余計な発言や助言より、無心になって聞く

安全基地になれない人の典型は、すぐに自分の意見や考えを言いたがる人である。

黙っていられないのだ。

誰もその人の意見など求めていないのに、勝手に分析や評価をしたり、助言や問題解決の代行をしようとする。

専門家や経験者として意見を聞かれているのなら、それも良いが、ただ話を聞いてほしいだけなのに、余計なことをすぐ言ってしまう。

こうしたことが起きやすい人にも二通りいる。

一つのタイプは、衝動性や感情のコントロールの能力が弱く、思ったことをすぐ口にしてしまうだけでなく、頭ごなしに叱りつけたり、感情的に怒ったりという反応をしやすい。

対応が極端になりやすい上に、怒ることも多いので、なおのこと安全基地になりにくい。

虐待やDVが起きやすい一つのタイプである。

しかし、このタイプとはまったく様相が異なっているのだが、余計なことを言わないと気が済まないタイプがある。

むしろ生真面目で、きちんとしていて、専門職など社会的地位の高い職業に就いていることも多い。

このタイプは、自分の一家言や定見をもっていて、自分がこれまで成し遂げてきた成功体験に基づいて、自分の流儀に信念を持っている。

ただ、自分が大切にする信念や流儀にとらわれすぎ、それ以外のことが受け入れにくい。

その為、相手の言うことを虚心坦懐に聞くことができない。

どうしても自分の価値観や論理で、評価してしまう。

つまり、相手から見ると、独善的な考えに凝り固まっているように感じられる。

「どうせ自分の気持ちや考えはわかってもらえない」と思えてしまう。

実際、本人が勇気を振り起して、大切な思いを伝えようとしても、それが自分の意に沿わないものであると、一方的に、自分の経験や信念について語り出し、相手を説き伏せようとする。

そうなることが目に見えているので、その人の前では、本音では話さなくなるか、そもそも顔を合わすことを避けるようになる。

そんな状況では、安全基地となることは到底できないし、安全基地になることができなければ、本人の助けになることもできない。

本人からすると、自分のことを認めてもらえないと感じるだけなので、一方では反発を生み、もう一方では自己否定の原因となって、力を削ぐだけのことである。

こうした悲しい関係をやめて、本人の力になりたいと思うのなら、本人にとっての安全基地となる努力をしなければならない。

そのために大切なことは、自分の経験や信条のことはいったん忘れて、真っ白な気持ちで本人の言葉に耳を傾けることである。

自由な心と、本人の立場に立った共感で、その言葉に耳を傾け、相づちを打ち、「そういう気持ちなんだ、そういう考えなんだ」と、そのまま受け止めることである。

親や家族よりも、心を扱う専門家の方が圧倒的に有利なのは、この点である。

それまでの、期待をしたリ、傷つけ合ってきた経緯がないので、本人の話を無心で受け止めやすいのである。

先入観をもたずに、本人を見ることができるのだ。

しかし、親や家族がその人を良い方向に変えていこうと思うなら、今までの散々な経緯については、いったん頭から拭い去り、もう一度新しい気持ちで本人と向き合う必要がある。

過去の失敗や恨みつらみにとらわれていたのでは、どちらも前に進めないのである。

どちらかが先に、それをするしかない。

自分が傷つけられたことにとらわれている限り、相手も変わらないのである。

しかし、もう一度、初めてその手に抱いたときの思いに戻って、傷つけられたことよりも、与えてくれた喜びや優しさを思い出し、虚心に向き合おうとするならば、そこから突破口が開ける。