川端の「子ども心の回復」という願望は、愛着障害を癒やす方途として、一つのヒントを与えている。

実際、愛着障害を抱えた人は回復していく過程で、子ども心を取り戻すという段階を経験する。

ウィニコットやエリクソンのような、愛着障害を抱えたケースの治療の達人たちが、なぜ遊びや表現することを重視し、実際それが有用だったのか。

その理由は、この点にもあるように思える。

愛着障害だった漱石は、精神の不安定な時期に、よく絵を描いた。

その出来栄えは、はっきり言って稚拙であり、あれほどの才筆をふるった文豪も、画才には恵まれていなかったことを明かしている。

それでも、とても熱心に描いたのは、それが心の安定に役立っていたからだ。

小説を書くことによっても、解消しきれない何かを、非言語的な表現行為を行うことで、解消しようとしたのである。

子どものように甘えようとしたり、童謡や児童向けの本をしきりに求めることもある。

放浪を繰り返した二十代の青年は、幼児向けの「めばえ」という雑誌を購読し、さらに、「よいこ」「幼稚園」「小学一年生」と進んでいくころには、安定を回復していった。

その理由を青年は、「幼いころ、そういう雑誌を読ませてもらえなかったから」と、説明した。

そして、何年か幼児向けの雑誌を買い続けた後には、「どんなものかわかったから、納得した気がする。もういいかなと思う」と語った。

人は子どものころに足りなかったものを補うことで、成長の偏りを自ら修正しようとするのだろう。

そうした不足を知らずに育った者からみれば、そうした行為は、一見奇矯であったり、滑稽にさえ映るかもしれないが、そこにあるのは、そこはかとない悲しみや寂しさであり、満たされぬ思いなのである。

それをできるだけ早い時期に満たしてやれば、ある程度取り戻すことも可能なのである。

それが、間に合うぎりぎりのデッドラインが、青年期ということになるのだろう。

ただ、愛着回避の強いタイプと、愛着不安の強いタイプでは、安心の得方や癒やし方に大きな差があるように思える。

愛着回避の強い川端にとって、中性的なこども心の世界は、安心と癒やしを与えてくれる安全な避難場所となった。

しかし、愛着不安の強い初代にとっては、それは、あいまいで、宙吊りにされたような、不安な境遇に過ぎなかっただろう。

たとえ、二人が結婚していたとしても、そこではすれ違いが不可避であったように思える。