愛着障害は、多くの子どもだけでなく、大人にもひそんで、その行動を知らずしらず左右し、ときには自らを損なう危険な方向に、人生をゆがめている。

その人のもつ愛着スタイルは、対人関係だけでなく、生き方の根本の部分を含む、さまざまな面に影響している。

それほど重要な問題であるにもかかわらず、一般のひとだけでなく、専門家の認識も非常に遅れており、むしろ、愛着の問題を軽視してきたとも言えるのである。

すなわち、なぜ、手厚く子供を育ててきたはずの現代社会で愛着障害をベースとする問題が増え続けるのか、ということにも関わってくる。

遺伝的要因の関与はそもそも小さいうえに、短期間に変化する問題でもないから、当然その原因は、環境的なところに求められるが、その答えは、これまで述べてきたことから明らかだろう。

この数十年、社会環境が、愛着を守るよりも、それを軽視し、損なう方向に変化してきたということに尽きるのである。

その変化は、さまざまなレベルで起きている。

もっとも重要なのは、母子の絆を脅かすものであり、さらには、家族、学校、友人関係、職場といったレベルにおいても、医療や福祉といった支援を必要としている人間を支える領域においてさえも、愛着という要素は、効率主義に反するものとして、ないがしろにされ続けてきたのである。

合理的な考え方からすると、古臭く、本能的で原始的とも言える仕組みは、もっと効率的で、近代的な仕組みに取って代わられるべきものとみなされたのだ。

だが、それはちょうど、邪魔になる根っこは切り取って、幹や葉だけがあればいい、と考えるようなものだ。

効率的な社会において、人間の根幹である愛着というベースが切り崩されることによって、社会の絆が崩壊するだけでなく、個々の人間も生きていくのに困難を抱えやすくなっているということなのである。

結局、合理主義に基づく社会の再構築は、みごとに失敗し、もっとも致命的な破綻を来たしているのである。

その失敗を引きずりながら、もがいているのが、われわれの現状と言えるだろう。

その状況を変えていくためには、愛着という原点から、もう一度社会を作り直していく必要があるだろう。