幸運な状況に恵まれれば、子どもが助けを求めたとき、母親(養育者)はすぐに必要なものや慰めを与え、安心と抱擁で包むことで、子どもは母親との間に揺るぎない愛着を育むことができる。

そして、基本的安心感や基本的信頼感と呼ばれる感覚を育んでいく。

この世界が安心できる場所で、人は自分の助けとなってくれるものだと信じることができる感覚である。

これは、物心がつくよりもはるか以前の体験によって、脳の奥深くに組み込まれる。

ところが不幸にも、子どもが母親に助けを求めても、それに応えてくれなかったり、その反応が不安定であったりすると、愛着障害になるだけでなく、基本的安心感や基本的信頼感というものもうまく育まれない。

この時期に育み損なってしまうと、後から修正することは非常に難しい。

愛着を脅かす、もっとも深刻な状況は二つある。

一つは、愛着対象がいなくなる場合である。

死別や離別によって乳幼児期に母親がいなくなることは、幼い子どもにとって世界が崩壊するにも等しい過酷な体験である。

そうした体験に遭遇した子どもは、まず泣き叫ぶ。

そして母親を探し出そうとし、母親が自分の求めに応えてくれないことに悲しみと怒りを爆発させる。

現実を受け入れることができず、それに抗議しようとする。

「抵抗」と呼ばれる段階である。

そうして数日を過ごし、母親が戻ってこないとわかるにつれ、表立って泣き叫ぶということはなくなる。

今度は、暗い表情で部屋の片隅にうずくまり、意気消沈して、無気力な状態を示し始める。

好きだったおもちゃに触れようともせず、他の誰にも関心を示さない。

食欲は落ち、睡眠も妨げられることが多い。

成長が止まってしまうこともある。

この抑うつ的な段階は、「絶望」と呼ばれる。

さらに数ヵ月がすぎて、その時期を乗り越えると、母親の記憶は封印され、何事もなかったかのように落ち着いて生活するようになる。

「脱愛着」の段階に達したのである。

周囲はほっとするが、そのために子どもが払った犠牲は果てしなく大きい。

生存のために、子どもは母親への愛着を切り捨てるというぎりぎりの選択をしたのである。

まだ幼く、大人の保護に頼ってしか生きて行くことができない時期に、愛着の絆が強く持続しすぎることは、生存にとってむしろ不利に働いてしまう。

自分を可愛がってくれていた母親を求め続け、母親以外を拒否すれば、それは死につながる。

子どもは究極的な選択として、母親を忘れ、新しい養育者を受け入れるという道を選ぶほかない。

脱愛着を起こすことで、愛着対象をうしなった痛みから逃れるしかないのだ。

たとえ、その後に母親がひょっこり現れたとしても、いったん脱愛着が起きてしまっていると、すぐには元の愛着状態に戻らない。

まだ幼いころであれば次第に回復していくが、愛着が受けた傷は完全には修復されない。

やがて関係が冷ややかなものとなったり、ぎくしゃくしたり、過度に気をつかったりといった状況が生じ、大きな禍根が残りやすい。

また離別期間が長すぎる場合には、完全な愛着の崩壊が起こる。

心の中で母親という存在を理想化し憧れを抱くものの、実際に再会してみると、一緒に暮らしてうまくいくのは最初だけで、やがて強い拒絶反応が起きてしまうのがふつうである。