様です。
普段は冷静な人が、激情に駆られて怒鳴りつけたとは考えない。
われわれは、感情という独立した存在に突き動かされるのではなく、統一された全体なのです。

もちろん、心と身体が別のものであること、理性と感情が違っていること、意識と無意識があること、それは事実です。

しかし、たとえばカッとなって他者を怒鳴りつけた時、それは「全体としてのわたし」が怒鳴ることを選んだのです。
決して感情という独立した存在が―いわばわたしの意向とは無関係に―怒鳴り声を上げさせたとは考えません。
ここで「自分」と「感情」を切り離し、「感情が私をそうさせたのだ、感情に駆られてしまったのだ」とかんがえてしまうと、容易に人生の嘘へとつながっていきます。

このように、人間をこれ以上分割できない存在だととらえ、「全体としてのわたし」を考えることを「全体論」と呼びます。

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