正・負のストロークにより、それぞれ特有の心理が形成されます。

正のストロークは勝者と呼ばれる心理を形成し、負のストロークは敗者と呼ばれる心理を形成します。

ここでいう勝者・敗者とは、世間で使われている言葉とは意味が異なります。

世間では外面が勝者、敗者を区別します。

すなわち、金持ちになったり、高い地位についたり、有名になった人を勝者といい、貧乏になったり、定職につかない人を敗者といったりします。

これに対し交流分析では、その人の心の状態によって分けます。

ですから、たとえ有名になっても、権力を握っても、必ずしも勝者ではない人が少なくないのです。

さて、正のストロークが豊富に与えられた人は、生まれてきたこの世で自分は受け入れられている、自分の存在自体が歓迎されている、したがって、ありのままの自分に価値があり、ありのままの自分で拒絶されることがない―こういう基本的な実感を獲得します。

この実感は、<I am OK>という標語で表わされます。

そして、この実感がベースとなり、次のような勝者特有の心理ができあがるのです。

・あるがままに自然にふるまう
・相手の人を職業や業績で評価せず、差別なく人間性で触れ合う
・自分の頭で考え、自分の身体で感じ、自分の言葉でしゃべる
・自分の生き方に責任を持つ
・「いま、ここ」を満足し、充実して過ごす
・周囲に細やかな配慮をするが、不必要な遠慮はない

勝者は自分の存在が歓迎されているという確信を持っているので、自分がここに存在していることが無条件に良いことだと感じられます。

いや、良い悪いなどの価値観を超えた、もっと根源的なかたちで自己の存在を肯定できるのです。

このために勝者は、いつでもあるがままの自分でいられるのです。

敗者の心理は、勝者と対照的です。

敗者とは、正のストロークがわずかしか与えられなかったり、負のストロークが多く与えられたり、あるいはストロークが与えられず無視されてきた人達です。

このような状態では、自分の存在はこの世に受け入れられていない、自分の存在は歓迎されていない、したがって自分は価値が無い、という無意識の実感を持ちます。

この感覚は、<I am not OK>という標語で表わされます。

この実感が基礎となり、次のような敗者の心理が形成されます。

・拒絶されることをおそれて、あるがままの自分を出せない
・このために、人との接触がぎこちなくなる
・人より優れることにより、自我を守ろうとする
・未来のために現在を犠牲にしたり、過去に逃げ込んだりする
・他の人を職業や出身大学、偏差値などでみてしまう
・自分で判断できず、また適切に人に依存できない
・自分がどう評価されるか心配ばかりしている

私達は成長する過程で、正のストロークも負のストロークも与えられます。

ですから、じっさいには多かれ少なかれ勝者と敗者両方の心を持っています。

そのなかで、勝者の心が優勢な人と、敗者の心が優勢な人とがいることになるのです。

そして、おそろしいことに勝者・敗者の心理は、おそくとも八歳までには決定されてしまう、というのです。

自分はオーケーか、それともオーケーでないか、あるいは他の人をオーケーとみるか、オーケーでないとみるか、この組み合わせで、人はさらに次の四つのタイプに分けられます。

【第一のタイプ】私もオーケー、あなたもオーケー。

自分も他の人も肯定的に受容している人です。

このとき、この世界は肯定的にとらえられ、人生は生きるに値するものと感じられます。

生きる喜びを享受しつつ人生を送ることができます。

人とは率直に信頼しつつ接することができます。

人といることを心から喜べます。

【第二のタイプ】私はオーケー、あなたはオーケーでない。

このタイプの人は、自分に対しては尊大な態度を持ち、他の人の人生には敬意を払いません。

自分が不当に低く扱われていると感じたり、他の人により犠牲にされていると感じたりします。

他の人を信頼できず、軽蔑したりします。

【第三のタイプ】私はオーケーでない、あなたはオーケー。

このタイプの人は、他の人とくらべ、自分は無価値で無力であると感じています。

このために、人と接すると劣等感を刺激されたり、圧迫感を持ちます。

他の人をうらやんだり、嫉妬する心が強く、逃避的傾向や抑うつ的傾向になりがちです。

優れた兄弟姉妹を持つ人で、このタイプになることがめずらしくありません。

【第四のタイプ】私はオーケーでない、あなたもオーケーでない。

このタイプの人は、自分の人生も、この世も、生きるに値しないという感じを強く持ちます。

生きるのは苦痛に耐えることであり、頻繁に絶望におそわれます。

また、自分が子どもを持つことを拒否することが少なくありません。

人と接するのは苦痛であり、人間関係は自分の安全をはかったり、利益を得るために利用すべきものという意味づけになりがちです。