逆効果なのは知ろうとすればすること

正しい相手の情報を得るには

相手が自分をどう思っているか、今どんな気持ちで自分の前にいるのか。

相手に関する情報を知りたければ、「自分の感情を基準にする」だけで充分です。

相手を探るよりはるかに有益です。

自分の感情を基準にして、「自分の感じ方」に焦点を当てれば、相手を憶測する必要もありません。

むしろ、自分に意識を向けたほうが、簡単に「感じ取る」ことができます。

相手の態度が、自分にどう感じられるのか。

相手の表情が、自分の目にどう映るのか、どんな感じがするのか。

相手の言った言葉や言い方が、自分の心にどう響くのか。

自分の肌や感覚や心で「感じたまま」が、相手の心の中の思いです。

自分自身がどのように感じているかに集中する

自分の「感じ方」を基準にすれば、誰でも、相手の状態を「感じ取る」ことができます。

たとえば、あなたが相手と話をしていて息苦しいと感じたら、相手があなたを息苦しくさせているのかもしれません。

あなたが相手を否定したくなったら、相手があなたを心の中で否定しているのかもしれません。

自分が相手に騙されそうな気がするとしたら、相手の騙そうとしている気持ちを、あなたが感じ取っているのかもしれません。

本当は、こんな「感じ方」を情報とするほうが、相手の心を探ろうとしたり読もうとするよりも、情報の精度ははるかに高いのです。

こんなふうに相手の情報をキャッチしているにもかかわらず、自分の「感じ方」を信じられない人は、そんな気持ちになっている自分を責めたり、「こんな自分ではいけない」と自分を恥じたりしているかもしれません。

けれども、相手に対して感じる「自分の感情」はすべて、”情報”です。

絶えず他者から発信されている情報を逃さないためにも、相手も自分も尊重して、自分の感情に気づくことが必須だと言えるのです。

相手との関係性は感情が決める

もっとも、ここでベースにあるのが「関係性」です。

相手に関する情報をキャッチしたからといって、自分が相手に対してどんな気持ちでいるかに気づかない限り、たいして役にも立ちません。

相手が好意的であっても、もしあなたが相手に敵意を抱いていれば、その敵意が相手に伝わって、瞬時に相手は警戒したくなるような気持ちに襲われるでしょう。

あなたが勝ち負けを争う気持ちで挑んでいけば、相手は、親しく話したいという気持ちが萎えて、その場を離れようとするでしょう。

過剰防衛という言葉があります。

過剰に相手の言葉や態度に反応していけば、無意識に警戒するような体勢をとるために、かえって相手に不信感を抱かせることになるでしょう。

さまざまなトラブルの被害に遭う。

嫌がらせをされる。

怖い相手に目を付けられる。

イジメに遭うというようなことをたびたび経験する人は、そのとき自分がどんな気持ちでいるかに気づかないと、自分を守ることができません。

たとえば、それはこんな状態です。

木の枝の先に自分の好物の実がなっています。

他者中心の人は、どんなに警戒していても、それを目にした瞬間、我を忘れてしまいます。

たとえワナが仕掛けてあっても気づかず、武器を落としてかぶりつこうとしてしまいます。

このとき、自分も他者も尊重する人になっていれば、「こんなところに、好物の実がなっているなんて、おかしいぞ」

という”場の気配”を感じて疑念が湧き上がるでしょう。

その情報を元に、安全かどうかを確かめつつ慎重に行動するでしょう。

日頃から、自分の感じ方に焦点が当たっているからこそ、状況を察することができるのです。

手に武器を持っていたとしても、自分の危機を感じ取れないとしたら、何の役に立つでしょう。

相手と勝ち負けを争う勢いだけで突進すれば、敵ではない相手さえも敵に回して、自らの首を締めるのが関の山ではないか、そう思います。

こんなふうに他人の目を気にする人は、他者を見ていながら、相手の態度や表情やその思い、あるいはその場の雰囲気を感じ取れないために、「今何が起こっているのか」という状況を正確に把握することができないのです。

いつも服従してしまう人、すぐ怒る人

他人の目を気にして戦う意識に陥っている人は、無意識に「勝つか負けるか」の脳幹的反応をしたり、自分の心や気持ちよりも、「相手の言った言葉」に敏感に反応したり、言葉そのものに囚われていきます。

たとえば攻撃的な気持ちでいる人は、100の言葉を言われると、その中の一つだけの言葉に反応して、「その言い方が気に入らない」と言って怒り出したりするのです。

戦いながらも”すでに負けた気分”でいる人はいっそう深刻です。

「黙れ!」と言われれば、相手のその言葉に支配されます。

「しろ」と命令されれば、相手のその言葉に従おうとします。

「誰にも言うな」と釘をさされれば、その言葉に縛られます。

「愛しているよ」と言われれば、どんなに裏切られても騙されていても、愛しているという言葉にすがります。

そうすることによって、自分に不都合が起こるときでも、結果として自分が傷つくことになったり、自分が相手の責任を被ることになるとしても、相手を恐れているために「拒否する」ことができないのです。

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相手にはその敵意は伝わっています

知らないのは自分だけ

相手が自分の印象をあからさまに「あなたは私に嫉妬しているでしょう」などと面と向かって言うことは滅多にないでしょうから、悟られていないと思っている人もいるかもしれません。

ところが、自分がどういう表情をしているのか、どういう態度をとっているのか、相手にどういうふうに映っているのか、どんな雰囲気を醸し出しているのか。

肝心の自分は、自分の顔を見ることができません。

ここが最大の盲点です。

どのような印象を相手に与えているか

しかし、自分の顔は見えなくても、自分の”心”を見ることはできます。

自分は今、どんな気持ちを抱きながら、その行動をとっているのか。

自分は今、どんな気持ちを抱きながら、その言葉を言っているのか。

自分のその言い方は、気分的にどうなのか。

萎縮しているのか、悲しいのか、つらいのか、嬉しいのか、楽しいのか。

感情的になっているのか、辛辣に攻撃しているのか、不快になっているのか、虚勢を張っているのか。

怯えているのか、怒っているのか、穏やかなのか、心地よいのか、満足しているのか。

こんなふうに、自分の態度や表情や行動や言った言葉を「自分の感情」で感じ取ることはできます。

自分が感じる感情や感覚や気分といった、自分の「感じ方の”実感”」がすなわち、相手に与えている印象だと思っていいでしょう。

「自分がどんな気持ちになっているか、自分でもわからない」という人は、緊張しているかリラックスしているか、その違いに気づくだけでもいいのです。

敵意や好意など感じたような関係になってしまう

「同僚が自分を無視するので腹が立つ」という男性がいました。

「無視するというのは、どんなときにですか?

「話しかけても、ロクに返事をしないんです」

「無視された時、あなたはどうしましたか?」

「ムッとしたから、その後は、僕も無視しています」

「あなたは、その同僚に対して、どう思っていますか?」

「会ったときから、苦手だと感じました」

「あなたが苦手だと感じるのであれば、相手もあなたをそう感じると思うのですが、どう思いますか?」

でも、僕は何もしていません。同僚が先に僕を無視したんです。

自分に気づかないと、こんなふうに相手を責めがちです。

が、お互いに苦手だと感じている場合、本当は、どちらが発信源なのかわかりません。

同僚は同僚で、彼に無視されたと思っているかもしれません。

単純に緊張しているかリラックスしているかでも、相手への印象は異なります。

自分では自覚なく、無意識に緊張しているのかもしれません。

それでも、緊張している自分の姿を相手が目にすると、「自分を攻撃している。否定している。拒否している」というふうに伝わってしまうこともあります。

もしあなたが「来ないで。話しかけないで。近づかないで」という気持ちでいれば、相手は「あなたから拒絶されている」ように感じるでしょう。

こんな「関係性」を無視して正確な状況を把握することはできません。

「私には、悪意なんてありません」と言いたくなったとしても、自分では気づいていない意識が相手に伝わってしまうことすらあるのです。

どんなに表面的には装っていても、もし自分が、相手に敵意を抱いているとしたら、敵意だけでなく、そのよそよそしさも相手に伝わります。

もし自分が、相手に好意を抱いていれば、その好意が相手に伝わります。

自分が怯えていれば、脅す人が近づいてきます。

それは、根底に「恐怖」という共通する意識があるからです。

良くも悪くも、こんな「関係性」が両者に縁をもたらします。

自分の「感じた通りのことが起こる」ということの裏には、こういった意識のメカニズムが働いているのです。

だから「自分の感情を基準にして、自分の感情に気づく」ことが大事なのです。

自分の正直な感情にもっと気付こう

怒りを抑圧すると

たとえばあなたが、家族に「明日から一人暮らしするから」と言って、いきなり引っ越しの手配をして荷物を運び出し、賃貸の契約金や家賃を請求したら、家族はびっくりするでしょう。

あまりの唐突さに、感情的になって怒り出すかもしれません。

そうなると、家族を振り切って出て行くことになるでしょう。

もしかしたらあなたは考えに考えた末に、そんな行動をとったのかもしれません。

あなたは、我慢に我慢を重ねて、家を出て行く決心をしました。

だからあなたにはあなたなりの理由があります。

けれども、一度も相談されたことのない家族にとっては青天の霹靂です。

あなたは、「相談したら反対されるから、相談しなかったんだ」と言いたくなるでしょう。

もちろんこれは「関係性」です。

追い詰められるまで我慢してしまう、こんな環境に育っていると、極端な行動をとりやすいので、「とんでもないこと」になる可能性が高くなります。

争い合うような主張の仕方しかできなければ、いっそう「とんでもないこと」になるでしょう。

他方、一人暮らししたいと思ったとき、早めに親や家族に相談したり、それにかかる費用についても計画的に貯蓄したり、自分のほうから援助を頼むことができればどうでしょうか。

家族も温かい気持ちでそれを応援してくれるでしょう。

大リーグのイチロー選手が、そうでした。

彼が大リーグに行くと決めたとき、周囲から反対されたそうです。

そのとき彼は、周囲の反対を押し切って渡米するよりも、周囲の理解を得てから行こうと決断したといいます。

もちろん、そのためには、親や家族があなたの話に耳を傾けられるような「関係性」でなければ成立しない話です。

望みは争わなくても叶う

他人も自分も尊重するということは、自分のしたいことがあったら、「今、すぐに、相手の反対を押し切って、戦ってでも、相手を殴り倒してでも自分の感情を優先しましょう」という意味ではありません。

むしろ、そうやって、自分の感情を優先するとトラブルになる、争いになるという人たちは、普段から、自分の感情を見ていないために自分の欲求や願望に気づいていない人か、自分の欲求や願望を我慢している人たちなのではないでしょうか。

「感情を爆発させる」という形でしか「感情の解消のさせ方」や「欲求や願望の満たし方」を知らないとしたら、このほうが大問題。

いきなり家出してしまうような強硬手段をとってしまうのは、自分の欲求を満たしてあげる適切な方法を知らないからです。

自分の欲求を満たしてはいけない。

自分の欲求を満たそうとすると、相手が邪魔をする。

こんなふうに思っていれば、邪魔をする「敵」と戦って自分の欲求を満たすしかないと思ってしまいます。

人や周囲に対して「敵意識を抱いてしまう」のは、自分の感情や気持ちや欲求を大事にできなかったからです。

自分の欲求を満たすことと、「戦う」こととはセットになっていません。戦わなくても、自分の欲求は満たせます。

日頃から、自分の感情を基準にして、自分の感情に気づき、自分の欲求を気持ちよく満たしてあげることは非常に大切なことです。

突然激怒の理由

イライラしているあの人の心理

こんなことがありました。

あるとき、彼が上司に書類を渡してチェックをしてもらっている最中に、急に不機嫌な顔になりました。

その少し前までは、普通の顔をしていて、どうして上司が急変したのか、彼にはまったく見当がつきません。

「上司が不機嫌になった直前に、どういったことがあったのですか?」

「それが、まったく心当たりがないんです。上司に資料のチェックをしてもらっているときに、同僚が来たので、同僚と話をしただけです。

同僚が去って、上司の顔を見ると、もう、すごい形相になっていました」

「資料に何か不備があったのですか?」

「いいえ、資料には問題はありませんでした」

「上司は、その後、何か言いましたか?」

「なんだ、お前のためにやってるんだぞ!」

そう言われても、彼には意味が飲み込めません。

それを聞くのも怖いために黙ってしまうと、彼のその態度が、さらに上司の怒りを増幅させたようでした。

こんなにたくさん我慢しているのに

いきなり怒り出す人には怒り出してしまうだけの、その人なりの論理があります。

普通の人にとっては許せてしまうことでも、いきなり怒りだす人の視点からすると、「自分を馬鹿にしている。なめている」となります。

いきなり怒り出す人は、いつも我慢しています。

傍目にはそうは見えませんが、我慢しているつもりです。

第三者の目には「横暴、傲慢」と映る人ほど”我慢しているつもり”でいます。

そんな人たちの常套句が、

「俺は我慢してやってるんだ。

お前に親切にしてやってるんだ。

お前に譲ってやったんだよ。

そんな俺の思いやりも理解しないで。

俺が怒鳴ってしまうのは、お前らが俺を怒らせるからだろう。

お前らが悪いから、怒るしかないんだよ。

まったく、お前たちのほうがわかってないんだよ!」

「敵を愛せ」ではないのですが、元々敵だと思っている人々に「我慢してやっている。譲ってやっている。親切にしてやっている」のですから、腹も立つでしょう。

「こんなにお前に、してやってるのに、お礼の一言もないのか」

「俺がしてやっているのに、その態度はなんだ」

「してやっている俺に、もっと敬意を払え!」といった思いで一杯なのです。

”してやって”も愛されないことが、「悲しくてならない」のです。

すぐ怒鳴ってしまうのは、そういった人たちの、悲痛な叫びなのです。

より感謝されたいし好かれたい

もちろんすぐ怒ってしまう人達のそんな思いは、どうしようもなく一方的です。

自分で勝手に相手のことを憶測して、例えば相手は「お金はいらない」と言っているのに、強引にお金を握らせて、お礼を言えと脅したりするのですから、脅される側の人にとっては踏んだり蹴ったりです。

件の上司はどうして、いきなり怒ったのか。

それは、「俺はお前のために、一生懸命資料をチェックしているのに、どうしてお前たちは、そんな俺に敬意を払わないで、軽口叩いて談笑なんてしてるんだ。

ふざけるんじゃない。

俺がしてやっている間、お前は俺に感謝しながら、神妙にしているべきだろう」と考えたからだったのです。

その奥には、「仲間外れになって寂しい」という気持ちも隠れています。

すぐ怒ってしまう人たちの根底には、「自分は誰にも好かれない。誰にも愛されない」という自己不信の根深い思いが巣くっているのです。