「内なる欠落を補うために」

自分自身に対する違和感は、ほかにもさまざまな仕方で表れる。

自分の欲望や喜び、満足感といった感覚がわからなくなる失感情症(アレキシサイミア)も、その一つである。

愛着障害だった太宰は小学生のころから、失感情症にも苦しめられていたようだ。

たとえば、愛着障害だった太宰は、『人間失格』の中で、主人公にこう語らせている。

「自分には『空腹』という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。

へんな言い方ですが、お腹が空いていても、自分でそれに気がつかないのです」

こうしたことが起きてしまうのは、安全基地をもたず、自分の欲求や感覚よりも、周囲への気づかいの方に全神経を注ぎ込み、空腹を満たすという本能的な喜びにさえ気持ちを注ぐことができないからである。

失感情症は、他人と喜びや悲しみを共有することの困難にも通じる。

共感したくても、それを実感できないから、共感しようがないのである。

不安定で確かなものがない感覚の中で、愛着障害の人が拠り所とするのは、演じるということであり、それによって、ぽっかり空いたバツの悪い間を埋めようとするである。

演じることと密接に関係し、愛着障害の人にみられやすい問題行動は虚言である。

これは、周囲の人を思い通りにコントロールしようとする意味もあるが、自分という存在の希薄さを、作り話によって補う意味もある。

嘘で装うことで、大人を困らせたり、気を引いたりするだけでなく、自分が願望する存在や相手に気に入られる存在になろうとするのである。

幸せな子どもを演じた愛着障害だったビル・クリントン、作文に教師の気に入るような嘘を並べた愛着障害の太宰治、愛着障害の彼らは内なる欠落を、吐くことによって埋め合わせしようとした。