過去の傷と向かい合う段階を徹底的に進めていくと、ある時期から変化がみられるようになる。

否定的なことばかりを語り尽くした後で、楽しかった経験や親(や養育者)が自分のために骨を折ってくれたことをふと思い出して、「そういえばこんなことがあった」と語ったりするようになるのだ。

その頃から次第に、親の否定的な面ばかりではなく、良かった面や愛情を受けたことにも向き合うようになる。

「すべてが悪い」という全否定ではなく、悪い点や至らない点もあったが、親はそれなりに努力し、愛情を注いでくれたのだ、あるいは親もうまく愛せない事情を抱えていたのだという事を、トータルな視点で受け止められるようになるのだ。

そのとき、親のことを憎んでいるのではなく、愛しているということに気づくこともある。

親を愛し、求めているからこそ、憎む気持ちが生まれていたのだということを受け入れられるようになるのだ。

そして、悲しみ怒りの物語から、愛と赦し、そして希望の物語へと転化され、それを一緒に受け止めてくれる存在と共有されることによって、その人を縛り付けていたとらわれは、次第に解消され、もっと現実的な力に変わっていく。

自分から、親を傷つけてきたことを謝りたいと思うようになったり、ここまで育ててくれたことに感謝の気持ちを伝えようとしたり、和解しようとすることも多い。

親の方も歩み寄ることができると、事態は劇的に好転し、安定化と真の自立へ向かって進み始める。

この段階が、親から遠く離れたり、あるいは、親をなくしたりした後何年も経ってから、初めて訪れるという場合もある。

もちろん親が生きているうちに和解ができれば、それはとても幸運なことで、その子に勇気と力をもたらすだろう。

親と和解できたとき、不思議と自分自身とも”和解”することができる。

それまで、自分のことを過度に否定的に考えていたのが、自分を受け入れ、自信をもつことができるようになるのである。

親に対して否定的な見方や感情をもつことは、親が自分に対して否定的であったということの反映であり、それは、自ら自分を否定するということに結びついている。

それは、単なる否定的な認知の問題というよりも、愛着を介した情動と結びついた問題であることにより、より強烈な支配力を及ぼしていたのである。