「谷崎潤一郎の女性観」

『痴人の愛』や『卍』、『春琴抄』など、異常な愛の形を好んで小説のモチーフにした耽美派の作家、谷崎潤一郎も、特異な愛着障害を抱えていたようだ。

愛着障害だった谷崎は、女性関係において異常に執着の強い面と、非常にドライで多情な面をもっていた。

また、自分の美意識にこだわりはするが、相手の気持ちというものに対してはかなり無頓着で、共感性が乏しく、まるで人形や物を扱うような視点が強いことである。

それは、たとえば『痴人の愛』などの作品に強く表れている。

主人公の河合がナオミという少女を自分の理想の女性にしようと、手塩にかけて一人前の女性に育て上げたときに、逆に河合はナオミに翻弄されることにのめり込んでいく。

愛着障害の谷崎の描く世界では、相互的な愛よりも、一方的な献身やマゾヒズム的犠牲こそが、愛の本質なのである。

『春琴抄』にしろ『少将慈幹の母』にしろ、そうした特性が顕著である。

このような相互性の欠如した愛の世界の根本には、愛着スタイルの原基となる母親との関係が、たいてい絡んでいるものである。

愛着障害だった谷崎の母せきは、お嬢さん育ちで、大変美しかった。

愛着障害だった谷崎の父倉五郎は、養子となって谷崎家に入った。

せきは、子どもにあまり関心がなく、子育てを煩わしがったため、下の兄弟たちの多くは、家が裕福だったにもかかわらず、里子や養子に出された。

神経質で潔癖な傾向も、余計子ども嫌いにしたのだろう。

三十代ごろに撮った写真が残っているが、たしかに美貌ではあるものの、いかにも神経質で、冷たい雰囲気が漂っている。

長男だった愛着障害の潤一郎は、きょうだいのなかでは、一番可愛がられたと思われるが、彼の世話をしたのは、主に、みよという乳母だった。

甘えん坊でお坊ちゃん育ちの谷崎には、発達や愛着の問題を思わせるエピソードがいくつか残っている。

一つは、彼が小学校になじむのに、ひどく苦労したということである。

始業式でみよの姿が見えなくなると、パニックになって、泣きながら学校から駆け出してしまった。

学校へ行き始めてからも、通学を嫌がるので二学期から通い始めた。

しかし、それでも慣れることができず、始終学校を休んだため、結局、一年生を落第してしまった。

その後、勉強の面白さに目覚めて「神童」になるのだが、運動だけはからっきしダメだったという。

もう一つ、気になるエピソードは「東鑑拝賀巻」という歌舞伎を観た時、実朝の首が切り落とされる場面に「エロティックな興奮」を覚えたことである。

こうしたサド・マゾ的な嗜癖は、しばしば愛着の問題と結びついてみられる。

愛着障害だった谷崎の幼年期の特徴は、甘やかされて過保護に育てられたということと、肝心の母親の愛情が欠けていたというアンバランスさに、要約できるだろう。

これは三島由紀夫などの幼年時代の境遇とも共通する点がある。

三島が谷崎の文学を高く評価したことと合わせて、面白い点だと言えるだろう。