愛着障害を抱えた人が良くなっていく過程において、その傷が深いほど、自分を支えてくれる人に甘えようとする一方で、反抗的になったり困らせたりするのが目立つようになる時期がある。

わざと無視したり、怒りを示したりすることもある。

自分のことをもっと見てほしいと思い、相手の関心が十分に自分に向けられていないことに腹を立てる。

そのくせ、自分の方から素直に甘えなくなり、つっけんどんな態度をとって、相手に不快な思いを味わわせようとしたりする。

この時期が、回復への過程において、もっとも重要な局面だと言える。

このとき、支える側が腹を立てて、拒否的になったり、否定的な反応を返したりしたのでは、元の木阿弥になってしまう。

この反抗する気持ちには、二つの段階がある。

それは、支えてくれる人の愛情をもっと求めたいのにそれを我慢していることや、自分のことを振り返ってくれないことへの怒りに由来する段階と、もう少し成長して、支えてくれる人からの期待をうっとうしく感じ、距離をとろうとしている段階である。

ことに後者の段階は、依存している愛着対象から分離と自立を遂げていくという大きな課題に向き合っているときだと言える。

このとき本人は、期待に背くことで見捨てられてしまうかもしれないという不安と、しかし、依存から脱して責任ある存在として自立したいという欲求との間で、ジレンマを感じている。

そうしたアンビバレントな思いを乗り越えるためには、支える側が反抗することを許容し、受け止め、それに動揺せず、その気持ちを認めてやることが大事である。

しかし、親や恋人、パートナーなどの支える側自身が、愛着不安を抱え、克服できていない場合は、反抗されたり、距離をとろうとされたりすることが許容できない。

「こんなにしてやったのに裏切られた」「恩を仇で返された」という思いにとらわれてしまうのである。

そうすると、否定的な態度となって現れたり、本人のいないところで悪口を言ったり、怒りの気持ちを口にしたりといった行動をとってしまうということも、実際に起きる。

それでは、結局、傷ついた愛着を修復するどころか、もう一度傷つけてしまうことにもなりかねない。

その落とし穴に陥るか、真の回復に向かうかの境目は、この段階を乗り越えられるかどうかにかかっている。

相手の反抗や離反も肯定的にとらえ、その根底にある気持ちを前向きに受け止める。

そして、こちらの思い通りにならないことは、自立の証だと、むしろ祝福することなのである。