愛着障害を克服していく過程でしばしば観察される現象の一つに、自分が親代わりとなって、後輩や若い人達を育てる役割を担うということがある。

愛着障害の人は、いわば親にうまく育ててもらえなかった人である。

それゆえ愛着障害を克服するには、誰かに親代わりになってもらい、育て直してもらうということになるのだが、実は、もう一つ方法がある。自分自身が「理想の親」となって、後輩や若い人達を育てるという方法である。

たとえば、愛着障害だった夏目漱石は、人付き合いこそ悪かったが、弟子になった若者たちとは熱心に関わりをもった。

父親としては失格といってよい愛着障害の漱石も、門人に対しては、実に面倒見が良かったのだ。

寺田寅彦、森田草平、小宮豊隆、鈴木三重吉らの門人も、そんな漱石を慕い集まってきた。

バラバラに来られると仕事ができないというので、木曜日にまとめて会うことにしたから、その集まりは木曜会と呼ばれた。

森田草平が心中未遂事件を起こして社会から葬られそうになったとき、漱石は森田を自宅に匿い、また作家としてやっていけるように、何かと便宣を図っている。

他の門人にも、わが子に対するような心づかいを見せ、お金を貸すことも再々だった。

その額がかなりのものとなったため、自分の生活に窮するほどだった。

愛着障害だった漱石は、ある意味、門人たちの安全基地となっていたのである。

それは愛着障害の漱石にとって負担にはなったが、しかし、そうした関わりのなかで、漱石は人間的に成長し、文豪の名にふさわしい境地に達するまでになったように思える。

則天去私という境地は、門人たちとの関わりなくしてはなかっただろう。