よかれと思って子どもを誘導すると、かえって遠回りになる

安全基地になることを妨げる、もう少し複雑な要因として、その人が抱えているコンプレックスや執着が絡むことで、共感的な応答を妨げてしまう場合がある。

学歴コンプレックスは、よく出会うものだが、それ以外にも、過去に挫折したスポーツや芸術への思い、あるいは自分の職業への思いなどが、子どもに投影され、つい入れ込みすぎて、子ども自身の気持ちを追い越してしまったりする。

すると家庭は安全基地ではなく、一年中合宿所で暮らしているも同然となり、子どもの選択を狭めてしまう。

そのときはたしかに力をつけるかもしれないが、無理やりやらされている場合には、どこかの時点で本人が嫌だと言い出してしまい、結局、挫折体験になってしまう。

それだけでなく、本来その子が自分からやりたいと思うことに使えたかもしれない時間とエネルギーを無駄にしてしまう。

子どもがあたかも望んでいるように誘導することは簡単である。

しかしそれでは、自分の人生を自分で選択し、道を切り開いていくという、その子の本来の課題を邪魔してしまうことになる。

結局、行き詰まって、もう一度やり直さなければならなくなったり、やり直すことをあきらめてしまった場合には、長期にわたり無気力や投げやりな生活が続いてしまうことになる。

もう一つ注意すべきは、自分自身の親に対するわだかまりや、かつてのパートナーに対する傷ついた思いが、その人が安全基地となることを妨げてしまう場合である。

子どもの安全基地となるはずの親が、自分の両親(子どもから見ると祖父母)の悪口を言ったり、別れた元配偶者への憎しみを吐き出したりすると、その子も祖父母に対して、あるいは、一緒に暮らしていない親に対して、否定的な感情を掻き立てられることになる。

その子を守ってくれるのに役立ったかもしれない祖父母との愛着や、別れた親との愛着が傷つけられる結果、その存在は、その子の助けどころか、重荷になってしまう。

さらに、自分が心の中で大切に思っている存在を否定する親に対しても、不信感をもつようになり、結局、その親自身も安全基地として機能しなくなる。

愛着障害は、こうした負の連鎖を生じやすい。気を付けるべき点だと言える。