
「沖仲仕の哲学者」として著名な社会哲学者のエリック・ホッファーは、放浪と遍歴の数奇な人生を送ったことでも知られる。
彼の人生は、ある意味、彼の哲学以上に、時代を先取りしたものであった。
彼の人生は、まさに回避し続けることと、その克服の道程だったとも言えるからだ。
彼は何者にもなるのを拒み続けるように、あらゆるチャンスや出会いから逃れ続けた。
持続的な人間関係や定住した生活を放棄し、あらゆる束縛を拒んだ。
他者との間に親密な関係が生まれ始めると、彼はうまくいきかけた生活を畳んで、行方をくらましたのである。
彼はオレンジ農園で働く季節労働者として各地を転々とした。
ようやくサンフランシスコに住まいを定め、港湾労働者として働きながら、最初の作品を刊行したのは、49歳のときである。
彼は何から逃げ続けたのか。
何故逃げ続けねばならなかったのか。
その秘密は、彼の生い立ちに求めねばならないだろう。
エリック・ホッファーは、七歳のとき、母親を亡くし、それから間もなく失明するという二つの悲劇に見舞われる。
エリックが5歳のとき、母親はわが子を抱いたまま階段から転落し、その事故がもとでねたきりの生活となって二年後に亡くなったのである。
家具職人だった父親は読書や音楽を好む、教養のある人物だったが、目の見えない息子を重荷に感じ、「白痴」呼ばわりすることもあった。
その後の経過から、エリックの失明は、心因性のものであったと考えられる。
母親を失うという体験は、彼にとって、この世など見たくもないと思うほど、過酷でつらい出来事だったのだろう。
目の見えないエリックの世話をしたのは、マーサというドイツ系の家政婦であった。
やがて、エリックはマーサに深い愛着を覚えるようになった。
15歳のとき、エリックは突然視力を回復する。
しかし、そのことは、エリックにとって、再び楽園からの放逐を意味した。
エリックのマーサに対する愛着は、視覚的なものというよりも、触覚的、嗅覚的なものだった。
以前のようにマーサに甘えることができなくなり、その関係はよそよそしいものに変わったのである。
その後、マーサはドイツに渡り、エリックは読書に安らぎの場を求めるようになる。
しかし、そんな彼にさらなる不幸が追い打ちをかけた。
父親が亡くなったのである。
ホッファー家は短命な家系で、誰一人五十歳以上まで生きた人がいなかった。
父親もまた、例外ではなかった。
父親の死は、エリックにとって、単に父を失ったということにとどまらず、自分もまた早死にするという呪いを確認することでもあった。
エリックがその後示す無欲と世俗的なものへの無関心は、それによって、いっそう強まることとなる。
肉親の早すぎる死や別離は、絶対的な不在であり、結果的にはネグレクトと同じ効果が生じてしまう。
母親がどんなに愛情深い人だったとしても、亡くなってしまえば、髪の一つもといてやることができないからである。
物心ついてからの死別、別離は、この世の関わりの儚さや非永続性というものを、子どもの心に刻み込むことになる。
それは、持続的な愛情である愛着を育む上では、ダメージ以外の何物でもない。
幼いうちに、肉親と死に別れた人は、回避型愛着スタイルの傾向を示しやすい。
次に挙げる種田山頭火も、その典型である。
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回避型愛着スタイルの種田山頭火の場合
俳人の種田山頭火は、とどまるところをもたずにさすらい続けたという点で、エリック・ホッファーに似たところが少なくないが、愛着スタイルという点でも、典型的な回避型の人物であった。
その生い立ちが背負わされたものも、ホッファーに通ずるところがある。
ホッファーは不幸な事故で母親を早くに亡くすことになったが、山頭火の場合は、十歳のときに母親を自殺で失った。
山頭火の弟を生んで後、結核を病んだ母親は、離れの長屋で寝たきりの生活を送っていた。
夫はそんな妻を顧みることなく女遊びにうつつをぬかし、おまけに山頭火の弟が養子にやられるという話も持ち上がっていた。
がんばり屋だったという母親には、「自分の務めがはたせないばかりに」という思いが募っていたのだろう。
母親が、邸の中の井戸に身を投げたのは、ちょうど子どもたちが外で遊んでいるときであった。
引き上げられた母親の骸を、山頭火少年は目にしてしまい、その恐ろしい死に顔に、おもわず祖母の膝にしがみついたという。
無惨な形で母親を失ったことによる傷を、山頭火は生涯引きずることとなった。
母親亡きあと、山頭火の面倒をみたのは祖母であった。
しかし学校も休みがちで、傷つくことや苦しいことは避けてしまう傾向が、そのころからすでにみられている。
また能力的には十分なのに、努力ということをしなかった。
だから、ここ一番というところで踏ん張りが利かず、帝大への進学を断念して、東京専門学校(現早稲田大学)に進んだ。
そのころから山頭火は俳句や文学に傾倒していく。
文学や小説の世界というものは、今日、ネットやアニメの世界がそうであるように、現実の世界に行き場所を見出せなかった若者にとっては、格好の避難場所であり、回避型の人にとって、現実世界よりも安全で安心な居場所であった。
山頭火は俳句の世界に、自分の居場所と存在価値を見出していくのである。
愛着対象を失うことは、大きな痛みを伴うが、対象喪失の苦痛から逃れるために、子どもの心に生じるプロセスが脱愛着である。
愛着自体を失うことによって、その苦痛から逃れようとするのである。
回避型愛着スタイルは、脱愛着を繰り返すことによって強められていく。
養育者や世話をする人が、何度も代わるといった状況も、回避型愛着スタイルを促進してしまう。
転居や転校も愛着にダメージを与えることがわかっている。
親が転勤族で、引っ越しを繰り返したという場合も回避性を強める要因となり得る。