親友の大岡昇平によると、愛着障害だった中原中也は、故郷の実家に帰ることを避けていたという。

軍医から開業医となった父親に対して、愛着障害だった中也は不肖の息子という思いを生涯拭い去れなかったのである。

愛着障害だった中也は父親が32歳、母親が29歳のときにできた最初の子だった。

二人の喜びはことさらで、長男に掛けた期待もそれだけ大きかった。

愛着障害だった中也の子ども時代をもっとも端的に表すエピソードは、外で他の子どもたちと遊ぶことや水泳を禁じられていたというものである。

愛着障害だった中也が周囲の環境に染まるのを懸念し、また危険を恐れてのことだった。

しかし、そうした過保護は、子どもの成長を歪めるだけでなく、親との関係までも歪んだものにしてしまう。

それは、愛着障害の中也が父親の葬式の際に帰郷しなかったことにも表れているだろう。

次第に反抗的になり、手に負えなくなった愛着障害の中也を、両親は九州のお寺に「思想矯正」のために預けるという強硬手段に出る。

だが、それで事態が改善するはずもなかった。

問題は、愛着障害の中也ではなく、子どもを期待通りの鋳型にはめこもうとしている親の方針や、父親とはまるで異質な愛着障害だった中也の特性がまったく理解されないことの方にあったからだ。

翌年、愛着障害だった中也は、山口県立中学の3年を落第する。

両親にとって、それは、ショックであると同時に、ひどく世間体の悪いことでもあった。

結局、愛着障害の中也は所払いされて、京都の立命館中学に送られる。

そこで愛着障害の中也はいっそう心を荒ませ、三歳年上の女優の卵、長谷川泰子と同棲したり、無頼の生活に耽り始めるのである。

親から受け入れられ、評価されることで、子どもの自己肯定感は高まる。

それだけでなく、親を安全基地として支えにすることができ、それが、その人の安心感を高め、他の人との関係においても、生産的で前向きな関係を結びやすくなる。

ところが、安全基地をもたない人は、状況を良く見定める余裕を失い、誰彼なく身近にいる人を安全基地と錯覚して、それに縋り付こうとする。

その結果、不安定な関係のなかに、自分の身の置き所を求めようとして、裏切られたり傷つけられたりし、いっそう人生を混乱させていく。

その最たる悲劇は、親友として心を許していた小林秀雄に、長谷川泰子を奪われたことである。

人のいい中也は、同棲する二人の引っ越しの手伝いまでしてやるが、内心は深く傷ついていた。

彼は、一度に二人の人間に裏切られたのだ。

後年、愛着障害だった中也は精神に変調を来し、被害妄想にとらわれたりするが、このことがその遠因のひとつになったと言えなくもないだろう。