なぜ、愛着障害という視点を取り上げて、そこに注目するのか。

わかりにくい人間関係の綾や、予想とは正反対に動く理解しがたい心理的現象も、愛着障害というメカニズムで考えると、すんなり理解できることが多いということもあるが、それ以上に、愛着障害が重要だと考える理由は、愛着障害の部分にアプローチすることで、他のアプローチではどうすることもできない、きわめて改善が難しいようなケースでも、劇的ともいえる改善を得ることができるからだ。

医療少年院には、不遇な環境で育ち、病や障害を抱え、その上、非行や罪を犯してしまったという二重、三重の悲劇を背負った子どもたちが、その小さな施設に全国から集められていた。

一筋縄ではいかない、治療困難なケースばかりだといえる。

実際そこでは、薬の治療で治るような単純なケースは稀にしかない。

例外は、統合失調症のような精神病のケースで、こうしたケースでは、薬を飲むことで症状が劇的に改善し、安定する。

幻覚や妄想に操られて、火を付けたり、人を殺めてしまったりしたケースでも、薬が奏効すると、別人のように穏やかな人物に戻る。

きちんと薬を飲んで、病気の再発を防ぐことができれば、再犯にいたることもまずない。

ところが、大部分のケースは、こんなふうに簡単にはいかない。

まず、子ども自身が、虐待されて育っていることがほとんどで、また一見普通の家庭で育っているように見える場合でも、本人の気持ちとは無関係に親の期待を押し付けられたリ、支配され、心理的な虐待を受けているようなケースが多かった。

その結果、ほとんど全員が深刻な愛着障害を抱えていた。

それだけではなかった。

親からありのままの自分を認めてもらえなかった上に、学校でもいじめや嘲笑を受けたり、信じていた人に裏切られたり、レイプされたりしてボロボロに傷ついていた。

二重、三重に心の傷を抱え、おまけに厄介な薬物依存やその後遺症を抱えていることも少なくなかった。

こちらが助けになろうとしても、とたんに拒否されてしまうのが普通だった。

何度も傷つけられ、分厚い鎧で覆ってしまったその心を、そう簡単に開こうとはしなかった。

苦労して心を開き、手厚く医療や教育を施したつもりでも、社会に帰ると元の木阿弥で、再犯や再非行にいたってしまうケースも少なくなかった。

そのことに虚しさを覚えることもあった。

「同じ間違いは、繰り返しません」と誓いを立てて帰っていったはずなのに、なぜ、すぐまた同じ失敗を繰り返してしまうのか。

結局、回復していなかったのか。

回復したかに見えたのは、まやかしだったのか―。

そんな疑問にとらわれることもあった。

だがその一方で、回復は絶望的かと思われるようなケースでも、しっかりと立ち直り、再犯することなく、社会復帰を遂げるケースもあった。

回復を遂げるか、遂げないか、運命を分けるカギは、いったい何なのか。