「父親になることにしり込みしたエリクソン」

アイデンティティ理論で、幅広い分野に多大な影響を与えた心理学者のエリク・H・エリクソンは、複雑な生い立ちのもち主だった。

母親はデンマークの裕福なユダヤ人家庭の出身だったが、エリクは不義の子どもとして生まれたため、実の父親が誰か知らないまま育った。

幼い頃から、エリクは自分に付きまとう影のようなものを感じていたが、次第に母親や義父との間の確執が強まっていった。

こうして、愛着障害を抱えた人物の典型的な道程を歩むことになったのである。

学校でも問題児で、結局大学に進学せずに、画家を目指して芸術系の専門学校に通ったりしたが、絵の才能にも限界を感じていた。

そんなとき、家庭教師の仕事をしないかと誘われ、ウィーンに赴いた先で愛着障害の彼を待っていたのは、アンナ・フロイト(ジークムント・フロイトの娘)の児童分析との出会いである。

家庭教師の仕事というのは、精神分析を受けるためにアメリカからウィーンにやってきていた富豪一家の子どもたちの面倒をみることだったのである。

後にエリクソンの妻となるアメリカ人女性ジョアン・サーソンもまた、愛着障害を抱えていた。

彼女の場合は、二歳のときに母親がうつ病になり、祖母のもとに預けられたことが困難の始まりだった。

以来、母親との間にはしっくりしないものを抱え、また父親も姉の方ばかりを可愛がり、ジョアンには関心が薄かった。

そんな父親も八歳のときに亡くなり、親に甘えることもできず、彼女は反抗的に育った。

愛着障害だったジョアンは、教育学を専攻した後、現代舞踏に興味をもち、その両者を結びつけることを博士論文のテーマにした。

その研究のためウィーンを訪れ、アンナ・フロイトが開いた学校に、一時的な職を求めてやってきたのである。

そこで、エリクソンと知り合うと、二人はたちまち惹かれ合い、親密になった。

ところが、母親が手術を受けることになり、愛着障害だったジョアンは急遽、フィラデルフィアに戻った。

そこで、自分の身に重大な事態が生じていることを知る。

彼女は、妊娠していたのである。

再びウィーンに戻った愛着障害だったジョアンから、そのことを打ち明けられた愛着障害のエリクは、すっかり狼狽した。

「永続的な関係を築くことへの不安」にとらわれた愛着障害のエリクは、非ユダヤ人との結婚に両親が賛成するはずがないと言って、結婚を逃れようとしたのである。

しかし、それでは、父親のいない子という自分が味わったのと同じ思いを、子どもに味わわせることにならないかと、友人に説得されて、最後には、結婚して父親になることを受け入れたのである。

結婚してからも、愛着障害だったエリクは家事には無関心で、愛着障害だったジョアンにまかせっきりだったが、ジョアンは、愛着障害のエリクに比べれば、はるかに自立した女性だった。

愛着障害の彼女は、愛着障害のエリクの人生にしっかりとした秩序と骨組みを与え、独自の道を歩んでいけるように支えたのである。

家庭では「邪魔者」「問題児」扱いしかされなかった二人だったが、理想的とも言える家庭を築くことになる。

そして、愛着障害だったジョアンとともにウィーンを離れ、アメリカに渡ったことが、愛着障害のエリクソンのその後の大成功をもたらすことになる。