愛着タイプが違う人は、言語の異なる「外国人」のようなもの

これまでの多くの医学や心理学は、人間一般というものの共通性を土台において、人間一般について論じることが普通であった。

たとえば、「熱が出たら、こんなことに気を付けて、こういう対処をしましょう」ということは、個体差を超えて、誰にでも適用できる知識であり、方法であった。

心理療法やカウンセリングの領域でも、人間は共通の「心」という機能を持ち、感情や考えを共有できるという前提で、話が進められる。

男性の患者を男性のカウンセラーが担当することもあるが、女性のカウンセラーが担当することも多い。

それは、性の違いを超えて、「心」が感じたり考えたりすることは、共有することができると考えられているからだ。

そうした前提に、挑戦的な課題をもたらした精神疾患として、統合失調症がある。

幻覚や妄想にとらわれ、日常的な常識が崩壊してしまうこの病気にかかった人と接するとき、考えや感じ方を共有することは容易ではない。

このような、体験の共有の困難さを、「了解不能」と呼ぶこともある。

この了解不能な壁に、多くの名だたる精神医学者たちが挑んできた。

まるで暗号を解くように、その意味を解明しようとしてきたのである。

さらに、こうした常識の断絶は、統合失調症でなくても存在するということが知られるようになった。

そのひとつは、パーソナリティ障害である。

パーソナリティ障害を抱えた人は、常識的に期待される反応とは、まったく異なる反応をすることが少なくない。

以前であれば、それはただ「変わり者」とみなされがちであったが、研究が進むにつれて、その理由がわかってきた。

パーソナリティ障害の人は、通常とは異なる適応戦略を用いて暮らしているため、同じ物事に対しても、通常とは異なる受け止め方をし、対処の仕方も違ってくるのだ。

愛着スタイルは、パーソナリティのさらに土台ともいえる部分を動かしている。

つまり異なる愛着スタイルの人は、異なる言語と文化をもつ異国人のようなものである。

この点を理解しておかないと、言語や文化の壁を無視して、コミュニケーションをしようとするような無茶なことになってしまう。

すれ違いや誤解が起きてしまうことは必定だ。

実際に、いたるところでそうしたことが起きている。

それぞれの愛着スタイルに備わった認知や思考の様式、感情や行動の表出方法の特性を知らないと、相手の真意をとらえ損なってしまう。

安全基地になるためには、高い感受性によって相手の気持ちや意図を汲み取り、それに適切に応答することが必要になる。

しかし相手は、違った感じ方や考え方、感情や行動の表し方を備えているという現実をよく理解していないと、外国人に対して、その文化や言語についてよく知らずに受け答えするようなことになってしまう。

わかった気になっても、お互いに誤解しているだけかもしれないし、悪気なく相手を怒らせてしまうような危険も十分にある。

愛着スタイルの異なる人、ことに不安定な愛着スタイルをもつ人に接するということは、それくらい大変なことなのである。

愛着障害や不安定な愛着を抱えた人と、表面的な付き合いだけで済ませるのなら別だが、少し踏み込んだ関係になろうとするときには、それぞれの愛着スタイル特有の認知や感情、行動がどのようになされるのか、特性を知っておくことが不可欠なのである。