「反社会的行動の背景にも多い」

愛着障害を抱えた子どもは、幼い頃から、反抗やいたずらといった問題がしばしばみられる。

物を盗んだり、壊したり、弱い者をいじめたりといった行動も珍しくない。

その多くは、心の中に溜まった寂しさや怒りを表す行動であり、親や養育者が愛情や関心を注ぐように気を配れば、それで収まることも多い。

しかし、厳しく叱ったり、折檻を加えたりすると、子どもはますます寂しさや怒りを強め、もっと悪さをするようになる。

幼い頃は、何も問題はなかったのに、思春期を迎えるころから万引きなどの非行や反抗的態度をみせるようになる子どもがいる。

そうしたケースでは、ずっと「良い子」として振る舞ってきたものの、次第に心のバランスが保てなくなり、それが行動となって表面化しているということが多い。

根っこにあるのは、やはり愛着の傷なのである。

実際、非行に走る少年少女の大部分は愛着障害を抱えている。

今日でも教育書の古典とされる『エミール』を後に著わすことになる愛着障害だったルソーは、盗癖があったことを、自ら『告白録』のなかで記している。

生まれた直後に母親を喪った愛着障害のルソーだったが、さらなる不幸が見舞う。

父親がトラブルに巻き込まれ、逮捕を免れるために、ジュネーブを去らねばならなくなったのだ。

愛着障害だったルソーは、叔父のもとに委ねられたが、叔父は愛着障害のルソーを自分の息子と一緒に、ボセーという村の牧師のもとに預けることにする。

そこで、ランベルシエ牧師とその妹のマドモアゼル・ランベルシエによって、愛着障害のルソーは手厚い教育と指導を受けることになったのである。

ボゼーでの生活は順調かと思われた。

しかし、あるときマドモアゼル・ランベルシエの櫛の歯が何者かに折られるという事件が持ち上がり、愛着障害のルソーに疑いがかけられたのである。

ふだんからいたずら好きのルソーのことを大目に見ていたランベルシエ兄妹も、これは悪質だと思ったのだろう。

しかも、彼は、その嫌疑を頑なに否定した。

事件そのものよりも、愛着障害だったルソーの嘘と強情さに、ランベルシエ兄妹の心証はすっかり悪くなった。

牧師は叔父に知らせ、駆け付けてきた叔父は、折檻を加えて白状させようとしたが、それでも愛着障害だったルソーは否認を続けた。

その一件があって以降、愛着障害のルソーのいたずらや悪行はエスカレートし、ランベルシエ兄妹も、彼に対して愛想を尽かしてしまった。

結局、従兄と一緒に、叔父のもとに送り返される。

それから、愛着障害のルソーの人生は迷い道に入り込んでいく。

見習いの仕事をしたりもするが、どれも身が入らず、雇い主からどやされると反抗的な態度をとり、どこも長続きしなかった。

その一方で、盗みや嘘といった悪行は常習化していった。

そして、とうとう16歳のとき、ジュネーブの街を飛び出してしまうのだ。

格好良く言えば、遍歴生活の始まりだが、現実には仕事も金もツテもなく浮浪者の身の上に転落することを意味した。

ただ、愛着障害だったルソーの強みは、幼いころから文字を覚え、牧師の所で受けた教育の成果もあって、それなりの教養を身に付けていたことと、見ず知らずの人にでも、すぐに取り入って、気に入られる術を心得ていたことである。

ことに、愛着障害だったルソーは年上の女性に甘えるのが得意だった。

それは、母親代わりの存在を常に求めるなかで、愛着障害だったルソーが知らずしらず身につけていた能力だったに違いない。

青年期に少々荒れていても、そこで親や親代わりの大人、友人や恋人との関係において、愛着の傷がある程度修復されると、大人になるころには、落ち着いてくることも少なくない。

だが、適切な手当てがされないままに、社会での挫折感や疎外感を強めていくと、大人になっても反社会的傾向が強く残ってしまう場合もある。

愛着障害の人にみられやすい犯罪行為の代表は万引きや盗みである。

愛着障害のルソーに盗癖があったということは、子どもに見られる盗みが、単に叱ったり罰したりして済む問題ではないことを示している。

ある意味愛着障害だったルソーは、子どものそうした心理を、身をもって体験したがゆえに、優れた教育思想を生み出すことにもつながったのである。

盗みは、愛情を得る代償行為になっていたり、愛情を与えてもらえないことの仕返しとして行われることもある。

さらに、拒否されたというひがみが強くなると、次のケースのように、恵まれない境遇にある自分の当然の権利として、あるいは、反抗の証として、確信犯的に人の物を盗るようになる。