娘とはうまくいかなくても、孫は可愛い

薫美さん(仮名)は、両親との関係にずっと悩んできた。

とくに父親とは小さいころから反りが合わず、ずっといがみ合ってきた。

父親はかっとなるとすぐに手を上げるたちで、逆鱗に触れると、女の子だろうが容赦なく叩かれた。

そんな父親のことがずっと嫌いだったし、三十代になった今も嫌っている。

母親も父親の言いなりの人で、愛着障害の薫美さんが父親とぶつかると、必ず父親の味方をし、悪いのは父親にたてつく愛着障害の薫美さんの方だと言われた。

だから、心の底からは信用していない。

自分には、誰も本気で味方になってくれる人はいないと思って生きてきた。

現在の夫と知り合った時、初めて自分のことをまるごと受け入れてくれる人に出会ったと感じた。

それでも、夫のことを心から信用できるようになるのには、何年もかかった。

夫の気持ちが変わらないと思えるようになって、プロポーズを受け入れた。

それでも、愛着障害の薫美さんは最初から夫に言い渡していたことがあった。

「子どもをもつつもりはない」

ということだ。

愛着障害の薫美さんは自分のことでも精一杯なのに、母親などとうてい務まるとは思えなかった。

だがなぜか、愛着障害の薫美さんは障害児の教育にかかわる仕事をするようになっていた。

自分でもそんな仕事をするつもりがあったわけではない。

自分には向かない仕事だと思っていたが、やり始めると、つい気持ちが入って、自分の体を痛めてしまうほど一生懸命にかかわった。

愛着障害の薫美さんが子どもを産んでもいいかなと思い始めたのは、そんなときだ。

だが、自分が妊娠していることを知ったときには、すぐに後悔した。

自分に子どもを愛せるだろうか。

愛着障害の薫美さんは迷ったすえ、産むことにしたものの、自信はなかった。

胎動を感じるようになっても、可愛いとは思えなかった。

お腹に大きな異物が入っている感じだった。

不安を抱きながら、臨月を迎えた。

愛着障害の薫美さんは初めて子どもの顔を見た時も、可愛いとは思えなかった。

愛着障害の薫美さんはそんな自分に焦った。

産後は待ったなしで不眠不休の育児が始まった。

夫は忙しく、不仲な親にも頼れず、慣れない育児で愛着障害の薫美さんはみるみる消耗していった。

愛着障害の薫美さんは産後うつも加わって、子どもが泣いていても遠い世界のことのようにしか感じられないこともあった。

愛着障害の薫美さんは、限界だった。

訪問していた保健師さんが介入して、子どもを一時保護することになった。

「子育てが関係と愛着の修復のチャンスに」

育児の負担がなくなり、また治療の効果もあり、愛着障害の薫美さんは元気を回復したが、問題はこれからだった。

子どもを一時保護した子ども家庭センターは、子どもを母親のもとに戻すことをためらっていた。

また同じ事態になってしまうことを危惧したのだ。

相談を受けた医師は、むしろ課題は、愛着障害の本人と両親の関係にあるので、育児を両親がサポートする体制を組んでかかわってもらうことを条件に、子どもを母親のもとに戻すことを提案した。

そうすれば、本人の負担が軽減するだけでなく、愛着障害の本人と両親の関係も改善するのではと考えたのだ。

その効果は期待以上であった。

週に一日、育児を代わってもらっただけであったが、それで愛着障害の本人はうまく育児をこなせるようになっただけでなく、両親も孫とのかかわりを大変喜んだのである。

ことに父親は、孫のことを夢中になって可愛がった。

あれほど険悪だった父親の孫煩悩ぶりを、愛着障害だった薫美さんは苦笑を浮かべながら、しかしとても嬉しそうに話すようになった。

その後も、問題なく子育てをこなすだけでなく、子どもを可愛いと思えるようになったと、愛着障害だった薫美さんは話すようになった。

薫美さん自身が抱えていた愛着障害も、ピンチを乗り越えることで、むしろ克服するチャンスとなったのである。

愛着障害を抱えた人にとって、子育ては困難を伴う面も大きいが、それを周囲が支えることで、関係修復につなげられるばかりか、本人の愛着障害を改善するチャンスともなるのである。