医学モデルと愛着モデル、この両モデルの根本的な違いの一つは、医学モデルでは、症状を呈している人を「病んでいる人」、つまり「患者」とみなすという点である。

そして診断に基づいて治療を施される対象も、この「病んでいる患者」本人ということになる。

だが愛着モデルでは、患者は患者ではない。

本当に病んでいて、症状を引き起こす原因になっている者が、他に存在するのである。

医療少年院の愛着障害の少女の例に見られたように、症状を呈している子どもをいくら診断し、治療しようとしたところで、改善は難しい。

なぜかといえば、症状の本当の原因が、子ども本人にあるというより、子供を育ててきた環境や、周囲の大人との関係の方にあるからである。

患者とされて連れてこられた子どもは、二次的に病気にさせられているのである。

その子どもから病気が始まっているというよりも、周囲との関係の中で、症状を呈するようになっている。

本当の原因は、子どもを守るどころかむしろ傷つけてきた、周囲の環境や大人との関係にある。

それゆえ、いくら子どもを治療しようと努力しても、何の効果もない。

ところが、その子にかかわる大人の気持ちや態度を変えることによって、子どもが劇的に変化するということが起きるのである。

つまり診断され、治療されるべきは、子どもよりもむしろ、子どもをそういう状態に追い込んだ環境であり、周囲の大人との関係なのである。

そしてその診断・治療において目安となり、改善目標となるものが、不安定な周囲との関係の中で、なんとか生き延びるために生まれた「愛着障害」なのである。

不安定な存在に適応した結果としての「愛着障害」

愛着障害は、不安定な愛情や世話しか与えようとしない親に「適応」した結果、生まれると考えられている。

たまにしか面倒を見てくれない親に対して、子どもは求めること、期待すること自体をやめることで適応する。

気持ちに無関心な親に育てられた子は、その親に適応するために、感情を封じ込め、力や金だけを信じるようになる。

泣いて大騒ぎしたときだけ心配してくれる親に適応するために、過剰反応することで注意を引くという行動パターンを身に付ける子供もいる。

そうした行動パターンが、攻撃的な行動や、虚言、泣き騒いで親を困らせる、といった事態にもつながるわけだが、こうした問題行動の原因が、子ども自身にはないことは明らかだ。

子どもはただ、自分にされたことを、鏡のように映し出しているに過ぎない。

医学モデルにおいて「患者」とされ、治療を施すべき対象とされた存在は、じつは病の根本原因ではなく、最終的な結果に過ぎない。

本当に治療を施すべきは、見えないところで手を引き、病を引き起こしている存在―ときには善意の顔をして、「患者」守っているはずの存在だったりするという事も起きるのである。

それゆえ、従来の医学モデルをそのまま当てはめて、症状を治そうと、シャカリキに治療したところで、影を捕まえるような的外れなことになってしまう。

大人、中年、老人のケースも同じ

愛着障害は、子どもだけの問題ではない。

克服されないままだと、大人になろうと中年になろうと老人になろうと、持続してしまう。

その状態が続くと、ストレス耐性や社会適応力は低下し、傷つきやすくネガティブで、不満や怒りにつねに心をかきむしられる人になってしまう。

若い頃から、何か問題があるたびに周囲を責め続けていた人は、老人になって認知症が始まっても、まだ同じことをしている。

何の進歩もないままに、一生を終えてしまう。

そんな人の周りに、誰も近寄りたいとは思わない。

いつのまにか配偶者にも子どもにも疎まれて、孤独になりやすい。

それでも「周りが悪い」「みんな変わってしまった」と受け止めてしまい、自らを振り返ることが難しい。

これも「愛着障害」ゆえに起きてしまうことなのである。

そうした状態に医学モデルで対応して、山盛りの薬を飲ませたところで、その人の人生をレベルアップし、その人にふさわしい生き方を実現していくには、まったく役に立たないことがわかるだろう。

しかし、不安定な愛着から、不幸な連鎖が起きているということを見抜いて、愛着モデルで解決法を考えれば、もっと有効な手立てが見えてくる。

多くの「病気」や「異常とされる状態」は、愛着が傷を負うことによって負の連鎖が始まり、症状化へといたっている。

薬が効かない治療が難しいケースほど、愛着の病理が絡んでいるのである。

繰り返すが、こうしたケースには、医学モデルよりも愛着モデルが有効な改善策を教えてくれる。

つまり、周囲の重要な存在との関係、「愛着」の部分に働きかけることが、回復のチャンスをもたらしてくれるのである。

というのも、愛着こそが、幸福や社会適応の基盤だからであり、その働きを邪魔しているところを見つけ出し、適正な手当てをおこなうことができれば、自然に回復プロセスが始まるからである。