巻き込む人と巻き込まれる人の心理

他の人から嫌われているとか、グループのなかに嫌っている人がいるなどで、悩む人が少なくありません。

「なぜ嫌われていると思うのか」と聞くと、「目が合った時、目をそらした」とか、「見る目が嫌っている目だ」とか、「自分の方を見ながらヒソヒソ話をしていた」などというものです。

また、「いつもなら何か言うのに、なにも言わないでさっさと通り過ぎた」とか、「自分が行ったら急に話をやめた」などというものです。

あるいは、「他の子とは長く話すのに、自分とは長く話さない」とか、なにか集まってやるときに「わざと私に都合の悪い日に決めたから」などと言います。

事実なのか思い込みなのか、微妙な場合が多いのですが、いずれの場合も、過度に他の人の行動に敏感になっています。

「たとえ嫌われていても、それで不利益がないならいいではないか」「すべての人に好かれる必要などないではないか」などと言っても、「嫌われるのは自分が低くみられているようで耐えられない」とか、「『嫌われ者』と見られること自体が耐えられない」といいます。

嫌われることを恐れる人は、他の人に対して自分を主張できない傾向が顕著です。

店員や新聞勧誘員にさえ、嫌われることをおそれてしまい、ノーと言えません。

また、誰にでも良い顔をしたいために、Aさんに言うことと、Bさんに言う事がちがわざるをえません。

あるいは、うわべのじっさいの行動と本音とが食い違っています。

このために、自分が偽善者のようで、自己嫌悪に陥ってしまいます。

親の権威がしっかりと植え付けられた人は、同年齢の人に嫌われるよりも、年長の人の好意を失うことをおそれます。

こうした人は、会社では上役を必要以上に恐れます。

筑波大学の社会心理学者である吉田富二雄氏は、人間関係は結局、「巻き込むか、巻き込まれるか」の次元に還元されると言います。

「巻き込まれる」とは、人と接したとき自分のペースが崩され、相手のペースにのせられてしまうことです。

巻き込まれると、自分の心が乱され、不快になります。

巻き込む人は責任を他人に押し付ける

一般に巻き込む人とは、通常、押しが強い人であり、多弁な人です。

こちらが1しゃべると十しゃべる。

しかも、ただ聞いていることを許さない。

「これ、どう思う?」とか「知ってる?」などと、相手を試すような内容を頻繁に含ませます。

また、しばしば自分を暗に誇示します。

しゃべりまくり、自分はいい気分で去っていきます。

巻き込まれた方は心をかき乱され、不充足感が残ることになります。

また、本来、自分の責任で決定すべきものを、他の人を巻き込むことにより、他の人の責任にしてしまう人もいます。

たとえば、以前から仕事を頼んでいたのにまだできていない、それで会議の前に顔を合わせたのでそのことを言うと、別にいますぐやれと言っていないのに、「あなたがそう言うので、次の会議を休んでそれをやります」などというふうに。

別なタイプの「巻き込む人」もいます。

むしろ弱さを強調したり、すねたりすることによって巻き込むタイプです。

たとえば、ある人がたよりなげなので援助しようとします。

すると「大丈夫、大丈夫」と言いながら、援助を拒否して、そのくせいっそう危なげな行動をします。

それで、結局、援助者は相手が断っているにもかかわらず援助するという結末になります。

援助者は押し売り的に援助してしまったのですから、援助された人はまったく負い目感じなくてすむというわけです。

この場合も、巻き込まれた人は、自分の心からすすんでというのではなく、相手の様子から心ならずも巻き込まれてしまったという状態なので、わけの分からない不充足感が残ることになります。

巻き込まれる人はノーと言えない

「ノー」と言えない心優しい若者は、巻き込まれるつらさに悩んでいます。

誘われると、行きたくないのにオーケーしてしまいます。

電話での勧誘にも長時間ねばられてしまいます。

断る自信がないので、路上でのキャッチセールスを必要以上に恐れます。

チラシやティッシュも、決して受け取りません。

レジの打ち間違いに気づいても「ちがっています」とは言えません。

そのくせ、それでいくら損したなどと、いつまでも頭にこびりついてしまいます。

巻き込まれる人は好意や援助も苦痛

好意や援助を受け入れることによって相手に巻き込まれるのが苦痛だという人もいます。

こうした人は、「手伝ってあげましょうか」とか「貸してあげましょうか」などという申し出を素直に受け入れられません。

それで、心ならずも遠慮してしまいます。

もちろん、なにか人に頼むのはいっそう苦痛を感じます。

こうした人は、たとえ好意を受け入れるにしても、適度に遠慮し、自分は遠慮したにもかかわらず、相手が強引におこなった、という事態をつくり出します。

これは、相手にその行動の責任を課し、自分の負い目を逃れようとする、無意識的ないし意識的な試みです。

いったん援助を受け入れると、大きな負債を背負ってしまった感じで、その負債をどれだけ返しても返しきれないような感じでつらくなってしまいます。

好意が受け入れられないのは、自己価値の確信がないためです。

自己価値とは、自分の存在に価値があるという実感です。

こうした人が注意しなければならないのは、本人は遠慮深く、周囲に配慮しているつもりなのですが、その遠慮がかえって周りの人をいらつかせてしまうことが少なくないことです。