ビル・クリントンは、自らアダルト・チルドレンだと告白していることにも示されているように、かなり深刻な愛着障害を抱えて育った。

将来のアメリカ大統領が、母親のおなかのなかにいるとき、実の父親は交通事故で亡くなってしまった。

ビルが生まれて一歳になるかならないかのとき、母親は将来の生活のため一念発起して看護師になろうと、学校のあるニューオリンズへと旅立ってしまった。

幼いビルは、祖父母のもとに残されたのである。

この時点でビルは、母親との愛着の絆を引き裂かれ、愛着に傷を抱えることになるが、ことはそれだけでは終わらなかった。

祖父母がビルを厳しくしつけたこともあって、なおのこと楽しい幼年期とはならなかったのである。

そのころのことについて取材を受けたとき、クリントンはかなり時間をかけた末、やっと二つの楽しい思い出を回想することができたという。

一つは、セントルイスへ電車で行ったこと、もう一つは釣り旅行に出かけた事だった。

思い出すことへの抵抗は、そのころの記憶と向き合いたくないという無意識の回避が働いてのことだろう。

看護師となった母親が、愛着障害だったビルを迎えにやってきたが、それは新たな苦難の始まりだった。

母親は、新しい夫ロジャー・クリントンを連れていた。

しかし、新しく父親になる男のことも、自分の娘のこともあまり信用していなかった祖母は、孫を渡すことを拒んだ。

すったもんだの諍いは危うく法廷闘争となりかけたが、寸前に母親が勝ちを収め、愛着障害だった我が子を連れ去った。

しかし、母親同然に自分を育ててくれていた祖母と実の母親とがいがみ合い、その板挟みになったことは、ビル少年の愛着にさらに傷を負わせたはずである。

新しい父親ロジャー・クリントンは、祖母が見抜いた通り、大酒のみのろくでなしだった。

せっかく開いた車の販売代理店を博打のカタに取られてしまうと、後は酔っぱらっては、女房や義理の息子に暴力をふるうぐらいしか能がなかった。

だが、母親の方も、それに負けないくらいしたたかな女性で、売春婦たちを相手に性病の検査をして、結構な稼ぎをあげるようになった。

生活のために、看護師免許をフル活用したのだ。

しかし、仕事が忙しかったうえに、遊ぶことにも熱心だったので、愛着障害のビルに十分な愛情が注がれたとは言い難かった。

母親には浮気性なところがあり、嫉妬に狂った義父と母親は、毎晩のように大ゲンカをした。

母親自身、こう述べている。お
「家に帰ってから夜が明けるまで、私達の家はまるで精神病院でした」と。

しかし、それは精神病院を誤解している。

夜の精神病院は、静かに寝静まり、病室にはいびきの音しか聞こえないからだ。

義父と母親は口喧嘩だけでは足りず、お互いが銃を持ち出すこともあったという。

実際、寝室の壁には、発砲してできた弾痕が残っていた。

しかし、そんな母親に対して、愛着障害のビルは驚くほど従順だった。

祖母も母親も、そしておそらく義父さえも愛していた愛着障害のビルは、強い個性の間で微妙なバランスをとらねばならなかった。

不安定型の愛着スタイルは、しばしば人の顔色に敏感で、相手にうまく合わせる能力の過形成を伴うが、愛着障害のビルの場合にも、そうしたことが起きたと言えるだろう。

だが、表面では合わせていても、内心まで隠しおおせるものではない。

深刻な愛情不足は、愛着障害のビルの肉体にある特徴的な変化をもたらした。

異常なほどの肥満体になったのだ。

愛着障害のビルが幼稚園のときには、縄跳びに足を引っかけて躓き、脚の骨を四カ所も折る怪我をしたこともある。

みじめで不安定な家庭生活とは裏腹に、愛着障害のビルは、周囲から明るく社交的で、幸福な子どもだと思われていた。

彼はそう思われるように振る舞うことで、バランスをとることを覚えていたのだ。

演じること、嘘を吐くことは、そのころから愛着障害のビル・クリントンの「天性」であったと、多くの証言が裏付けている。

後に、ホワイトハウスで起きた大統領による前代未聞のセックス・スキャンダルにからんで、大統領から性的なハラスメントを受けたとされた女子大学生モニカ・ルインスキーは、「ビル・クリントンは、幼いころからずっと嘘と欺きの人生を送って来た、と言っていました」と証言している。

それでも、母親は常に愛着障害のビルの味方であることには変わりなく、母親の機嫌をとるという統制型愛着の傾向はみられるものの、二人の間の愛着の絆は不安定ながら保たれていた。

その点に、まだ救いがあったと言えるだろう。

母親との愛着が、もっと不安定なものであると、子どもに及ぶ影響は、さらに深刻になりやすい。