敏腕女社長のママ修業

大学生の娘が情緒不安定で、リストカットをしたり、倍くらい年上の男性と隠れてホテルに行っているということで、母親が相談にやってきた。

母親は中堅規模の会社を経営している。

結婚してその娘を産んだが、家庭に収まるのを嫌い、並みの男性以上に働いてきた。

経営者としての才覚があり、自分で立ち上げた会社は、年商十億円を超える規模にまで発展している。

愛着障害の娘の父親である元夫とは、会社を立ち上げて間もない頃に離婚。

それからはだれの指図も受けず、自分のやりたいようにやってきたという。

元夫からは、養育費も受け取らない代わりに、愛着障害の娘との面会もさせなかった。

娘の進む学校も学部も、母親の一存できめ、愛着障害の娘が逆らうこともなかった。

経営者としても鍛えられ、問題解決能力や決断力は群を抜いて高く、愛着障害の娘に決めさせるより、自分がさっさと決定した方が間違いないという気持ちだったのだろう。

愛着障害の娘との会話は、一方的な指示か命令か、できていないことへの不満か怒りの表明だった。

愛着障害の娘は母親のことを尊敬していたし、感謝もしていたので、何も言い返すことはなく、ただ母親の機嫌を損ねないように聞いていた。

母親は、いつも最後に、「ママの言う通りにしておけば、間違いないから。あなたが一生困らないだけのものは十分あるわ。この会社を継いでくれるだけでいいの」と、付け加えるのだった。

経済的な憂いもなく、将来の不安もないはずなのだが、愛着障害の娘は自分の体さえも粗末にして、母親には理解できない行動を繰り返しているのだ。

母親は、今まで苦労してやってきたことまで虚しくなって、いったいどうすればいいのかと助けを求めてきたのだ。

この母親は、自分の力で今まで生きてきたことを誇りに思っていて、誰かに助けを求めるなどということは、それまではほとんどしたことがなかった。

それだけに、受診することも最初は抵抗があったが、どうしていいかわからないので、恥を忍んでやって来たと話された。

そう語る態度も、どこか傲慢で、相手を値踏みするようなところがあった。

この女性の娘として生きることは、想像するだけで大変なことに思えた。

その後、愛着障害の娘さんも通ってくるようになったが、母親に甘えた記憶はなく、母親は、お金か物でしか愛情を示せないのだった。

愛着障害の娘さんに起きている問題は、不安定な愛着から生じているところが大きく、幻の父親を求めているというところもあるが、母親との愛着が希薄で、甘えられないため、余計に甘えられる存在を求めている面もあることを伝えた。

その悪循環を変えていくには、お母さん自身が娘の安全基地となる必要があることを話したのである。

しかし、母親には、愛着障害の娘の気持ちを汲むとか、優しく接するということの意味が、あまりピンと来ない様子だった。

「気持ちを汲んでもらって、何になるんですか」とか「優しくしてもらっても、それはうわべのことでしょう。

そんなもので、何か変わるんですか」と、首をかしげている。

母親は、人の気持ちとか、愛情といったものに、まったく価値を置かないだけでなく、そういうものを信じていないようだった。

ドライで打算的な世界に浸かりすぎてきたせいなのか、もともと共感や優しさといった感情が乏しいのか。

「回避型で自己愛性の母親、その生い立ち」

その後、母親自身の生い立ちについても語られていったのだが、彼女の母親は、お嬢さん育ちの、子どもに関心のない女性で、世話も女中に任せっきりだったという。

どうやら母親は、回避型と呼ばれる、情緒的なものを切り捨てることで愛情の乏しい環境に適応した人のようだった。

母親は自分がされたように、娘の養育も他人任せにして、ビジネスの方にのめり込んでいったのだ。

最初のうちは、自分の弱みをさらけ出すようで、相談に来るのは気が進まず、また、本当に、話を聞いてもらうだけで何か効果があるのかと疑う気持ちの方が強かったようだ。

こうした傾向は、回避型の人、ことにプライドが高い自己愛性のタイプの人にはよく見られる。

ところが、母親が対応を変えていくにつれて、たしかに愛着障害の娘の状態が良い方向に変化していくので、自分が何か大事なことを見落としていたのかもしれないと思うようになり、自分から熱心に通ってくるようになった。

愛着障害の娘を支配することをやめ、主体性を尊重したかかわりをするようになって、関係は少しずつ変わってきた。

最初はぎこちなく、ちょっと気を緩めると、長々と持論をまくしたて、愛着障害の娘を苦笑させてしまうこともあったが、娘の話を聞くことも増え、普通の会話が成り立つようになった。

愛着障害の娘は、母親が自分の話を聞いてくれたことに感動し、そのことを報告した。

母親も、愛着障害の娘と食事をしながらおしゃべりした話をし、「考えたら私、一人でしゃべることはあっても、会話をしていなかったんですね」と言い、娘との気軽なやり取りができるようになった。

愛着障害の娘は、母親に相談したり、甘えたりするようになった。

娘の結婚相手が決まったときも、母親は、後継ぎ問題のことは無理強いせず、自分で決めてくれたらいいというスタンスをとった。

以前はとても考えられないことであった。

愛着障害だった娘の状態が落ち着いてからは、むしろ母親自身の人生について振り返ることが、テーマの中心となっている。