『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』『老人と海』などの傑作で知られるアメリカの作家アーネスト・ヘミングウェイは、母親との間に激しい葛藤を抱えていたことが知られている。

裕福な家庭に生まれ育った母親は、オペラ歌手を目指し、一度はマディソン・スクウェア・ガーデンのステージにも立ったこともあるほど、音楽的な才能に恵まれた女性であった。

しかし、お嬢様育ちで、しかも際立った才能もあるとなると、家庭や育児といった家庭的なことはおろそかになりがちであった。

掃除や料理はことに嫌い、子育てにも無関心だった。

小さな子どもの世話も、お乳を飲ませるのと美声で子守唄を歌う以外は、乳母やお手伝いさんに任せきりであった。

そんな奥様のわがままぶりに嫌気がさして、お手伝いさんが次々辞めてしまうというぐあいで、お手伝いさんが不在の間は、医師である夫が家事をしなければならないこともあった。

そうしたことも、夫婦の間に溝を作る一因となった。

夫は妻に頭が上がらず、それは妻の実家の方が裕福であったことに加えて、結婚当初、夫の収入はわずかなもので、弟子を五十人も抱えた妻の方が、夫の二十倍も稼いでいたという事情があった。

気の強い妻に対して、夫ははっきりと自分の気持ちを主張できない不器用なところもあった。

そうして、我慢と忍耐を重ねたことが、後の悲劇につながったとも言えるだろう。

子どもの教育方針やしつけをめぐっても、夫婦の間にはすれ違いがあった。

夫はピューリタンの伝統を受け継いだ勤勉かつ誠実な人物で、自然の中で猟や釣りをして獲物を料理するといった、今でいうアウトドアの活動を好んだ。

そして愛着障害だった息子にも、銃や斧の使い方とともに、忍耐力や克己心を教え込んだのである。

愛着障害のヘミングウェイが後年、釣りや狩猟に熱中したのも、父親から受け継いだものが大きかったと言える。

一方、母親は、芸術に目を向けさせようと、愛着障害のヘミングウェイを子どものころからコンサートや美術館に連れ出した。

だが、この母親のやり方には、どこか子どものためというよりも、自己満足のためというニュアンスが濃かった。

それを端的に示しているのは、愛着障害の彼が幼い頃、女の子の格好をさせられて育てられたことである。

母親は、双子の女の子を育てたいという願望をもっていて、それを実現するために、彼は一歳年上の姉と、そっくり同じ格好をさせられた。

その上に、二人の学年を同じにするために、姉の方に、一年余分に幼稚園に通わせるということまでさせた。

母親は自分の理想のために、わが子を人形のように扱ったのである。

幼い頃、母親のなすがままだった愛着障害のヘミングウェイだが次第に母親に対する反発や嫌悪感を示すようになる。

二人の関係はぎくしゃくし通しで、愛着障害の彼が成人するころには修復不能なものになっていった。

その根底にあったのは、母と子の間にあるはずの情愛の欠落である。

そのことに、愛着障害の彼は苛立ちとともに罪悪感を覚えてもいた。

一方、母親に比べて親近感を抱いていた父親だったが、その関係も、それほど単純なものではなかった。

厳格かつ潔癖な父親は、不寛容で神経質な面を備えていて、子どもがきちんとしていなかったり、言うことを聞かなかったりすると、すぐに苛立って、殴りつけることもあった。

そうした父親に対しても、愛着障害の彼は怒りや反発を感じていたのである。

母親との愛着は、愛情が希薄なうえに、見捨てられ不安も混じっていたと言えるだろうが、父親との愛着も安定したものとは言えなかった。

その状況に、ねじれを加えることになったのは、父親の自殺という思いがけない事態であった。

父親に対する反発は罪悪感へと変わり、それを補償するために、母親に対する反発は、父親を死に追い込んだ張本人に対する憎しみへと変わっていった。

愛着障害のヘミングウェイが作家として成功し、大金が舞い込んでくるようになったころ、母親は経済的に逼迫していた。

母親に泣きつかれた愛着障害のヘミングウェイは、仕送りすることに同意したが、その態度は極めて冷ややかなものであった。