なぜ家族関係は疲れるのか?

人間関係の疲れが目立つジャンルが二つある。

一つは「家族」、もう一つは「職場」。

ここでは、家族に焦点を当てて対策を考えてみよう。

家族の間の人間関係の難しさは、今に始まったことではなく、昔から大きなテーマだ。

小説や映画、テレビのドラマなどでもよく取り上げられている。

それだけ人間にとっては、本質に関わる課題なのだと思う。

ドラマなどでは、ちょっと離れたところにいる変わったおじさんが親族中の悩みの種、というのが定番だった。

寅さんに代表される破天荒な人物に、親族中が振り回される。

あるいは、異常に頑固な雷親父に反抗して子どもが家を飛び出し、勘当される。

少し前の家族のトラブル、疲れは、別に家族だからというより、問題を起こすその人物そのものに原因があることが多かった気がする。

これに比べて、現代人の家族の疲れは、少し様相が違う。

一言でいうと、問題な人物がいないのだ。

確かに、悩んでいる人は家族のことを悪く言う。

しかし昔の家族間トラブルにみられたような強烈なトラブルメーカーがいることは少ない。

みな、普通の人から構成された家族。

でもその中で、疲れがたまっている。

どうしてこうなってきたのだろう。

一つは、近すぎる関係性に原因がある。

現代型の家族間トラブルの対象は、多くの場合、親と子、夫と妻であることが多い。

一番近い間柄だ。

数名の家族だけでの密接な生活で、メンバー間の影響は以前より大きくなっている。

「抜き差しならぬ関係」というやつだ。

しかも、それぞれのメンバーの常識や感性の差も、おそらく以前よりかなり大きくなってしまっている。

また、生活が豊かになっているので、寄り添って、力を合わせる必要性がなくなりつつある。

個々人は、自分のペースで生活できてしまう。

一方で、子育てや介護などの局面になると、急に一人に負担がのしかかる。

助けてくれない家族に腹が立つ。

また子どもが大きくなってからでも、家族は、他人よりも、適度な距離感がつかみにくい。

都会などでは経済上、親との同居が必要だったり、離れて暮らしていたとしても通信手段の発達で、頻繁に連絡して気を配ったりするからだ。

つまり、価値観の差が大きくなっている数名の家族が、協力し合う必要もないのに、極めて密接に生活している状態、ということだ。

二つ目の原因は、修復機能の低下。

以前は親族付き合い、地域の付き合いが今より活発だった。

確かに今は「ちょっと離れたトラブルおじさん」とは、ほとんど付き合いがなくなったし、面倒くさい隣人との付き合いも減ってきた。

良いことである。

一方、親族や地域が担ってきた家族間トラブルの修復機能を失ってしまった。

50年前の日本では、きょうだいも多く、何かとあれば親族で集まり、助け合っていた。

きょうだい間での養子縁組なども今よりかなり頻繁だった。

また、地域での交流も、うるさい部分もあるが、かなり盛んだった。

父親とケンカして息子が家出した、などのトラブルがあっても、親戚やご近所さんが息子をかくまったり、「まあまあ」と父親をなだめたりするなど、仲裁役を果たしていたものである。

私などは、盆や正月には、多くのいとこと会うのが楽しみだった。

悩みや相談は、年上のいとこに聞いてもらうのが最善だった。

家族の人間関係に疲れるという、ちょっとした家族の”事件簿”は、昔も今も同じだが、現代では、こうした支援システムが希薄になった分、状況が深刻になりやすいのだろう。

価値観によって、苦しみが変化する

もう一つ、現代の家族を縛っているものがある。

それは「価値観」だ。

ドラマなどでは、家族が相当いがみあっても、最終的には和解するハッピーエンドのパターンが多い。

私たちは「家族は仲良くするもの」「子どもは大切にするもの」「親は敬うもの」「夫婦は愛し合うもの」という価値観を、なんとなく刷り込まれているといえる。

もともと人には「期待と比較」のプログラムが備わっている。

世の中から受け取っている無意識の「期待」と「比較」して、自分がうまくやれていないとする。

そんな時、人は、自分を責めるか、相手を責めるか、という発想になりやすい。

例えば、親子関係であれば、子どもが自分を責める時は「子は親の面倒を見るべきなのに・・・」という価値観に苦しみ、親を責める時は「うちの親は、親のくせに子どもに迷惑をかけている、親として失格だ」という価値観によって怒りが止められない。

価値観の差の大きい数名のメンバーが、お互い強く影響し合いながら、「仲良くするべき、そうできるはず」という価値観に縛られ、「自責」と「我慢」と「忘れる対処」で日々を過ごす。

積極的に修復にかかわってくれる親族もいない。

相手に対する嫌悪感は、防衛(恨み)記憶として育っていってしまう。

期間が長くなれば長くなるほど、どうしても疲れが大きくなる構造だ。

人間関係の疲れへの対処の順番は、現実問題対応(この場合家族への対応)ではなく、自分の疲労ケア、感情ケア、価値観ケアだ。

そのうえで、方法を試してみる。

方法を試した時も、「完全に、うまくいくわけではなかった。使えない」とすぐに白黒の評価をしがちだ。

現実に合わせてじっくり試してもらうためにも、方法類について、適切な「期待」を持っておくことは、自虐思考に陥ることを予防してくれる。

この方法は、本来のトラブルを解消する手段でも、どんな人とでもうまくやっていくための魔法のスキルでもない。

基本的には感情、あなたの中の苦手意識や嫌悪感、イライラをケアするものだ。

「確実に上手くいく方法」でなく、「うまくいく確率を高める方法」だと割り切って、試してみてほしい。

また、本来、人間とは誰もが、苦手な人、どうしても好きになれない人がいるものだ。

それがたとえ親子だろうときょうだいだろうと関係はない。

それでいいのだ。

それが人間というもの。

誰とでもうまくやってやろうという「期待」をまずはあきらめつつ、家族関係の疲れについて考えてみよう。