子どもというのは「権利の目録」を手にしてこの世に生まれてきます。

それは次のような権利です。

・誰かの期待通りの存在だからではなく、ただありのままの自分として大切にされる

・親の喪失を埋め合わせるための存在ではなく、その子自身として慈しんで育てられる

・一貫性と、安全と、暖かさと、理解を与えられ、無条件に愛される

・ひどく傷つくような状況から守られる

こうした基本的な権利を奪われているということは、つまり見捨てられているということです。

私たちはときに否認の力を発揮して、見捨てられた体験などなかったことにします。

「私はちゃんと面倒をみてもらっていたわ。

ママもパパもあまりうちにいなかったかもしれないけれど、お姉さんがいたもの」。

たしかに、上の子が下の子を守ろうとする勇敢さと努力には目を見張るものがありますが、九歳なり十二歳なり十五歳なりの兄や姉がいかにしっかりしていても、彼らは結局、九歳や十二歳や十五歳に過ぎないのです。

子どもには、おとなの監督と保護が必要です。

身体的にも情緒的にも、安全で、守られていて、安心できると感じられない状態におかれるのは、子どもにとってもっとも大きな喪失となります。

情緒的に見捨てられた子どもも、身体的に見捨てられた子どもも、よく似たメッセージを受け取ります。

それは「おまえには価値がない、お前なんか必要じゃない、邪魔なんだ」というものです。

家族の中で見捨てられによる喪失を体験することは、トラウマを引き起こします。

それによって、自分自身やこの世界が「いいものだ」と感じる力が著しく損なわれてしまうのです。

身体的な見捨てられ体験

身体的に見捨てられた状態とは、次のようなことが起こっている場合をさします。

・適切な生活面の指導が得られない。
・適切な栄養や食事が与えられない。
・適切な衣類や、住環境、暖かさ、安全な場が与えられない。身体的または性的な虐待が行われている。

子どもが安全な環境を得られるかどうかは、ひとえに養育者にかかっています。

それが得られないとき子どもは、「この世界は安全な場所ではなく、人々は信じられず、自分は関心を注がれたり世話をしてもらうのに値しない存在だ」と信じこんで育つのです。

情緒的な見捨てられ体験

情緒的な見捨てられ体験は身体的な見捨てられ体験よりも多くの人が経験しているもので、かつたいていの場合は巧妙な形で隠されているため、それがどんなものかを理解するには次の説明が役立つでしょう。

見捨てられ体験とは要するに次の二つのことなのです。

1.親(あるいは主たる養育者)が子どもの感情やニーズ(必要とするもの、要求)に無関心だったり、情緒的に不在の状態が続く。

だから子どもは適切に感情を感じたり表現することができない。

いつも他の誰かのニーズが優先で、子どもが唯一関心を持ってもらえるのは、他の誰かのニーズを満たしてあげるときだけ。

2.子どもが受け入れてもらうために(あるいは拒絶されないために)、本当の自分を一部隠さなければならない。たとえば次のような状況でそれが起こる。

・この家では、間違うことは許されない。

・感情を表すことを認められなかったり、あなたの感じ方はよくないと言われる。
「泣くようなことじゃないでしょう。そうやっていつまでも泣き止まないと、本当に泣くしかないような罰をあげることになるよ」
「ちっとも悲しくなるようなことじゃないだろう」
「そんなことぐらいで怒ることないのに」といった具合に。

親がたまたまイライラしていたなら別だが、家族の状況が常に子どもの感情を軽視しているとしたら、それは情緒的な見捨てられ体験となる。

・あなたが何かを要求することは、わがままだとみなされる。

・子どもの言い分を親が信じなかったり、とりあおうとしない。

・成功を認めてもらえない。何かを達成しても気づいてもらえなかったり、大したことでないとみなされたり、からかいのタネにされることさえある。

・年齢にふさわしくないレベルの要求を突きつけられる。
たとえば八歳の子どもに歯医者の予約を忘れないようにしなさいとか、十二歳の子どもに一日中赤ん坊の面倒をみなさいと言うなど。

・子どもは具体的な行動に関して叱られるというよりも、存在そのものを否定されたり存在意義を否定される。
たとえば宿題をやらなかったときに「お前なんかクズだ」と言われてしまう。

喪失は必ずしも、実際に起きたことが原因ではありません。

起こらなかったことからきている喪失もあります。

たとえば必要な時にかまってもらえなかったこと。

親から「愛している」「あなたは何より大切」と言ってもらえなかったこと。

さらに、親がまるでこっちを向いてくれないために話せなかったこと、一緒に遊べなかったことも、見捨てられによる喪失を引き起こします。

言葉をかけてもらうことや、共に時間を過ごすことは、あらゆる子どもが育つ上で欠かせないものです。

そのことによって、子どもは自分に価値があるとわかるのですから。

●あなたが子ども時代に体験した、身体的、あるいは情緒的な見捨てられ体験を書き出してみましょう。