傷ついた愛着障害の少女を土壇場で変えたのは―ケース1

印象深い一つのケースを取り上げたい。

十七歳の愛着障害の少女だった。

最初に印象は、とても落ち着いているなということだった。

ただ、それはうわべだけの落ち着きで、一方で、心を開いていないなということが感じられた。

それもそのはずだった。

愛着障害の彼女は、自分の彼氏でもある覚醒剤の密売人の男の罪を、一人で背負って、少年院にやって来たのである。

そつなく期間を終えて、早く社会に帰り、彼と再び暮らすこと。

そのことだけが、愛着障害の彼女の希望であり、それを実現するために、計算ずくで行動していたのだ。

非の打ち所のない模範少女を演じ、更生したことを認めてもらえば、早く社会に戻れる。

ただその一心だったのだ。

ところが、愛着障害の彼女の計画がガラガラと崩れる事態が起きる。

自らが罪をかぶって守ってやったはずの男が、人身事故を起こし、しかも薬物使用も疑われたため、逮捕されたのだ。

男には前科があったため、少なくとも5年の量刑がつきそうだと、男本人が手紙で知らせてきた。

愛着障害の少女は「バカ、バカ」と男のことを罵りながら、泣き崩れた。

だが、いくら泣いても事態は変わらない。

どれだけ真面目に頑張ったところで、帰っても彼はいない。

しかも、5年も。

それは愛着障害の彼女にとっては果てしなく長い時間であり、とてもそんなに長い間、一人では生きられないと思った。

愛着障害の少女の生活は急に崩れ始め、自暴自棄になった。

そして、まったく別人のような面を見せ始めたのだ。

愛着障害の彼女は生きていても意味がない、早く死にたいと、自殺企図を繰り返し、遠くから面会にやって来た両親にも会うことを拒み続け、ようやく面会に応じたと思ったら、こんどは「自分の葬式には、母親だけは呼ばないでくれ」と言った。

実は、いつも面会に来る両親は、彼女の養父母であり、実の母親が別にいたのだ。

愛着障害の彼女が葬式に呼ぶなと言っているのは、産んでくれた母親のことだった。

母親を葬式に呼ぶなという発言は「今回は自殺に失敗したが、いずれ死ぬつもりだ」ということをも意味し、それが彼女の遺言だったのだ。

養母は泣き、養父は、考えを改めさせようと、こんこんと説教したが、何の甲斐もなく、二人が家に帰り着く前に、愛着障害の彼女はまた自殺企図をしてしまう。

この「母親には自分の葬式に来てほしくない」という言葉は、医師にも何度か語った言葉だったが、じつはそこには、愛着障害の彼女の深く傷ついた思いが込められていた。

産みの母親は、愛着障害の彼女を産んで二週間後、置手紙を残していなくなった。

残された赤ん坊を祖父母が引き取り、養父母となって育てたのだ。

それゆえ愛着障害の彼女は小学校にあがるまで、祖父母のことを、実の両親だと思っていた。

ところが小学2年のとき、一人の心ない生徒が「お前の両親は実の親ではなく、じいちゃんとばあちゃんだ」ということをばらしてしまった。

愛着障害の彼女は泣きながら走って家に帰ると、養父母にそのことを問いただした。

養父母は戸惑ったが、これ以上隠すことは無理だと観念して、本当のことを告げた。

愛着障害の少女はどういう思いで、そのことを受け止めたのだろうか。

実母との再会で始まった転落

その後も愛着障害の少女は、表面上はまるで何事もなかったように、それまでと同じように暮らしていた。

成績は優秀で、運動神経も抜群だった愛着障害の彼女は、勉強も運動もそれまで以上に頑張ってみせた。

心配していた養父母は、ほっと胸をなでおろした。

ただ、以前よりよく手伝いをするようになったり、養父母に気を遣うようなところも見せるようになってはいたが、良い子で優等生の愛着障害の彼女に、将来の不安を感じさせるようなところは微塵もなかった。

ところが小学5年生のとき、そんな平安を破る予兆のような出来事が起きる。

愛着障害の少女は実母と再会したのだ。

再開の場所は、精神科病院だった。

母親は覚醒剤の後遺症で調子を崩し、そこに入院していたのである。

祖父母が面会に訪れるとき、愛着障害の彼女を連れて行ったのだ。

初めて見る実の母親は、目の周りに黒い隈を作り、どんよりした顔をして、我が子にも無関心だった。

実母との対面という感動はなく、愛着障害の少女は、「こんなふうにだけはなりたくない」と思ったと言う。

だが、それから母親との行き来が少しずつ始まる。

まず母親が愛着障害の少女のもとに遊びに来るようになり、娘と顔を合わせることが増えていった。

愛着障害の少女は最初、無関心な様子であったが、自分に会いに来てくれる産みの母親に、少しずつ気を許すようになる。

食べ物や飲み物を買ってくれたり、自分の知らない世界のことを話してくれる母親に、次第に関心を抱くようになった。

「遊びにおいでよ」と言われると、愛着障害の少女も行ってみたいと思うようになった。

しかし、そんあ愛着障害の少女の反応に危惧の念を抱いていたのは、養父母だった。

娘の飽きっぽい、気まぐれな性格を知るだけに、最初は愛着障害の少女をちやほやしても、そのうちに傷つけるようなことになりはしないかと、不安を覚えていたのだ。

それでも小学校のうちは、さしたる問題もなく、愛着障害の少女は相変わらず優等生ぶりを発揮し、養父母たちの心配も杞憂に終わるかに見えた。

中学に上がり、愛着障害の少女はあるスポーツでめきめきと頭角を現し、中二のときにはその才能を見込まれて、特別な養成チームに入ることになった。

だが、それが裏目に出ることとなる。

コーチの指導方針と対立するようになり、結局、愛着障害の少女は養成チームをやめてしまったのだ。

それまで遊びも休みも一切なしで、ひたすらそのスポーツに打ち込んでいただけに、急に目標を見失ってしまうことになった。

愛着障害の少女は糸の切れた凧のように、不良っぽい友達と付き合い始め、夜遊びをしたりするようになった。

愛着障害の少女の変化に不安を抱いた養父母が注意するが、愛着障害の少女はもはや、以前の素直な少女ではなく、養父母に対しても反抗的な態度をとるようになった。

まずかったのは、愛着障害の少女の変貌ぶりに焦った養父母が、思わず口にした一言だった。

「母親にそっくりだ。母親の所に行ったらいい」

愛着障害の少女にとって、二重に傷つく言葉だった。

売り言葉に買い言葉で、愛着障害の少女は言い返していた。

「わかった。出て行ってやる!」

愛着障害の少女は、そのまま家を飛び出すと、母親のところに転がり込んだ。

母親は、娘が養父母とうまくいかず、自分の所に来たことを喜んで、「ずっといたらいい」と言ってくれた。

夏休みだったこともあり、しばらく一緒に暮らすことで、母親に甘えてみたいという以前からの願いが叶うかに見えた。

だが、その思いは無惨な形で裏切られることになる。

部屋には母親の彼氏が一緒に暮らしていたのだが、その彼氏にレイプされてしまったのである。

そのことを知った母親は、愛着障害の娘をかばうどころか、自分の彼氏を盗られたと受け止め、「この泥棒ネコが!」と娘の方を責めたてたのである。

愛着障害の少女はいたたまれず、そこも飛び出してしまう。

それから、愛着障害の少女の本格的な転落が始まった。

一年後には、夜の街で知り合った覚醒剤の売人の男と暮らすようになっていた。

そして、冒頭に書いたように、事件に巻き込まれ、罪を被って、施設に送られてくることになったのである。

養父母のことを裏切って家を飛び出したのに、頼った実の母親に裏切られてしまった愛着障害の少女は、同じように傷を抱え、悪の道に堕ちた男との関係に、自分の居場所を見出し、そこでかろうじて自分を支えていたのである。

それが今や、男も彼女の支えにはなってくれない事態となったのだ。

ただ受け止める―養父母の変化が愛着障害の少女を変えた

愛着障害の彼女の中には、二重の自己否定、つまり実の母親からも捨てられ、育ててくれた養父母をも裏切ってしまった自分への絶望があった。

しかも、そんな愛着障害の彼女が唯一救いを見出した存在は、せっかくその罪を免れさせてあげても、もっと愚かな過ちを犯し、すべてを台無しにしてしまうような無責任な人間だった。

その男を救うことに、愛着障害の彼女は自分の存在意義を見つけようとしていたのだが、そんな犠牲さえ、無意味な徒労だったと気づかされたのだ。

愛着障害の彼女はすべてに絶望し、生きてきたこと自体が間違いだったと思い、自分を消し去ることで、この無意味な苦しみを終わらせようとしたのである。

自殺企図は、十回以上に及んだ。

そのうちの何度かは死んでいてもおかしくないような状況で、彼女を見守る教官たちも、ピリピリした緊張の中で過ごしていた。

薬物療法も、カウンセリングも、認知行動療法も、教育的なアプローチも、通用しなかった。

心の底から死のうときめている人にとっては、すべては余計なお世話に過ぎなかったのだ。

このままでは、愛着障害の彼女はいつか本当に死んでしまう。

その流れを変えたのは、養父母への働きかけだった。

これまで何度も、愛着障害の少女と養父母との面会がおこなわれていたが、その場では何事もなく終わっても、後で少女が自殺企図をしたり、状態が悪化してしまうことが多かった。

お互いの思いがすれ違っていることは明らかだった。

養父母はどちらも生真面目な人で、本人と会うたびに、養母はただ嘆き、養父は道理で説き伏せようとした。

愛着障害の彼女は黙って本音を言わないか、言っても言い争いになって決裂して終わるという状況だったのだ。

そうしたかかわり方は、本人の気持ちを受け止めるというよりも、養父母の考えを押し付けるということにしかならなかった。

結局、「何もわかってもらえない」というすれ違いが続いていたのである。

しかし同時に、そこまで悪化するのは、愛着障害の少女がじつは、養父母に「わかってほしい」という思いを強く抱き、その思いを受け止めてもらうことを求めているからに違いなかった。

だが、ただ見守っているだけでは、この不器用な親子は、自分達の流儀を変えられず、ますますすれ違っていくばかりであった。

その日、意を決した医師は、面会の前に、養父母に会うことにした。

養父母とはいえ、もともとは祖父母である。

年齢的にも、体力的にも、疲れ切っている様子が見える。

「正直、どう接していいのかわからない」と言ってくれたのが、かえって良かった。

そちらから訊ねてくれるということは、聞く耳をもってくれるかもしれない。

医師は、遠くからやってきてくれた労をねぎらいつつ、今、とても厳しい状況にあることを説明した上で、「今回は、ご両親の思いではなく、本人の思いをただ聞いて欲しい」とお願いした。

もし死にたいとか、否定的な発言をしたとしても、そのことを叱ったり、説得したりするのではなく、その気持ちをそのまま受け止め、反論をせずに、その思いにただ耳を傾けてほしい。

そうした対応の仕方をよく伝えた上で、面会に臨んでもらったのである。

養父母との面会は、それまでとはまったく違うものとなった。

それまでは、養父母の方が主に話をして、愛着障害の少女は黙って聞いていることが多かったのだが、その日は少女の方が、よく話をしたのである。

それまで面会のときは、能面のような表情しかみせなかった少女が、その日初めて、養父母の前で涙を流し、自分の苦しさを、もう生きている意味がないので死なせてほしいという気持ちを、語ったのである。

養父母も泣きながらその言葉に耳を傾けた。

何の結論も、何の解決も、その話し合いで見出せたわけではなかった。

ただ愛着障害の少女が、自分の絶望の深さを、傷ついてきた思いを、語っただけだった。

ところがその面会が転換点となったのである。

ただ自分の気持ちを受け止めてもらうということ、それも、愛着障害の彼女の育ての親である養父母にそうしてもらうことが、彼女の中の何かを変えたのである。

親を取り戻し、愛着障害から回復した安定

それ以降、自殺企図は落ち着くとともに、愛着障害の少女は内面的な話を熱心にしてくるようになった。

殻のように心を閉ざしていたのが打って変わって、自分から悩んでいることを持ち出し、そのことについて自分の中で対立している思いを語り、そうすることで、自分で自分の気持ちを整理していったのである。

やがて、売人の男に幻の救いを見ていたことをはっきり悟った少女は、彼に決別の手紙を書いてきっぱりと縁を切った。

愛着障害の少女にとって男は、自分を見捨てた母親の代役であった。

同じように堕ちた存在であるということに共通項を見ていたのだが、それを今や、どちらもはっきりと、少女の方から拒否するようになったのだ。

そして養父母との面会をさらに重ねる中で、少女は、「養父母に育ててもらって良かった」との思いを語るようになり、養父母こそが自分の父親であり、母親であると言うようになった。

結局、愛着障害の彼女に起きた事態は、「誰が自分の親であり、誰を信じたらよいのか」という事に関する混乱であり、そして「誰も信じられない」という絶望であった。

養父母に対する愛着が、産みの母親の登場によって不安定になった上に、産みの母親の気まぐれなかかわりに振り回され、愛着障害の彼女はどちらの親をも失ってしまったのである。

愛着障害の彼女の苦しみと迷いの過程は、親を取り戻す過程だったともいえる。

養父母こそ、信じるに足る自分の本当の親だと納得したとき、愛着障害だった彼女は安定を回復したのである。

そして、そのために必要だったのは、傷ついた絆を結び直すことであり、また、責めたり指図したりする言葉ではなく、ただ気持ちを汲み、受け止めることだったのである。