愛着障害の修復過程は、ある意味、赤ん坊のころからやり直すことである。

私たちはよく「子どものころからやり直したい」とか「幼稚園からやり直してこい」などと口にするが、そこには、深い真実が含まれている。

実際に、愛着障害を抱えた人が回復していく過程において、幼い頃の状態や問題を順次再現しながら、児童期、思春期、青年期の段階と、成長を遂げていくのを見せつけられ、驚かされることがある。

愛着障害を抱えた人が良くなっていく過程で、「母親と布団を並べて寝たい」とか「抱っこしてほしい」と言い出すことがある。

それは、幼い頃の心理状態が再現され、その時得られなかった愛情を今与えてもらうことで、傷を癒やそうとしているのである。

傷が回復するためには、まずこの状態が出現することが前提である。

いってみれば、硬い殻で覆われていた心の傷も、殻の部分が柔らかくなることで、修復を可能にする状態が生まれるのである。

せっかく、そうした状態になっているのに、本人を突き放すようなことを口にしたり、「何を馬鹿なことを言っているの」と拒絶したりしてしまえば、再び殻は閉じてしまい、恨みつらみを募らせていくばかりである。

心が柔らかくなったときこそ、幼い子どものように優しく抱きしめてあげ、失われた時間を少しでも取り戻してあげることが重要なのだ。

幼い子どもに戻ったように、駄々をこねたり、わがままを言ったり、親を困らせたりする時期にしっかり付き合うことで、次第に安定を回復するということにつながるのである。

それは傍からみれば、すっかり後退したように思えるときもあるだろう。

何が起きているのか、意味の分からない人には、ただの「悪化」と映るかもしれない。

しかし、その意味を知る人には、ちゃんと、それが回復の第一歩だということがわかるのである。

この時期に徹底的に付き合うことが重要である。

しかし、現実には、さまざまな事情やこれまでの経緯から、親が子どもにすべての愛情と関心を注ぎ込んで、とことん付き合うというのは難しい。

そうなると、愛着の傷を癒やすどころか、逆にふたたび傷つけてしまうという事にもなりかねない。

愛着の傷は、体の傷以上に、癒えるのに時間がかかるからである。

ましてや、子どもが大人になると、親と別々に住んでいたり、親の体力的、経済的理由などで、こうした修復行為自体が不可能になってくる。

その場合、親に変わって修復に当たってくれる人が必要になる。

恋人やパートナーがもっともふさわしいのであるが、人によっては、治療者や教師、宗教者、先輩や仲間といったさまざまな援助者が、そうした役目を担ってくれることもある。